この頭のない地蔵像は、鹿沼市油田町の真言宗勝願寺さんにあるものですが、所在場所は住職さんに聞かなければわからないような、何気ない場所に置いてあります。ちなみに私も、住職さんに教えていただいて初めて知った次第です。
上記画像でも判るように、向かって右側に「元亀元庚〔不読〕」とあり、左側には「□月廾(?)七日」と見えます。それにしても元亀元年といえば西暦で1570年。そんなにも古いお地蔵様が、こんなところに無造作においてあることに驚きました。そして正面にも、なにやら文字らしきものが見えます。私には解読出来ないと、初めから諦めてしまいました。いや~あ、それにしても今日は眼福の至りです。
そして次、これも滅多にお目にかかれない文字に出会いました。それが下記の画像です。
画像は「應隨阿鼻」の箇所を掲載しましたが、上から2字目は誰がどう読んでも「隨」の文字に見えるでしょうが、それが問題なのです。それは意味を考えればわかる事で、ここでは「應墮」の「墮」の文字でなければならないのです。地獄に堕ちる者ではなく、これでは地獄に随う者となってしまいます。この文字は、鹿沼市野沢町の宝持院跡の個人墓地内にある宝篋印陀羅尼経塔の偈文中にあるもので、一瞬わが目を疑いました。やっぱり、とんでもない間違いというのがあるものなのですね。これだから、石造物に見える文字読みが病みつきになってしまうのです。ちなみに、この同じ間違いは現時点では栃木県で二例目です。ぜひ、貴方の街の宝篋印塔を調べてください。思わぬところでこれと同じ間違いに出会うかもしれません。
ところで早いもので、次回で八月の石仏巡りは終わりです。現時点では、相変わらず鹿沼市へ出かけるか、それとも出かけず今夏の石仏巡りを部屋で整理するかで悩んでいるところです。まあ、気分次第でしょう。