山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

なんとか生き抜いた「砂川」の青面金剛像

2020-02-20 00:07:55 | 石仏・石造物

 春野町でも風光明媚な「砂川地区」の公民館(寺院境内)横に、石仏群14体が並んでいる。その多くが朽ちたのか破壊されたのか、まともな石仏がない。おそらく、明治の廃仏毀釈(キシャク)の影響で破壊されたのは想像できる。そのなかで、庚申様の主尊・青面金剛像が2体あった。1体は破壊されてかすかに弓矢を持っているのがやっとわかるくらいの石仏だが、もう一体を見てみる。

 

  庚申石仏の標準形式は、「6手合掌型」が多い。この像も、上の手の右側に「弓」、左に「矢」が確認できる。中央の手は合掌し、下の手の右側は煩悩を破る武器「金剛杵(コンゴウショ)」、左側の腕や手は欠損して不明だが、不倫の女人・「ケショラ」か逮捕用?の「羂索(ケンサク)」かを持っていたように思える。ケショラであれば女性蔑視が堂々と表現されていることになる。そこは民間信仰の「道教」らしい。

        

 青面金剛の表情は眼が吊り上がり憤怒の形相だ。石のてっぺんには、左右に月と太陽が定型配置されている。真ん中に何かが彫られているようだが解読できない。ふつうは何もないはずだが、間が空き過ぎなので「法輪」か「鶏」・「梵字」かがあったのではないかと謎が深まる。

        

 足元には、定番の三猿(聞かザル、見ザル、言わザル)を何とか読み取れる。石碑の形式は上端にまろやかなカーブを持つ「舟型」(C類)のようだ。その裏側は粗削りに彫ってある。それはともかく、破壊された石仏をきれいに並べた集落の心が美しい。

 

  上の表は従来、庚申塔の形式を板碑型・特殊型・光背型・板状駒型・笠付型・柱状型の7種類に分類してきたものをさらに手直しした、石神裕之『近世庚申塔の考古学』(慶応義塾大学出版会、2013.4.)からの引用だ。これで読み解くと石碑の傾向がわかりやすくなる。

  石碑の8割が欠損・破壊状態のなか、何とか生き抜いた庚申の主尊・青面金剛の憤怒の形相が歴史に向かっている。嘘と隠蔽がまかり通るのを許してしまっている日本の平和ボケを青面金剛は苦々しく思ってはいないだろうか。歯をむき出しているように見える。

   

 

 

 

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