■「かぐや姫の物語」(2013年・日本)
●2013年毎日映画コンクール アニメーション映画賞
●2014年LA映画批評家協会賞 最優秀アニメ賞
●2014年ボストン映画批評家協会賞 アニメーション映画賞
監督=高畑勲
声の出演=朝倉あき 高良健吾 地井武男 宮本信子
日本最古の物語とされる「竹取物語」は、これまで数々の映像化がなされてきた。僕らは幼い頃からそれを幾度も目にしてきた。小学校高学年の頃には、竹取物語は平安時代に異星人との接近遭遇があったことの伝承だとかいう説を少なからず信じていたし、「ウルトラマンA」で南夕子が月に帰ると言い出すエピソードに心震わせたものだ。80年代には市川崑監督が実写映画化。沢口靖子のかぐや姫と「未知との遭遇」のパロディのようなUFOが現れた。日本人として親しんできたお話ではあるのだが、わからないのはかぐや姫自身が何を考えていたのかだ。おそらく多くの人は、月からやってきて地球人を引っかき回した挙げ句に帰ってしまったお姫様くらいにしか思っていないだろう。ジブリの鈴木プロデューサーは、いつか誰かが取り組むべき題材だと思っていたと聞く。そして長い製作期間を経て完成したのが、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」なのだ。
教科書でも読んだ竹取物語の冒頭が宮本信子のナレーションで流れて、映画は幕を開ける。これまでのジブリアニメは細部まで描き込まれた緻密さが印象的だった。「風立ちぬ」でも関東大震災の数秒に1年以上絵が直され続けたと聞く。対照的に、「かぐや姫の物語」で目を引くのはそのシンプルな線の作画だ。刷毛や筆のはらいまで生々しく、淡い色調の絵は、翁のやさしい表情はとにかくやさしく、苦悩するかぐや姫の表情はとにかく険しく。背景も最小限の絵で表現し、観客には銀幕に現れる登場人物以外の余計な情報はまったく与えない。それは観客の意識を登場人物に向けさせる高畑勲監督の演出の巧さ、潔さ。かぐや姫の成長はとにかく謎めいて描かれる。まるでタケノコのようにすくすくと成長する彼女を、村の子供達は"たけのこ"と呼んだ。あぁやっぱり異星人なんだよ。「ヤマトよ永遠に」でイスカンダル人が地球での成長が早かったもんなぁ・・・とつまらないことを思い出したりもする(苦笑)。子供達が歌うわらべ歌の続きをなぜか彼女は知っている。子供達の交流がほのぼのと描かれる一方で、前半で印象的なのは年老いて子供をもつことになった翁(声は遺作となった地井武男)と媼の溺愛ぶり。黄金を手にして姫のために都に屋敷をこしらえ、村を後にする場面からかぐや姫の心情は強く描かれていく。
都の暮らしを最初は喜んでいた姫だが、次第に村の子供達と会えなくなった寂しさを募らせていく。おつきの女童の愛嬌あるキャラクターが時折笑いを誘うが、中盤の空気は重い。目の前の現実と自分の存在意義に苦悩するかぐや姫が描かれる。姫のお披露目の宴が三日三晩開かれても、姫自身はそっちのけの現実。育ってきた村の環境を懐かしむ姫。幼なじみの捨丸との苦い再会。次々にやってくる求婚。私のことは何一つ知らないのに。結婚に逆らう姫が貴公子達の言葉を逆手に、数々の難題を言うくだりはオリジナル通りにユーモラス。今の自分の年齢で見ると、男という生き物の身勝手さと愚かさを感じずにはいられない。次々に結婚を申し込まれて貴公子をあしらい続けたかぐや姫。それが僕らが抱いていたイメージだったが、彼女はここで再び涙にくれる。自分が結婚を拒み続けたばかりに命をおとす者まで出て、何も自分を縛り付けることのなかった昔には戻れない現実。どうにもしがたい貧富の差。そしてある月夜に姫は・・・。
かぐや姫が何を考えていたのか。上っ面のストーリーだけで語られがちだったこの物語を、高畑監督は血の通った温かい物語に仕上げた。監督が78歳の監督作としてのこしたかったもの。それは美しいニッポンの姿。こんな美しい物語が遠き昔から語り継がれて、こんな美しい風景があって、ひとつひとつの出来事に喜び涙する心ある人間がいる。そんなニッポン。たいせつなものを思い出させてくれる、という言葉でこの映画を語るだけでは物足りない。人が人を思う気持ちをありがたいと思える。それが尊いものだと教えてくれる。主題歌を歌うのは僧侶でもある二階堂和美。
あなたに触れたよろこびが 深く深く/このからだの端々にしみ込んでいく
いまのすべては過去のすべて/必ずまた会える懐かしい場所で
「いのちの記憶」の歌詞が心に染みるラストシーン。古(いにしえ)のよき物語と現代人の心がひとつになる美しいエンディングが待っている。