今日、12月17日は朝一番で岩舟町の大慈寺さんへ立ち寄って、この一年のお世話になった話しやらで楽しい一時を過ごす。ご母堂様が入れてくれた甘酒が特に美味しかった。
その後、10時に同じ岩舟町の龍鏡寺で高橋氏と待ち合わせていたが、少しばかり遅れてしまう。今日は、この龍鏡寺にある延宝庚申塔の銘文解読を、二人で行う予定なのである。この庚申塔の銘文は、先月の多摩石仏の会の皆様と見たときにも読めなかった物。また、多田氏もかつて挑戦していたが、やはり途中までしか読めなかった因縁のある庚申塔なのである。その、読めぬ悔しさで、今日は高橋氏に助っ人をお願いして一緒に解読しようとした次第。そしてその庚申塔に向かうこと、その後2時間を要したがどうしても主銘文の一部が読めない。金ブラシで、銘文にこびりついた苔や埃をゴシゴシ擦って何度も何度も拓本を取る繰り返しながら、ついに完読する事が出来なかった。ホント、「悔しい~」である。それでも、紀年銘等のある左側半分は完読出来た。
そんなわけで、午前中はこれで終了。
その後は、岩舟町静の浅間山へ向かう。その浅間山登り口で、少し遅れた昼食時間としてのんびり過ごす。これが今年最後の高橋氏との石仏巡りであり、一年を振り返っての忘年会と言ったところか。
さて次なるは、この浅間山山頂にある、八角形庚申塔の銘文解読である。特にその二面には細かな文字でビッシリと文字が刻まれている。この文字解読にも、高橋氏の力を借りようと言う、私にとっては虫の良い話しであるが、その山頂まで辿り着くのに二人してハァ、ハァする始末に、お互い年を取ったことを改めて実感する。もっとも、私は両手に拓本道具一式、高橋氏は大きなスコップ持参のうえ、落ち葉が山道に積もっているので滑りやすくなった道を登ったからと、言い訳をする。
その銘文解読、その後二人で2時間以上も頑張った甲斐もなく、やはり読めない文字が沢山残ってしまった。言い訳としては、スコップで下部を掘り起こせば読める筈だったが、大きな石が出てきてどうにも掘り進められない。高橋氏は私以上にムキになって、最後は素手で土を掘り出したが、それでも途中までしか文字が出てこない。それでも、地面に這いつくばって一文字ずつ見える文字は読もうと努力したお陰で、その見える範囲の文字は随分と読めてきたので、この辺で終了とする。そして下山直前に、高橋氏が改めて塔全体を眺めて、その内の三面の下部に何か文字があるのに気づく。それは大変と、またスコップの出番となってその箇所を掘り出せば、そこには「不見」「不聴」「不言」の文字が出てきた。まさに、野球でいえば9回裏のツーアウト逆転ホームランである。この地区での唯一の塞三猿像容に代わる、その文字表現塔の出現だからである。
この時、既に時計は三時を過ぎている。やはりここにも2時間もいたことになる。陽も西に傾きだしたので今度こそ本当に終了として、下りはルンルン気分で下ることが出来た。
本来なら、ここで別れるつもりだったが、もう一箇所だけ高橋氏の案内で墓地巡りをする。というのも、この岩舟町のどこかの墓地入口に延宝庚申塔があるはずなのだが、それが私は未だに見つからないから、それを探すためにである。そして着いた墓地だが、やはりそこでも見つけだすことが出来なかった。残念だが、これは仕方のないこと。これを探し出すのは、偏に私の仕事だからである。
いずれにしても、今年も高橋氏には年の瀬の最後までお世話になってしまった。「来年も、これに懲りず宜しく!」と挨拶して別々に帰路に着く。もちろん、早くも来春には足利市の板碑拓本を一緒に取りに行く約束をして!
その後、10時に同じ岩舟町の龍鏡寺で高橋氏と待ち合わせていたが、少しばかり遅れてしまう。今日は、この龍鏡寺にある延宝庚申塔の銘文解読を、二人で行う予定なのである。この庚申塔の銘文は、先月の多摩石仏の会の皆様と見たときにも読めなかった物。また、多田氏もかつて挑戦していたが、やはり途中までしか読めなかった因縁のある庚申塔なのである。その、読めぬ悔しさで、今日は高橋氏に助っ人をお願いして一緒に解読しようとした次第。そしてその庚申塔に向かうこと、その後2時間を要したがどうしても主銘文の一部が読めない。金ブラシで、銘文にこびりついた苔や埃をゴシゴシ擦って何度も何度も拓本を取る繰り返しながら、ついに完読する事が出来なかった。ホント、「悔しい~」である。それでも、紀年銘等のある左側半分は完読出来た。
そんなわけで、午前中はこれで終了。
その後は、岩舟町静の浅間山へ向かう。その浅間山登り口で、少し遅れた昼食時間としてのんびり過ごす。これが今年最後の高橋氏との石仏巡りであり、一年を振り返っての忘年会と言ったところか。
さて次なるは、この浅間山山頂にある、八角形庚申塔の銘文解読である。特にその二面には細かな文字でビッシリと文字が刻まれている。この文字解読にも、高橋氏の力を借りようと言う、私にとっては虫の良い話しであるが、その山頂まで辿り着くのに二人してハァ、ハァする始末に、お互い年を取ったことを改めて実感する。もっとも、私は両手に拓本道具一式、高橋氏は大きなスコップ持参のうえ、落ち葉が山道に積もっているので滑りやすくなった道を登ったからと、言い訳をする。
その銘文解読、その後二人で2時間以上も頑張った甲斐もなく、やはり読めない文字が沢山残ってしまった。言い訳としては、スコップで下部を掘り起こせば読める筈だったが、大きな石が出てきてどうにも掘り進められない。高橋氏は私以上にムキになって、最後は素手で土を掘り出したが、それでも途中までしか文字が出てこない。それでも、地面に這いつくばって一文字ずつ見える文字は読もうと努力したお陰で、その見える範囲の文字は随分と読めてきたので、この辺で終了とする。そして下山直前に、高橋氏が改めて塔全体を眺めて、その内の三面の下部に何か文字があるのに気づく。それは大変と、またスコップの出番となってその箇所を掘り出せば、そこには「不見」「不聴」「不言」の文字が出てきた。まさに、野球でいえば9回裏のツーアウト逆転ホームランである。この地区での唯一の塞三猿像容に代わる、その文字表現塔の出現だからである。
この時、既に時計は三時を過ぎている。やはりここにも2時間もいたことになる。陽も西に傾きだしたので今度こそ本当に終了として、下りはルンルン気分で下ることが出来た。
本来なら、ここで別れるつもりだったが、もう一箇所だけ高橋氏の案内で墓地巡りをする。というのも、この岩舟町のどこかの墓地入口に延宝庚申塔があるはずなのだが、それが私は未だに見つからないから、それを探すためにである。そして着いた墓地だが、やはりそこでも見つけだすことが出来なかった。残念だが、これは仕方のないこと。これを探し出すのは、偏に私の仕事だからである。
いずれにしても、今年も高橋氏には年の瀬の最後までお世話になってしまった。「来年も、これに懲りず宜しく!」と挨拶して別々に帰路に着く。もちろん、早くも来春には足利市の板碑拓本を一緒に取りに行く約束をして!