ウクライナに攻め込んだロシアとウクライナの戦争が、連日報道されている。
数日でウクライナが敗戦と予想されていたのに、一月余りが過ぎ、ウクライナが逆にロシアを押し返している地域も出て、驚いたり拍手したり。
ウクライナやコサックにかかわる小説を思い出して読んでみました。
田舎生活をしていると、時間はいくらでも。
少年少女世界文学全集(講談社 昭和35年発行 四国の両親が子供たちに買ってくれて、今私の手元)のロシア編に「名工左利き」という短編小説がある。この小説は、小学生の時読んで、記憶に残っていたもの。たまたま最近読み返していた。
ナポレオンとの戦争にロシアが辛うじて勝利し、ロシアの皇帝が同盟国のイギリスを訪問、イギリスから工業技術を誇示するため、ゼンマイで動き出す小さいノミのおもちゃを贈られたので、お返しにそのノミのおもちゃの脚に、ロシア(ウクライナ)の職人が蹄鉄を打ってお返ししたという小説。職人の右代表でイギリスに渡った、左利きというあだ名の職人が、ついでにあちこち案内されて、イギリスでは中古の銃の手入れ、ロシアでやっているようなレンガ屑で銃身の内部を磨いていない、ロシア式では、銃の内部が広がって不発弾が増えると知り、急ぎ帰国するも、報告する前に帰りの船で酒を飲みすぎて死んでしまうという話。おかけで、その後イギリス・トルコ・フランス対ロシアのクリミア戦争では、ロシアが破れたという、小説。
コサック兵はナポレオンを追い出したというくだりがある。
「ところがここに、皇帝のおともをしているドン・コサックのプラートフ将軍と言うのがいて、皇帝が外国びいきになるのを喜ばず、・・。イギリス人たちは、すぐさま珍しいものをたくさん出してきて、それが戦の時、どのように使われるかを説明し始めた。・・・皇帝はプラートフにたずねた。「いったいどうしたわけだ。どうしてお前は、そんなに知らん顔をしていられるのだ。感心するものは何もないのか。」プラートフは答えた。「感心したことが、ただ一つだけあります。それはナポレオンがロシアを攻めてきたとき、わがドン・コサックの勇士たちが、こうしたものを一つも持たずに、勇敢に戦って、たくさんの敵軍を追っ払ったということです。」
坂の上の雲は、司馬遼太郎が10年かけて世に出した長編小説。日清日露戦争と、四国松山出身の正岡子規、秋山好古・真之の3人が主人公。日露戦争の時、秋山好古は日本の騎兵を率いて満州で当時世界最強と言われた、コサックの騎兵1万騎と戦うシーンかある。正面衝突は避けて、攻められると、基本的に地下壕に潜り、当時の最新兵器の機関銃を打ちまくって、負けを防いだり、200騎程の遠征隊をロシア軍の背後深く潜入させて、コサックの騎兵を前線から遠く離れた地点に配置せざるを得ないようにして、決戦でロシアにコサック抜きでの戦いを強いて、勝利するという離れ業を見せた。このコサックについて、司馬遼太郎が手短に解説している。「19世紀のロシアの大侵略時代にはこの地方(コースサス)もロシア帝国に併呑されてしまったが、それをきらって少数民族の反乱が多く、日露戦争当時も決してかれらはロシア体制に対して従順であったわけではない。このあたりに、コサックの部落が多い。コサックというその本来の意味はトルコ語で、「自由の人」という意味らしい。元来が、15世紀ごろロシア帝国の地主の圧迫に耐えかねて南へ逃げた農奴や都市貧民たちがつくりあげた集団で、選挙による首長をいただいて国家的束縛から自由になっているひとびとをさすものだが、その後、逆にロシア帝国の侵略のための屯田兵のような役割をつとめさせられたりした。・・・」(坂の上の雲 文春文庫5 p367)
司馬遼太郎の解説を読むと、ドン・コサックの子孫が多く住む今のウクライナは、イギリスから逃れた清教徒が建てたアメリカ合衆国がイギリスと戦った独立戦争とダブって見える。名工左利きを読むと、ウクライナ人はナポレオンやナチスドイツの占領を最後は覆した粘り強い民族と知れる。ロシアはウクライナに勝てない。
ロシアは、人のものを盗んで富を築くのではなく、戦後の日本がやったように、狭い国土を何倍にも有効利用して、経済力、国力をつけるように国のかじ取りをしたほうが、賢明と思われる。北海道のサロマ湖の漁師は、ホタテガイの養殖と沖合に稚貝を計画的に放流・捕獲することで、一軒当たり3000万円の収入を得ている。こうした勤労と技術を組み合わせた経済が平和と繁栄をもたらすと早く知った方がいい。
数日でウクライナが敗戦と予想されていたのに、一月余りが過ぎ、ウクライナが逆にロシアを押し返している地域も出て、驚いたり拍手したり。
ウクライナやコサックにかかわる小説を思い出して読んでみました。
田舎生活をしていると、時間はいくらでも。
少年少女世界文学全集(講談社 昭和35年発行 四国の両親が子供たちに買ってくれて、今私の手元)のロシア編に「名工左利き」という短編小説がある。この小説は、小学生の時読んで、記憶に残っていたもの。たまたま最近読み返していた。
ナポレオンとの戦争にロシアが辛うじて勝利し、ロシアの皇帝が同盟国のイギリスを訪問、イギリスから工業技術を誇示するため、ゼンマイで動き出す小さいノミのおもちゃを贈られたので、お返しにそのノミのおもちゃの脚に、ロシア(ウクライナ)の職人が蹄鉄を打ってお返ししたという小説。職人の右代表でイギリスに渡った、左利きというあだ名の職人が、ついでにあちこち案内されて、イギリスでは中古の銃の手入れ、ロシアでやっているようなレンガ屑で銃身の内部を磨いていない、ロシア式では、銃の内部が広がって不発弾が増えると知り、急ぎ帰国するも、報告する前に帰りの船で酒を飲みすぎて死んでしまうという話。おかけで、その後イギリス・トルコ・フランス対ロシアのクリミア戦争では、ロシアが破れたという、小説。
コサック兵はナポレオンを追い出したというくだりがある。
「ところがここに、皇帝のおともをしているドン・コサックのプラートフ将軍と言うのがいて、皇帝が外国びいきになるのを喜ばず、・・。イギリス人たちは、すぐさま珍しいものをたくさん出してきて、それが戦の時、どのように使われるかを説明し始めた。・・・皇帝はプラートフにたずねた。「いったいどうしたわけだ。どうしてお前は、そんなに知らん顔をしていられるのだ。感心するものは何もないのか。」プラートフは答えた。「感心したことが、ただ一つだけあります。それはナポレオンがロシアを攻めてきたとき、わがドン・コサックの勇士たちが、こうしたものを一つも持たずに、勇敢に戦って、たくさんの敵軍を追っ払ったということです。」
坂の上の雲は、司馬遼太郎が10年かけて世に出した長編小説。日清日露戦争と、四国松山出身の正岡子規、秋山好古・真之の3人が主人公。日露戦争の時、秋山好古は日本の騎兵を率いて満州で当時世界最強と言われた、コサックの騎兵1万騎と戦うシーンかある。正面衝突は避けて、攻められると、基本的に地下壕に潜り、当時の最新兵器の機関銃を打ちまくって、負けを防いだり、200騎程の遠征隊をロシア軍の背後深く潜入させて、コサックの騎兵を前線から遠く離れた地点に配置せざるを得ないようにして、決戦でロシアにコサック抜きでの戦いを強いて、勝利するという離れ業を見せた。このコサックについて、司馬遼太郎が手短に解説している。「19世紀のロシアの大侵略時代にはこの地方(コースサス)もロシア帝国に併呑されてしまったが、それをきらって少数民族の反乱が多く、日露戦争当時も決してかれらはロシア体制に対して従順であったわけではない。このあたりに、コサックの部落が多い。コサックというその本来の意味はトルコ語で、「自由の人」という意味らしい。元来が、15世紀ごろロシア帝国の地主の圧迫に耐えかねて南へ逃げた農奴や都市貧民たちがつくりあげた集団で、選挙による首長をいただいて国家的束縛から自由になっているひとびとをさすものだが、その後、逆にロシア帝国の侵略のための屯田兵のような役割をつとめさせられたりした。・・・」(坂の上の雲 文春文庫5 p367)
司馬遼太郎の解説を読むと、ドン・コサックの子孫が多く住む今のウクライナは、イギリスから逃れた清教徒が建てたアメリカ合衆国がイギリスと戦った独立戦争とダブって見える。名工左利きを読むと、ウクライナ人はナポレオンやナチスドイツの占領を最後は覆した粘り強い民族と知れる。ロシアはウクライナに勝てない。
ロシアは、人のものを盗んで富を築くのではなく、戦後の日本がやったように、狭い国土を何倍にも有効利用して、経済力、国力をつけるように国のかじ取りをしたほうが、賢明と思われる。北海道のサロマ湖の漁師は、ホタテガイの養殖と沖合に稚貝を計画的に放流・捕獲することで、一軒当たり3000万円の収入を得ている。こうした勤労と技術を組み合わせた経済が平和と繁栄をもたらすと早く知った方がいい。