A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

武相荘

2010年11月14日 20時03分52秒 | 老後
11月10日(水)




若い時にオーストラリア・シドニーに暮らした3家族が
日本に帰ってきてから年に一度定期的に集まっている。
「シドニー会」と名付けて今回で24回目の集まりとなる。

毎年どの様な集まりにするか考えるのが楽しい。
今回は前々より気になっていたが行く機会がなかった
白洲ji次郎の「旧白洲邸・武相荘」の見学となった。





この門は東京から移築したらしい

門の所に置いてある「臼」は新聞受け






門の先は母屋。
茅葺き屋根の田舎家を買取。
内部は田の字になっており入口が「たたき」
「馬小屋」囲炉裏の居間」「寝室」をラウンジとか客間に
リフォームされている。
戦争が始まったので食料を自給自足しようという白洲次郎の先見の明も
あったのだろうがイギリス生活で学んだイギリス貴族の真似ごとをして
カントリーに住んでみたかったのかもしれない。

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我々6人 シドニー会の面々
小春日和のなか 取り留めのないおしゃべりが延々と続く。






母屋の裏は小さな散歩道になっている。
次郎は松茸が好物だったようだがここではタケノコが採れそうだ










今は門の前のミュージアムショップとなっている建物は納屋だったそうだ。
御百姓道具から芝刈り機 掻き氷機まである。
当時としては随分ハイカラな御百姓さんだ。





















白洲正子は青山二郎に骨董の手ほどきを受け
文化人の仲間入りをしたのだろう。
家族が住んでいた時は増築したこの建物の一階が食堂 二階が子供部屋。
その後 子供部屋は正子の書斎となり平成7年正子が亡くなるまで
執筆活動の場として使っていたそうだ。




この建物は空襲で焼け出された河上徹太郎が2年間
転がり込んで住んでいたところ。




これでシドニー会の第一部は終わり。
第二部は小田急鶴川駅の近くの蕎麦屋に会場を移す。
何でも有りそうな飲み屋の様な蕎麦屋だが
不思議な事に天婦羅がない。
従って「天婦羅そば」はできない。
天婦羅そばのない蕎麦屋なんて存在するのだろうか?

蕎麦屋の女将は御愛想が大変よろしい。
しかし夫婦二人で切り盛りしているので中々注文の皿が出てこない。
そんなことはあまり気にせず我々6人は御話の続きで盛り上がる。
不思議な事に蕎麦屋の客席の片隅で「絵手紙」のレッスンをやっている。
1200円で絵手紙を上手に指導して描き上げさせてくれる。
絵手紙の先生・生徒さんともお話をしたり
ちょっと筆の使い方を教えてもらったり面白い蕎麦屋だった。
最後はスタバでコーヒー。
これで今年のシドニー会は無事終了。