<同一化傾向、承認願望>
例えばテレビや本、記事などを見ていて自分の考えていることと同じだと感じた場合、気をつけたほうがいい。というのも、そこには同一化傾向や承認願望によるバイアスがかかっている可能性があるからだ。同じという感覚に安易に飛びつくのは避けるべきである(「何が同じで何が違うのか」、共感の病理など)。
<統一的自己>
自己の統一性と言うが、それは本当に同じなのだろうか?自他の規定に基 . . . 本文を読む
最近は「奈落の鉄平」的状態が続いているぎとぎとですが、皆さんいかがお過ごしでせうか。まあYU-NOのエンディングの記事がちょいと固いのでフラグメント挟んでみましたよと。
<神解体科学→錬金術宗教迷信>
[ひぐらしで]人為100%が流行ったわけ…掲示板の性質=証明の要求(なければ、へえ[君はそう思うんだ]、で終り)。同じ奇跡でも、個人と社会という違いがあるためその欺瞞がよりよく見える(夢、声掛け . . . 本文を読む
同僚たちと旅行(熱海→湯河原など)に行こうぜと熱く語ってたら、終電を逃してしまったorzさて、それとは何の関係もないのだが、ブログの名前をまた変えますよと。そもそも「ギアガの大穴」を今の名前にしたのが予定外だったので、ちょこちょこマイナーチェンジしつつ不本意な気持ちを誤魔化してきたが、昨日ようやく新しいものに思いいたった。大きな変更はこれで四回目だが、全てがゲーム絡み(最初の「熊八」もひぐらしと関 . . . 本文を読む
最近なぜが娘属性が出なくなったことを不思議に思いつつ、YU-NOの記事の前にフラグメント。なお、題名と中身はほとんど無関係。
<浜松町>
坊主=手入れ不要→心の平静(アパシー)→送り犬=背後(見えないもの)は恐い→俺の後ろに立つな。ツンデレ…ギャップと心が開かれていく過程…裏も表も見えている、という[過視性による]安心感?「選び取ることが大事だ」という見解に対しては次のように批判が可能である。 . . . 本文を読む
一度目なら、今度こそはと私も思う。
避けられなかった惨劇に。
二度目なら、またもかと私は呆れる。
避けられなかった惨劇に。
三度目なら、呆れを越えて苦痛となる。
七度目を数えるとそろそろ喜劇になる。 . . . 本文を読む
木曜日のこと…
せっかくの休みに限って雨が降りそうな気配。実はチャリで舞浜の方へ行こうと画策していたが、この前の多摩川土砂降り事件や二子玉川土砂降り事件もあるし、さすがに予定を変えるしかねえな。とはいえ、家に引きこもる気にもならんので、南(真鶴)へ逃げるため池袋へ出る。
と駅に着いてみたら、フランドルからGIVENCHYへ広告が変わっている。フランドルのあの眼に殺される楽しみが無くなったのも残 . . . 本文を読む
この前、
「常に誰かと一緒にいなければ不安や淋しさにつきまとわれる」ような人以外を全て「人間嫌い」と言うのなら、私はまさしくその部類に入るだろう。
と書いた。「常に」とか「全て」って表現によって(極端に)厳密に規定しようとしているところはいかにも狂人・パラノイア的だが、まあこれはあえて極端な例を出すことによって、所詮グラデーションに過ぎないのに知らず二項対立で死考しているのではないか…と皮肉っ . . . 本文を読む
アイロニーと安易(ベタ)な感動が共存しうるのは、そのアイロニーを支えているのが、「頭で」わかった「気になっている」、つまりそんなものは読めているという誤解/思い上がりだからではないか。死を知っているからと言って、それが引き起こす精神のざわめきから自由になれるわけではないし、ましてやそれが消えてなくなることはない。定式化してしまったアイロニーに未来などないのだ。 . . . 本文を読む
※ まずはこちらの動画をご覧下さい。
収容所脱出記念パーティーの口直しとしてラーメンズのDVDを借りに行った時、ラーメンズのビデオで「日本語学校アメリカン」の紹介文に「不条理」とあるのが目に付いた。
えっ、このコントが「不条理」…?
なるほど広辞苑を見れば「道理に反すること。不合理なこと。背理」とあるから、こんな日本語学校は存在しない、という意味においてその評価は妥当かもしれない。しかしな . . . 本文を読む
今日は夏の収容所脱出記念パーティーが行われた。
重鎮たちが出し物をしている。その効果と意味を考える。
A:一般職と一体になって楽しむこと(やる側も楽しんでいる所があるだろう)。
B:その楽しみを自分達が提供しているということ(恩義?)
C:上司達が道化訳を演じることによって、上司に対する親近感を醸成する
D:それによって上司への不満をガス抜きしたり和らげたりする
といったところか。そういう . . . 本文を読む