昨日、「今日、都市対抗野球でベスト4に残った門鉄(JR九州)の関係者の取材で、毎日新聞の記者が来るよ」、と江藤翁が話していたので、夕方毎日新聞を購入すると(多分、九州版)なるほど江藤翁のインタビュー記事が大きく載っていました。冒頭の写真。記事の内容は
門鉄OB「あと一勝を」
プロ野球・南海(現ソフトバンク)などで活躍した江藤正さん(88)=福岡県行橋市は、門鉄で戦後最初のエースだった。「大変よろこばしい。ぜひあと一勝を」と、頂点に挑む後輩たちにエールを送る。
江藤さんは旧制八幡中(現・県立八幡高校)から法大に進学し、在学中に学徒出陣。1946年3月に台湾から復員した直後、知人の紹介で門鉄入り。180センチの長身から繰り出す速球と豊富な変化球でエースとなった。
その後、当時の社会人チームだった大洋漁業(現横浜ベイスターズ)を経て南海へ。51年、初のオールスター戦では全パで先発。全セの故・別所毅彦氏(巨人)と投げ合った。
門鉄での野球生活はわずか6カ月。都市対抗出場もならなかったが、江藤さんの戦後の野球人生は門鉄から始まった。「毎日が一生懸命で、実は当時の思い出はあまりないが、縁の深いチーム。頑張ってほしいね」と、古巣の活躍を見守る。
昨日の農園でのバーベキューで「戦後最初の製門戦(都市対抗野球、八幡製鉄対門鉄で九州の早慶戦と称された)の第一球を投げたよ」と、おっしゃり、私が勝ったのかと聞くと、「完投で勝った」と、言う江藤翁。88歳とはとても思えない若々しい口調でした。
門鉄OB「あと一勝を」
プロ野球・南海(現ソフトバンク)などで活躍した江藤正さん(88)=福岡県行橋市は、門鉄で戦後最初のエースだった。「大変よろこばしい。ぜひあと一勝を」と、頂点に挑む後輩たちにエールを送る。
江藤さんは旧制八幡中(現・県立八幡高校)から法大に進学し、在学中に学徒出陣。1946年3月に台湾から復員した直後、知人の紹介で門鉄入り。180センチの長身から繰り出す速球と豊富な変化球でエースとなった。
その後、当時の社会人チームだった大洋漁業(現横浜ベイスターズ)を経て南海へ。51年、初のオールスター戦では全パで先発。全セの故・別所毅彦氏(巨人)と投げ合った。
門鉄での野球生活はわずか6カ月。都市対抗出場もならなかったが、江藤さんの戦後の野球人生は門鉄から始まった。「毎日が一生懸命で、実は当時の思い出はあまりないが、縁の深いチーム。頑張ってほしいね」と、古巣の活躍を見守る。
昨日の農園でのバーベキューで「戦後最初の製門戦(都市対抗野球、八幡製鉄対門鉄で九州の早慶戦と称された)の第一球を投げたよ」と、おっしゃり、私が勝ったのかと聞くと、「完投で勝った」と、言う江藤翁。88歳とはとても思えない若々しい口調でした。