山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

志賀直哉「小説の神様」も彷徨した『暗夜行路』

2014-03-05 13:05:58 | 読書
 志賀直哉の長編『暗夜行路』を読んだ。
 前編は、いかにも実業家のお坊ちゃんの小市民的なエゴにうんざりする。
 評論家小林秀雄が日本の「私小説」は「私」の社会化が成就されていないと指摘したが、まったくそのとおりだと思う内容だった。
 がまんしながら読破をめざす。

                            
 完結するのに17年もかかったという。
 後編になると志賀直哉らしい描写力が発揮されてくるが、完結になかなか至らなかった「小説の神様」の迷走振りが出ているように思った。

    
 島崎藤村『夜明け前』の近代の相克の悩みに比べ、志賀直哉のミーイズムの狭さが最後までつきまとう。
 「下等」とかいう類似言葉がよく出てきたが、それに象徴される「上から目線」が気になってしまう。
 祖父が足尾銅山開発の中心人物、父が明治財界の鉄道・保険会社の取締役という環境がそうさせたように思う。

                     
 これを読んでみて「小説の神様」と言われた志賀直哉は、長編を支えるほどのベースがないのではないか、「短編」の描写力で生かすしかなかったのではないか、と穿った見方をしてしまう。
 したがって、『暗夜行路』が志賀直哉の代表作であり、近代日本文学の代表作という一般的な評価はどうしても納得できない。

直哉の短編『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』『小僧の神様』も読んでみた。
 さすがに無駄のないリズムある的確な文章だった。
 志賀直哉は短編にこそ本領発揮だったことを確認した。
                              (画像はインターネットから)
コメント
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