今日は、午後から栃木県粟野町の自性寺さんを訪ねる。目的は、今年お世話になった御礼を兼ねての挨拶のつもりだったが、連絡もなしに行ったので生憎と不在だった。
仕方がない、夕方にもう一度寄ろうと時間つぶしを兼ねて周辺の石仏巡り(一箇所だけだが)をする。
そして地元の方に聞き込みをし、近くの大慈庵跡を訪ねれば、そこには享保三年銘の宝篋印陀羅尼経が刻まれた宝塔型宝篋印塔がある。思えば、粟野町の近世宝篋印塔調査があと1基というまま途中で何年もストップしていた。それが今日の出陣で、思いもかけずに完了することになる。享保三年銘の近世宝篋印塔は、当県では古い方の部類に入る物。早速その銘文を読んでみれば、何のことはない普通一般にありふれた内容で、書き写しはチョチョイと終えてしまう。
まだ時間があることを幸いと、その周辺にある碑塔も併せて調査する。十九夜塔に馬頭観音塔、そして横倒しになっている寛政庚申年の自然石庚申塔等々。そして終えてみれば、結局そこには1時間以上いたことになる。
粟野町郊外は、南北に山がある谷間の村。そのためか、3時になったばかりだというのに早くも太陽は山陰に沈んで寒くなる。それでなくても、19日に降った雪がまだ残る上を吹き抜けてくる風は冷たいのに、日影となっては尚更さむい。
そんなわけで、今日はこの一箇所だけで退散し、再び自性寺さんを訪ねるも、やはりお留守のようである。
初期の目的は達せられなかったが、思いもかけずに粟野町の宝篋印塔陀羅尼經塔が纏められたので、心は満足。なにか得した一日の思いでルンルンと帰路に着く。
そうそう、今夜こそ年賀状書きをしよう!
仕方がない、夕方にもう一度寄ろうと時間つぶしを兼ねて周辺の石仏巡り(一箇所だけだが)をする。
そして地元の方に聞き込みをし、近くの大慈庵跡を訪ねれば、そこには享保三年銘の宝篋印陀羅尼経が刻まれた宝塔型宝篋印塔がある。思えば、粟野町の近世宝篋印塔調査があと1基というまま途中で何年もストップしていた。それが今日の出陣で、思いもかけずに完了することになる。享保三年銘の近世宝篋印塔は、当県では古い方の部類に入る物。早速その銘文を読んでみれば、何のことはない普通一般にありふれた内容で、書き写しはチョチョイと終えてしまう。
まだ時間があることを幸いと、その周辺にある碑塔も併せて調査する。十九夜塔に馬頭観音塔、そして横倒しになっている寛政庚申年の自然石庚申塔等々。そして終えてみれば、結局そこには1時間以上いたことになる。
粟野町郊外は、南北に山がある谷間の村。そのためか、3時になったばかりだというのに早くも太陽は山陰に沈んで寒くなる。それでなくても、19日に降った雪がまだ残る上を吹き抜けてくる風は冷たいのに、日影となっては尚更さむい。
そんなわけで、今日はこの一箇所だけで退散し、再び自性寺さんを訪ねるも、やはりお留守のようである。
初期の目的は達せられなかったが、思いもかけずに粟野町の宝篋印塔陀羅尼經塔が纏められたので、心は満足。なにか得した一日の思いでルンルンと帰路に着く。
そうそう、今夜こそ年賀状書きをしよう!