石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2005年12月10日の石仏巡り

2005年12月11日 | Weblog
朝から北風の強い中を、今日も足利市へ石仏巡りに出かける。その目的は、ここの所の足利通いで、写真を撮れずにいた碑塔の撮影である。従って、目的地の定まっている石仏巡りは楽なもので9時頃には写真撮影に夢中になっていた。と同時に、確認していながらも、銘文確認が済んでいない2基の宝篋印陀羅尼経の書き写しを行う。
午前中に、目的としていた碑塔全ての写真撮影が終了。そこで気分を良くして、足利市荒金町へ入る。目指すは円性寺。来てみれば、そこは無住のお寺さんで、境内の中程に大きな宝篋印塔がある。今日3基目の宝篋印陀羅尼経を書き写す。また、南側の山門には、嬉しいことに享保年間の「十六日念仏塔」と「二十二夜塔」がある。台座に記された銘文一部が読めない悔しさで、ここで該当部分の拓本を取って解決。
暫く振りに快調な調査が進んで、ここまでで33基もの石造物を記録できた嬉しさで、持参したコーヒーを作ってのんびりする。流石の赤城下ろしも、この円性寺さんの一角だけには吹き込んでなく、師走の太陽を浴びながら、ついつい長居をしてしまう。
今日はここまで、として帰路に着くために北上していると、覚本寺の墓地募集の看板がある。その看板に吸い込まれるようにして、寄り道をしてしまう。そしてこれが、何とも嬉しい文字に出会えることになる。それは、境内の中心に聳える宝塔型宝篋印塔で、そこには県内で二例目となる非常に珍しい紀年銘に見る二十八宿の一つ「鬼宿日」という文字に出会ったのである。拓本を欲しかったが、時間の関係と風が強く寒いこともあって断念。いずれにせよ、この文字についての解説は、12月発行の拙著「石仏月報」に載せようと思っている。

※数メール、先週の石仏巡りの中でご紹介した足利市高松町・長昌寺で見た「戊子■吉旦」の中央の■文字について問い合わせがありましたので、その答をここで記しておきます。
それは、■の文字は「春」の古字で「屯+日」を縦に重ねた文字で、さらにそこに草冠を付けたものです。※これ、皆様を試しているのではなく、夜に辞典を見て調べて判った次第で、HPに掲載する時点では本当に私は読めなかったのです。<言い訳に聞こえませんよネ、特に東京在住の○さん!>

今回は、午前中だけで沢山の写真を撮りました。HPの石仏巡り記にはまだ掲載していませんが、おいおい掲載していきたいと思っています。そして来週は、今年最後の岩舟町へ行こうと思っています。その半分以上は、今年お世話になった方や寺院さんを訪ねての挨拶回りとしましょう。従って、新たな石造物巡りはしないつもりです。
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