今回は数ヶ月前に最終巻が発売された「ぼくらの」の覚書。それにしても、改めて見て全然読めてないと感じる。まあだからこそ今までまとまった形で掲載しなかったんだけど。とりあえずもう一度最初から読み返しやね。ちなみに完全ネタばれです。またフラグメント自体は、断片ゆえに様々な内容を含むことで同時にハブのような役割も果たしている。そのため注釈をつけることも結構やってきたが、しばらくは最低限の説明だけ添えること . . . 本文を読む
たとえ周囲が「地雷」だらけでも踏み出すべし!という要求は非現実的だ。というのも、そんなコミュニケーションコストを払わなくたって、ネット(ゲーム、ブログ、ツイッターなど)を初めとしてオルタナティブがいくらでも存在するからだ。まあ価値観が全く違うのに波風立てるなと言われりゃおそろしく表面的な話に終始するしかないし、そこまで無理して対面で話さなくてもいい方法が確立されているなら、そっち方面でネットワーク . . . 本文を読む
「『調和』と『地雷』」において、今日の日本においては価値観の多様化が不可逆であるとともに、「とにかく他人と波風を立てない」といったコミュニケーションの規範が実態と乖離しており、それが生きにくさと「社会不適合者」増大の要因になっていると述べた(それだけが原因というわけではない)。
ところで、「みんな仲良く」という「調和」の在り方を重視する人は、他人を信じた方が実はお金が儲かるという実験結果などを . . . 本文を読む
多様な価値観の存在という不可逆な現実がある以上、「調和」が重要だと言う場合には、その中身を明確にした上で妥当性を精査しなければならない。さもないと、「空気」が支配権を握り続け、「周りは地雷だらけ」という状況とそれのもたらす生きにくさは永遠に変わらないどころかむしろ悪化していくに違いない。
ここで重要なのは、たとえば「昔は調和していたように見えるかもしれないけど、自分の考えと周囲の意見がかみ合わ . . . 本文を読む