「キル・ビル」のルーツを探せ!(その19)★邵氏兄弟有限公司(ショウ・ブラザース)の功夫片
■「嵐を呼ぶドラゴン/Heros Two」(1972年・香港)
監督=チャン・ツェー
主演=チェン・カンタイ アレクサンダー・フーシェン ジュー・ムー
「vol.1」のオープニング。傷だらけのフィルムで高らかなファンファーレと共に出てくるのが、ショウ・ブラザースのロゴ。タランティーノはこの会社が製作した荒々しい功夫映画の大ファン。「キル・ビル」の脚本執筆時に、一連の作品群を改めて見なおしたと言われる。ショウ・ブラザースは60年代から80年代にかけてアジアを代表する映画製作会社として存在した。カンフー映画だけでなく、ミュージカルやドラマなど様々なジャンルの映画を製作していた(思えば「北京原人の逆襲」もここの製作だ)。60年代に武侠映画(剣劇)、70年代のカンフー映画ブームで数多くの名作・珍作・名監督・名優を輩出した。この「嵐を呼ぶドラゴン」はショウ・ブラザースの”少林英雄傳四部作”第1弾として製作された作品である。ちなみに助監督はジョン・ウー。
主人公は実在の少林英雄、洪煕官と方世玉。清朝による少林寺焼き討ちからこの映画は始まる。焼き討ちから逃れた洪煕官。同門の英雄とは知らずに、方世玉は清朝の手先が洪煕官をとらえるのに力を貸してしまう。方世玉は自分の行いを恥じて、仲間と共に洪煕官を救いだす。そしてクライマックスは、丘の上での死闘。悪役はチベット武術の達人を率いて現れ、主人公達も苦戦するが、洪煕官の虎型拳と方世玉の鶴型拳を合わせて勝利を収める。しかし、明朝復興を望む漢民族と清朝との戦いは続く・・・というお話。
監督のチャン・ツェーは”ショウ・ブラザースのサム・ペキンパー”との異名を持つ映画監督。つまり暴力描写が多い。「嵐を呼ぶドラゴン」のラストでもとどめがさされる場面は画面が赤く反転して強烈なイメージを残すし、「キル・ビル」同様目をえぐる攻撃もやっぱり出てくる。とにかく善と悪がまっすぐに戦う、他の人間ドラマ的要素は徹底して排除される実にピュアな映画。この単純明快さがいいんだよね。洪煕官に扮するチェン・カンタイが男っぽい荒々しいイメージなのに対して、方世玉扮するアレクサンダー・フーシェンは白い扇なんか持っちゃって、すっごくニヒルなイメージ。フーシェンはイギリス貴族が父親で気品あるルックスが人気を呼んだ(僕はアルフィーの高見沢俊彦にしか見えないのだが)。しかし自動車事故で29歳の若さで死去。タランティーノはインタビューで「アレクサンダー・フーシェンが生きていれば彼にも「キル・ビル」に出て欲しかった」と述べている。
■「嵐を呼ぶドラゴン/Heros Two」(1972年・香港)
監督=チャン・ツェー
主演=チェン・カンタイ アレクサンダー・フーシェン ジュー・ムー
「vol.1」のオープニング。傷だらけのフィルムで高らかなファンファーレと共に出てくるのが、ショウ・ブラザースのロゴ。タランティーノはこの会社が製作した荒々しい功夫映画の大ファン。「キル・ビル」の脚本執筆時に、一連の作品群を改めて見なおしたと言われる。ショウ・ブラザースは60年代から80年代にかけてアジアを代表する映画製作会社として存在した。カンフー映画だけでなく、ミュージカルやドラマなど様々なジャンルの映画を製作していた(思えば「北京原人の逆襲」もここの製作だ)。60年代に武侠映画(剣劇)、70年代のカンフー映画ブームで数多くの名作・珍作・名監督・名優を輩出した。この「嵐を呼ぶドラゴン」はショウ・ブラザースの”少林英雄傳四部作”第1弾として製作された作品である。ちなみに助監督はジョン・ウー。
主人公は実在の少林英雄、洪煕官と方世玉。清朝による少林寺焼き討ちからこの映画は始まる。焼き討ちから逃れた洪煕官。同門の英雄とは知らずに、方世玉は清朝の手先が洪煕官をとらえるのに力を貸してしまう。方世玉は自分の行いを恥じて、仲間と共に洪煕官を救いだす。そしてクライマックスは、丘の上での死闘。悪役はチベット武術の達人を率いて現れ、主人公達も苦戦するが、洪煕官の虎型拳と方世玉の鶴型拳を合わせて勝利を収める。しかし、明朝復興を望む漢民族と清朝との戦いは続く・・・というお話。
監督のチャン・ツェーは”ショウ・ブラザースのサム・ペキンパー”との異名を持つ映画監督。つまり暴力描写が多い。「嵐を呼ぶドラゴン」のラストでもとどめがさされる場面は画面が赤く反転して強烈なイメージを残すし、「キル・ビル」同様目をえぐる攻撃もやっぱり出てくる。とにかく善と悪がまっすぐに戦う、他の人間ドラマ的要素は徹底して排除される実にピュアな映画。この単純明快さがいいんだよね。洪煕官に扮するチェン・カンタイが男っぽい荒々しいイメージなのに対して、方世玉扮するアレクサンダー・フーシェンは白い扇なんか持っちゃって、すっごくニヒルなイメージ。フーシェンはイギリス貴族が父親で気品あるルックスが人気を呼んだ(僕はアルフィーの高見沢俊彦にしか見えないのだが)。しかし自動車事故で29歳の若さで死去。タランティーノはインタビューで「アレクサンダー・フーシェンが生きていれば彼にも「キル・ビル」に出て欲しかった」と述べている。