山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

トマトハウスの解体

2019-09-10 21:07:38 | 農作業・野菜

 きょうもくそ暑い日となった。そのため、しっかりぐーたら昼寝を決め込み夕方からトマトハウスの解体の続きを始める。昨日は1mくらいに伸びきった周りの雑草の草刈りをしておいたので解体がやり易くなった。ビニールカバーは物干しに掛けておいて乾かしておいた。

         

 2mほどの高さがある支柱は使いだしてほぼ10年になる。突風で曲がったものも取り換えたり、錆びた接続部分に油をさしたり、だましだまし今日まで生き延びてきた。支柱の解体はこれで終了となるが、このポールのメンテナンス・畝の荒耕・竹の支柱除去などの後始末はこれからだ。

     

 そのうちに、頭と顔がポッポとしてきたので作業を終わりにして冷凍庫から氷入りのペットボトルを取り出して枕にする。このところの酷暑にはこれが有効だ。なにしろ、エアコンがないのだからアナログで対処するしかない。作業の終わりにシャワーを浴びるとき、頭に水をかけるのはさらに有効だ。

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ゴキブリが稀な理由

2019-09-09 20:16:57 | 生き物

 昨日は10mmほどのアマガエルがやってきた。きょうはアブと蛾が侵入してきた。あいかわらず、闖入者ににぎわうわが家だ。そのうえ、過酷な残暑はオイラを熱中症予備軍にしてしまう。だから日中はたっぷり昼寝をとる。そのときそれとなく天井をみてみると、なにかの模様か染みかが見えた。よーく見たら蜘蛛だった。

       

 立ち上がってよく見たら、わが家の居候の「アシダカグモ」♂だった。まるで人面蜘蛛のような模様がある。この不気味な模様のため「不快害虫」とされるが、人間には益虫なのだ。この蜘蛛が家に数匹いれば半年くらいでゴキブリがいなくなるという。わが家の隠れやすい古民家であればゴキブリの巣窟になってしまう。

  しかし、仕事師・アシダカグモのおかげか、思ったほどゴキブリは少ない。アシダカグモの俊敏な動作を視ればゴキブリより素早いのは納得できる。突然出てくるアシダカグモに和宮様もびっくりはするが、「アシダカグモよ、仕事をしっかりやっておくれよ」と話しかける。

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死体から出てくる「死出虫」

2019-09-08 22:32:52 | 生き物

 わが家の夜の訪問者は蛾とバッタが首位を競っている。その中で、シデムシの仲間でいちばん大きい「クロシデムシ」(シデムシ科)がやってきた。シデムシは動物の死体を埋めてから卵を埋めつける。そのため、「埋葬虫」との別称もある。髭の先は太く膨らんでいるのも同定の手がかりだ。

         

 また、腹の先は前羽から飛び出しているのも特徴だ。黒光りして大きいので最初はカブトムシのメスかと期待してしまった。このように森を徘徊する掃除屋は無視・差別され続けている。本屋に行ってもカブトムシやクワガタムシの本はいくらでもあるが、シデムシやカメムシなどの本は皆無だ。売れるための本づくりは偏見や差別を生み出すのがここでもよくわかる。生物多様性とはいいながら目立たない生き物の市民権を得るのには時間がかかる。人間とくに少数民族や信仰問題と同じことが虫の世界にも垣間見える。   

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夏はキュウリ漬け三昧

2019-09-07 06:28:25 | 食彩・山菜・きのこ

 キュウリは二日に一回のペースで収穫している。すると少なくとも籠いっぱいあふれるほどとなる。とても食べきれないので、まわりに食品ロスにならないよう協力いただいている。収穫の際は、カビ菌にやられた葉をどんどん除去することで伝染を防いでいるが追いつかない。

            

 和宮様が塩麹をじきじきに作ってくれるので、塩麹漬けのキュウリを毎朝3本くらいいただいているのが日課だ。それまでは農協の「朝漬けの素」とかいろいろレシピを試してみたが、今はほとんど毎日塩麹漬けで、食べていて飽きない。この旺盛なキュウリに対しては追肥はしていない。そのためもあるのだろうか、そろそろこの収穫作業も終盤になってきている。

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万願寺とうがらし&ゴーヤーの収穫へ

2019-09-06 20:04:01 | 野菜・果樹

 きゅうりの収穫がいよいよ後半になってきたいま、遅かった万願寺とうがらしの収穫が多くなってきた。たった2本しかないのにけっこう実が着いている。すでに赤くなっているのもあった。このルーツは大正末期から昭和初期に京都・舞鶴市の万願寺地区で作られたものだ。地域的特性や高い品質が知的財産として認定保護される制度の「GIマーク」の表示がされている。130~230cmの長さの実は「秀」とされる。

        

 このところポコポコとゴーヤーも急に成りはじめた。キュウリのようにそう毎日は食べられないので、近隣にもおすそ分けしている。生い茂ったゴーヤーの葉をかき分けて探さないと見つからない。名称は、農学・園芸学では「ツルレイシ」といい、生物学では「ニガウリ」といい、沖縄では「ゴーヤー」と多彩だ。ちなみに、沖縄では、5月8日は「ゴーヤーの日」にしている、だって。

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終戦直後の良心・長與善郎

2019-09-05 08:49:52 | 読書

 本の片づけをしていたらやはり奥のほうから薄汚れた古本が出てきた。白樺派の長與善郎『一夢想家の告白』(朝日新聞社、1946.5)だった。戦時体制に対して終戦直後の良心的知識人の考えがわかるかも、とすぐ処分しないで読んでみる。わら半紙のような煤けた用紙に薄く印字されているので、虫眼鏡を頼りに解読する。だがしかし、漢文の素養がある作者の語彙は漢和辞典なしにはすすめられなかった。また、西洋の知識も造詣が深く、混乱する終戦直後の良心的な知識人の一翼をになっていたのがわかる。

           

  中扉に描かれた「スミドロン」の白骨の頭部の絵が象徴的だった。スミドロンはジャガーに近い古生物。その鋭い牙で地上の覇者となった。しかし、成長しすぎた牙は自らの命取りとなり、絶滅してしまう。作者はそれを満州事変を起こした関東軍の侵略的膨張とだぶらせている。ここに本書のすべてを表現させようとしているところはさすが芸術的な白樺派だ。長与一族は華麗なる一族でもある。父は内務省衛生局初代局長で、日本の医療制度の開拓者。長男の妻は後藤象二郎の娘。長姉は松方正義の長男の妻。三兄は東京帝大総長で、その妻は森村財閥創始者の娘。四兄は同盟通信社初代社長。

 善郎は、戦時中の軍部の侵略的戦果に溜飲が下がる喝采を秘かに送っていたことを告白している。しかし、軍部が犯した侵略的略奪や殺戮に対しては「知らなかった」として済ましているように思える。そのへんの甘さはやはり華麗なる一族・白樺派のお坊ちゃん的限界なのかもしれない。

                       

 国民が戦時体制に巻き込まれた原因について、善郎は「国民に自主性が足りなかった」と結論づけた。つまり「ものを判断し批判する物さしを常に外と他人とに置き、自らの内に真理と正しさとに対する自覚がはっきりしていなかったからである。物さしを外に置く故に常に右顧左眄(ウコサベン)し、何でも時流と世評とに追随する不見識な癖が生ずる」と指弾する。この指摘は「告白」というより上から目線さえ感じてしまうものの、内容は現代の世相にも相通ずるものがある。

 最後の結語として青年向けに、「人生の広さは無限なのだ。そして人間は、君らが思うよりも楽しく元気に生きられるものなのである」と結んでいるところは白樺派らしい楽観主義を貫いている。

 

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モロヘイヤの「ビシソワーズ」

2019-09-04 08:22:12 | 食彩・山菜・きのこ

 モロヘイヤもそろそろ硬くなってきて、成長も緩んできた。そこで、和宮様じきじきのお手製「ビシソワーズ」を作ってくれた。慣れない言葉だがビシソワーズとは、フランス語でジャガイモの冷製ポタージュスープのこと。ジャガイモ・モロヘイヤを裏ごしして牛乳の代わりに豆乳でスープにしたものだ。バター・コンソメ・胡椒・塩などで味を調整する。まだまだ酷暑が続くなか、冷えたスープが快い。モロヘイヤのネバネバが砂漠の王侯にしてくれる

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イノシシの完勝

2019-09-03 21:01:31 | できごと・事件

 ついに、サツマイモ畑が完膚なきまでに荒らされ完食された。イノシシとの攻防は最終的にオイラの負けだった。害獣除けの自然薬剤も効かなくなっていたし、カモフラージュの防虫網も強行突破されて見事なまでにすべてのサツマイモが食べられていた。いつもだったら、数本は残しておいてくれたのに。

      

 「余計な仕事をまたやりやがって」とブツブツ言いながらタラタラと片づけに追われる。サツマイモの茎を活かそうとは思うが、今はやる気が挫かれる。今年のサツマイモは諦めるしかない。今回は入手が難しい高価な「シルクスウィート」を手に入れたものだった。イモはまだ未熟だがその甘い誘惑がイノシシを誘ったのかもしれない。熱中症にならないよう一息ついたらすぐに氷で首のまわりを冷やす。

          

 大まかな片付けが終わり、頭や首を冷やしたので夕方は気合を入れて向かいの落花生畑の防御にとりかかる。次に狙われるのはまさにここしかないからだ。昨日のうちに支柱を打ち込んで周りを固めたのできょうは防虫網をセットする。向かいの家の畑も里芋をやられたという。

 

 安心するとまた急襲されるので、一週間ごとにカムフラージュは変えていかなければならない。近くのハンターによれば、15日過ぎになれば害獣駆除期間が始まるのでもうしばらくの辛抱だという。電気柵も有効なのはわかるができるだけ使わないでいたい。最近は猿軍団も暗躍しているという情報も流れている。いやはや今年は害獣との戦に翻弄される。

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緑陰でこじんまりと

2019-09-02 20:26:55 | 市民活動・まち育て

 春野山の村で開催された「ラブファーマーズカンファレンス」は昨日で終了。知り合いも講師やボランティアで活躍していた。緑陰広場では幼児向けの読み聞かせが行われていた。外の光と風を受けながらの絵本の読み聞かせはぜいたくな幼稚園となっている。

    

         

 高齢者のわりには剛健だった草木染め講師の鶴田さんは、篭の売店をひとりで担当したり、連日泊まり込みの疲労が続いたり、さらに歯痛で頬を冷やしたりと、さすがに疲労困憊だった。しかし、草木染めの講師を始めるといつもの元気な姿にもどっていた。お疲れ様でした。

         

 中央広場の緑陰ではシカ皮のなめしワークショップも行われていた。春野山の村もシカやイノシシのジビエ解体作業をやっているので、こうした技術はいずれ不可欠の作業になっていくに違いない。

     

 昼食は千葉から来たというpizza屋さんの野菜ピザを食べる。味はピザソースやチーズのような濃い味をやめて、野菜の素材そのものを引きだすような配慮を感じた。このピザは「ビーガンピザ」といって、人間のための動物の飼育や食肉をはじめ、毛皮・見世物を否定している運動の流れをくむ。だから、肉はいっさい入っていない。ベジタリアンより徹底している。

 また、知り合いの小栗さんらが出店しているブティック「PAYAKA」に行って、タイ産の麻の羽織を着てみた。肌触りや色合いが気に入った。今月、「麻」についての映画の自主上映も本店で企画しているという。

 

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講座もワークショップもゆるりと

2019-09-01 22:27:26 | 市民活動・まち育て

 「ラブファーマーズカンファレンス」2日目。豊富なプログラムの中で塩見直紀さんらの話を聞きにいく。会場は中央広場特設ステージだ。丸太を切り抜いたスタッフ手作りの木彫と飾りが見事に据えられている。ステージ左側は「LOVE」、右側は「FARMERS」と読める。そこに、塩見さんと地元若手の農家・中村勇貴くんと養蜂家の塩見竜太くんとが登壇する。時間が短いので企画のうえでは塩見さんの話だけでも良かったが、個人的には地元若手の中山間地でいきいき生きる暮らしぶりを知ることができたのが良かった。

     

 オイラのブログの表題にもなっている「半農半X」ネーミングの生みの親・塩見さんを初めて拝見した。塩見さんはバリバリのリーダーというより訥々とした自然体の語りが魅力的だった。塩見さんの語り時間は短かかったものの、農閑期の冬は思索するチャンスであることを強調していたのが印象的だった。

         

 次に参加したのは、イラストレーターで山暮らしワザの本をたくさん出している・大内正伸さんのワークショップに行ってみた。テーマは、丸太を半割りしてから厚板を作っていくノウハウだった。そこに使う道具としては、クサビとヨキ(斧)が重要となる。その使い方のコツを丁寧に教えてくれた。

            

 板の面取りのために「チョウナ(昔の鉋)」も使わしてもらった。鋭く削れていくのが快い。また、ナタの仲間の珍しい道具(名前は?)も紹介してくれた。薄い端材を薪にしていくのに便利だという。それは今では入手が難しいので特別に注文したという。また、ハンディにできる焚き火のコツや木と縄で作る自在鉤も紹介してくれた。

 

 中央広場では盆踊りが行われていた。踊りの指導は鎌倉から来た「イマジン盆踊り部」や地元の「なでしこ」・「浜松盆部」が活躍。アジアンスタイルの若者も輪に混じっていたのが素晴らしい。

 こうして、集会は大団円となる。若者や幼児の目立つ集いであるのが特徴で彼ら自身が自然体で楽しんでいるのが強みだ。さらに、若いアーティスト・ミュージシャンの存在が既成のイベントを越えている。それらが今後、集会の目的を持続的に推進していくバネになっていくかどうかがカギだ。

 また、地元の「ジビエ・ジミート」や「母さんの店」の定着も大きい。しかしながら、参加者の減少は財政的にも打撃であることは否めない。それは集会として何を獲得目標とするかによって、規模と対象を今後再検討するのが問われているように思う。

 

 

 

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