去る7月28日は、千葉県市川市の恩師、我妻和夫先生の一周忌。そして翌日の28日(日)は、朝早く起きて9時近くまで家周りの草木の選定やら除草に大汗を流しました。余りにも蒸し暑かったので、些か熱中症気味となり、それから車に乗って鹿沼へ出かける気力は完全に消滅していた。嗚呼、我ながら歳を取ったものである。二、三年前なら、それこそいそいそと喜んで出かけたものだが…。
仕方なく部屋で大休憩を取った後は、これから先の鹿沼市の石仏巡りについての作戦を練ることにした。何しろ鹿沼は、栃木市そして真岡市と肩を並べるくらいに嫌な地区。これまでに何度も挫折を繰り返しては、また懲りずに今度の鹿沼石仏巡りとなったのだが、そこで鹿沼市の石仏調査はこんどこそ一気に終了させることから、目的毎に的を絞って調査することに変更した。その第一が、既に鹿沼市の石造物は主な600余基を調査済みなので、後は追加調査とする。その調査対象は、何といっても粟野町(今は鹿沼市と吸収合併)まで調査が終えている宝篋印陀羅尼経が刻まれた近世宝篋印塔調査を完了すること(きっと、ここでも何度かの嫌な思いをするのは覚悟の上で)。さらに、これまでついつい見過ごしてきた石碑等の碑文調査に加えて、これまでに調査した石造物で拓本の欲しいものの手拓作業。これも、既に幾つかは手拓を断られているので、全てとはいかないまでも出来るだけ、という範囲内で。後は、偶然に出会うであろう面白い石造物の調査となるが、何しろ鹿沼はかつて日光領だっただけに山地へ入れば入るほど面白いのに出会うだろうと期待している。そんな作戦のために、午後からはパソコンの前に座って地図作成や資料作成に専念する。
それにしても暑い。石仏巡りの調査資料は作成できたが、果たして今週から本当にこの暑さの中を現地へ行くだけの気力があるのだろうかと、一抹の不安を感じて苦笑している。まあ、その結果は来週のこのブログをt楽しみにといった所である。
そうそう、それとここへ掲載した山百合の花は前庭に今年も咲いたもので、頭が重いので棒を立ててあげました。ついでに山の中に咲いている山百合にも、馬鹿みたいに棒を立ててここ数日間は私と家内だけが楽しめるユリの花としました。そんな馬鹿なことまでしたので、余計に暑さにやられたと、後で大笑いしました。