今年最後の石仏巡りは、佐野市の高橋久敬氏と一緒に田沼町から足利方面へ出かける。
先ず9時に、田沼町の「道の駅」に集合。そして今日の最大の目的である、昭和58年銘の「千庚申塔」を高橋氏の案内で近くのお寺さんの角地にあるのを見に行く。私としては、なぜ昭和58年の庚申塔に「千」という文字があるのかが最大の関心事である。記録を取ったり写真に撮っている間に、高橋氏が住職さんに聞き込みをしてきてくれて、それは元々ここにあった古い千庚申塔が壊れてしまったので、地区の人々が同じ銘文の「千庚申」という文字塔を再建したとのことである。聞いてみれば、あっさりと納得するものの、少なからずガッカリする。もし、これがこの地区の人々による千箇所の庚申巡拝塔なら、それからの聞き込み調査でとてつもない資料を得られると期待していたからである。
そんなわけで、何となく意気込んできた今日だが拍子抜けし、その後は足利市へ向かうことにする。そして最初に訪れた利保町の持宝院さん。挨拶がてら、板碑の存在を聞いてみると本堂にあるという。拝見を所望すると、「どうぞどうぞ、こんなもの今まで誰も見に来た人がいませんよ」といって、快く見せてくれる。そこには三基あり、その中の1基ははっきりと延文二年(1357)と読めるではないか。計測などをしてから表に出して写真撮影。一方の高橋氏は、鉦の所在を確かめて見せてもらい、その中の一つに享保年間の銘を見つけて大喜びしている。もちろん、その境内にある庚申塔やらその他の碑塔は悉調査したことは当然のことである。
何となく気分を良くして、菅田町の稲荷神社へ立ち寄るが、ここではたいした収穫なし。ついでだからと、近くの光得寺へ立ち寄る。ここには、無縁塔が集められた中やその隣に投棄同様の碑塔が集まっている。その中の碑塔の「奉請青面金剛」という庚申塔の紀年銘に「善月」とあるのを発見。これが陰暦で何月に該当するのか判らず。
やはりこの年末の石仏巡りは、余り本気になれぬまま(本当は、今日の目的+思わぬ板碑調査完了のオマケ付きで大満足していた)、次は山奥の名草上町、無住寺(臥龍院)を訪ねる。谷間のため風もなく、そこは春のような暖かさで境内の水仙数本が咲いている。石仏調査よりもまずはここで昼食と、日溜まりの中で相変わらずの弁当を広げる。境内にある碑塔類は、わずか数基のみという収穫だが、何となく今年の石仏巡りを締めくくるのに相応しい場所だった。
ここからは帰路道となり、市街地へ向かいだしたが、その途中で高橋氏が道沿いの名草川を越えた一角に碑塔が並んでいるのを発見して止まる。この道は、これまでに何度も通っていたが、私は全く気づかなかった碑塔群である。車を路肩に置いて歩いていけば、そこには私が求めていた庚申名数塔が4基も並んでいる。しかも安永年間のものもあるではないか。二人で大喜びし、今日の思わぬ大収穫に小躍りしてしまう。しかもその数庚塔の銘文が良い。「百ヶ所拜行供養」とあるのだから!
その後は気分益々良好、途中で馬坂峠の百庚申塔群を遊び気分で訪ねてから家路に付く。
本当に今年は、最後の最後まで高橋氏には迷惑をかけてしまったが、それでも二人して大満足した本年最後の石仏巡りでした。
この今日の石仏巡りHPご報告は、明日以降~正月にかけておいおい掲載することに致します。
明日は、今年最後の墓参りです。皆様も、残り少ない年末をご健勝にお過ごし下さい。
それでは良いお年を!!。
先ず9時に、田沼町の「道の駅」に集合。そして今日の最大の目的である、昭和58年銘の「千庚申塔」を高橋氏の案内で近くのお寺さんの角地にあるのを見に行く。私としては、なぜ昭和58年の庚申塔に「千」という文字があるのかが最大の関心事である。記録を取ったり写真に撮っている間に、高橋氏が住職さんに聞き込みをしてきてくれて、それは元々ここにあった古い千庚申塔が壊れてしまったので、地区の人々が同じ銘文の「千庚申」という文字塔を再建したとのことである。聞いてみれば、あっさりと納得するものの、少なからずガッカリする。もし、これがこの地区の人々による千箇所の庚申巡拝塔なら、それからの聞き込み調査でとてつもない資料を得られると期待していたからである。
そんなわけで、何となく意気込んできた今日だが拍子抜けし、その後は足利市へ向かうことにする。そして最初に訪れた利保町の持宝院さん。挨拶がてら、板碑の存在を聞いてみると本堂にあるという。拝見を所望すると、「どうぞどうぞ、こんなもの今まで誰も見に来た人がいませんよ」といって、快く見せてくれる。そこには三基あり、その中の1基ははっきりと延文二年(1357)と読めるではないか。計測などをしてから表に出して写真撮影。一方の高橋氏は、鉦の所在を確かめて見せてもらい、その中の一つに享保年間の銘を見つけて大喜びしている。もちろん、その境内にある庚申塔やらその他の碑塔は悉調査したことは当然のことである。
何となく気分を良くして、菅田町の稲荷神社へ立ち寄るが、ここではたいした収穫なし。ついでだからと、近くの光得寺へ立ち寄る。ここには、無縁塔が集められた中やその隣に投棄同様の碑塔が集まっている。その中の碑塔の「奉請青面金剛」という庚申塔の紀年銘に「善月」とあるのを発見。これが陰暦で何月に該当するのか判らず。
やはりこの年末の石仏巡りは、余り本気になれぬまま(本当は、今日の目的+思わぬ板碑調査完了のオマケ付きで大満足していた)、次は山奥の名草上町、無住寺(臥龍院)を訪ねる。谷間のため風もなく、そこは春のような暖かさで境内の水仙数本が咲いている。石仏調査よりもまずはここで昼食と、日溜まりの中で相変わらずの弁当を広げる。境内にある碑塔類は、わずか数基のみという収穫だが、何となく今年の石仏巡りを締めくくるのに相応しい場所だった。
ここからは帰路道となり、市街地へ向かいだしたが、その途中で高橋氏が道沿いの名草川を越えた一角に碑塔が並んでいるのを発見して止まる。この道は、これまでに何度も通っていたが、私は全く気づかなかった碑塔群である。車を路肩に置いて歩いていけば、そこには私が求めていた庚申名数塔が4基も並んでいる。しかも安永年間のものもあるではないか。二人で大喜びし、今日の思わぬ大収穫に小躍りしてしまう。しかもその数庚塔の銘文が良い。「百ヶ所拜行供養」とあるのだから!
その後は気分益々良好、途中で馬坂峠の百庚申塔群を遊び気分で訪ねてから家路に付く。
本当に今年は、最後の最後まで高橋氏には迷惑をかけてしまったが、それでも二人して大満足した本年最後の石仏巡りでした。
この今日の石仏巡りHPご報告は、明日以降~正月にかけておいおい掲載することに致します。
明日は、今年最後の墓参りです。皆様も、残り少ない年末をご健勝にお過ごし下さい。
それでは良いお年を!!。