衝動的に読み始めた、山口昌男『「敗者」の精神史』(岩波書店、1995.7.)をやっと読み終える。600頁近くの2段組の辞書みたいな本だ。幕末に薩長に抗して戦った「佐幕派」の敗者が明治以降、苦労しながらもしなやかに生きてきた「もう一つの日本」を形成していった軌跡の記録だ。大佛次郎賞を受賞した労作でもある。
圧巻は冒頭に出てくる「三越」百貨店の人脈だった。日比翁助を中心として明治政府中枢の政財界・文化人をはじめとした人的ネットワークが有機的に登場し、日本で初めてと言われるデパートの経営改革や文化活動が実行される。
とりわけ、その児童文化活動は大正期には結実となっていく。また、関連する文化人グループやブレーンが集結し、例えば幸田露伴・岡倉天心・佐々木信綱・新渡戸稲造・伊藤博文・巌谷小波・大川周明・岸田劉生・山本鼎などが登場している。新宿中村屋のサロンが有名だが三越はそれ以上に広く深い影響力を持ったサロンが形成されていたことがわかる。
画家の淡島椿岳・寒月父子の趣味・収集に込められたアウトロー的な生き方の根本は、「薩長の田舎者に江戸を蹂躙された」とする憤りがある。その周辺には露伴・天心・米遷らの趣味グループ・「根岸党」が作られ、「明治とは敗残の時代で、江戸の<詩>は破壊された」とし、遊び精神のダンディズムに活路を観る。「趣味」という言葉が市民権を得る。
また「民本主義」の吉野作造の多様な人的ネットワークは、複層的なつきあいができる人柄が伝わってくる。
大正から昭和初期、多摩で市民活動を展開した松井翆次郎(スイジロウ)を初めて知った。観念的だった「自由大学」運動に対して、松井は農村を基盤にした多様で自立的な知を重視した活動は今では先験的な金字塔でもある。もっと、発掘したい人物でもあるが、関連図書も少ないなかでよくここまで紹介してくれたと作者に敬意を表したい。。
幕臣の「八王子千人隊」が静岡に移住したのも初耳だった。旧幕臣による「沼津兵学校」の教育や明治メソジスト教会の「静岡バンド」が注目だったが、紙数が足りなかったのが残念。
膨大な人物が登場したが名前にルビをふってほしかった。大河ドラマでは会津藩士だった山本覚馬・八重が登場したが、本書に出てくる顔ぶれの多くは実際には除外されたままだ。勝ち組の歴史観がいまだ強い現状はそのまま現代の中国・米国・ロシアなどの顔ぶれが浮かんでくる。その中で、小さな声を届けるのは至難な空気がある。さらに沖縄基地返還・原発廃止・核廃棄・米軍基地撤去・軍縮がいまだ実現できない日本とは何かを考えるうえで、本書の価値があるが、ちょいと難しすぎるのが欠点だ。