山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

戦国夢街道を往く/「ぷぶふの日」①

2018-05-20 21:46:04 | 旅行・散策

 「ぷ」らっと来て、「ぶ」らっと見て、「ふ」らっと寄って、人と自然を楽しむ日が、森町の「ぷぶふの日」ウォークイベント。いつも気にしてはいたがやっと参加することができた。コースは戦国の武田・徳川勢の攻防がこの山中で行われたほどの交通の要所だった。

              

 実際、徳川勢が初戦で敗退したとき討死した武将を村人が手厚く葬った「七人塚」を発見。狭い街道沿いにはこうした石碑や木造の説明板が設置されている。とりあえず、急峻な坂道を登りながら「駐車場」の小学校跡に向かう。

 

 

                   

 山道にはY字路が多くあり、初めての訪問者には案内板があるのが救いだ。駐車場には到着したものの、目標のポイントの寺社やオープンハウスがわからずかなり迷ってしまった。その辺の詰めが今後の課題だ。なんとかたどりついたが、ポイントの近くには黄色の幟旗がある。

 

        

         

 連なる山々を見ながら、曹洞宗「太慶寺」に行く。室内は自前の森から伐り出した銘木や柾目板・一枚板がふんだんに利用されていた。往時の林業が活発であったことが想像された。住職は腰が低く気さくに説明してくれた。

 

     

 欄間には、「七宝」文様という組子欄間があった。円(縁)が無限につながりますようにという願いが込められているらしい。組子の多くは直線が主流だが、曲線は手間がかかり高価でもある。これがあるということにも、山奥でも往時の地域の財力がわかる。つまり、山暮らし・田舎暮しは現代では生活できない、「貧しい」ということでもある。

         

     

                                 

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