石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年8月4日も栃木県鹿沼市内の石仏巡りでした

2012年08月07日 | Weblog



いや~あ、8月4日は暑かった一日でした。それでも頑張って何とか石仏巡りをしましたが、その為に一日にして腕はこげ茶色に変色してしまいました。
 今回の最初は、先週に過去に訪れた鹿沼市の石仏写真を見ていて、どう見てもその書体から妙哲行者の名号塔なのだがその署名等を確認するのを忘れていたようだ。そこで「こりゃ~まずい」と言うことで、最初にそれを再確認に行くことにした。そんなことで、今回は少し早く7時半に家を出発。そして向かう途中で思い出したのが、その途中の藤江町で2002年に宝篋印陀羅尼経塔を確認していながら未調査のままだったこと。時間も早いことだしと、寄り道して最初にそれを片付けることにする。以外にもそれは、筆子達による造塔だったことが判り、一人でニンマリ!
 今度こそ、目的地である磯町の女体山へ向かおうとしたが、途中で地元農家の青年に出会い、石造物を探している旨を述べて他の所にある場所の所在を請えば、この藤江町にはもう1基の宝篋印陀羅尼経塔があることが判明。その他、諸々の石造物所在地を教えてもらったが、今回はその宝篋印塔調査だけにして早速向かう。それは個人墓地内にあり、造立者は先ほどの宝篋印塔と同じ寺院の名前が記されていた。そんな訳で、朝一番から2基も宝篋印塔を調査できてしまった。まさに早起きならぬ早出は三文の得と言ったところである。
 さて問題の名号塔は、この夏場らしくものすごい藪となっていて、どこから山の中へ取り付いてよいやら悩んでしまう。あれこれ悩んだが、結局は繁茂する藪の中を直登するのが一番と、手拓道具を抱えて進入する。そして頂上に着けば、今度はものすごいやぶ蚊の大群が襲来。「もう、勝手に食え!」と言うことで、やぶ蚊のするがままにさせて問題の名号塔の前に立てば、まさしくそれは妙哲行者の名号塔に間違いなかった。問題は署名と花押の存在。丁寧に見ていくと、本当に浅い陰刻で花押と共にあるのを確認して念のためにと手拓する。この山頂には、たくさんの石造物があるが既に調査済みなので、後はやぶ蚊から逃れたい一心で、転がるようにして下山。全身、汗ビッショリ。路肩に腰掛け、国道沿いで車がひっきりなしに行きかうのもお構いなく、ここで大休憩。
 さて今度はどこへ行こうかと思案し、次も過去にその存在を確認していながら石仏のみの調査で離れてしまった、塩山町の圓明院跡の共同墓地へ向かうことにする。その場所は、東武日光線沿い東側にあるのだが、暫くぶりの訪問のために道を間違って通り過ぎてしまうミスをしてしまい、つまらぬ時間を浪費する。現地へ着いたところで、時計は12時。何はともあれ、少し暑さで身体が参っているので調査する前にここで昼食とする。と言っても周囲には1本の木陰ひとつない原っぱの大きな共同墓地内。仕方なく、車の中での食事となるが、以外にも全開した窓からは涼しい風が通り抜けて行き、思いのほか涼しい。相変わらず、暑いときだからこそ熱々のラーメンを、と食べて体力が回復!?。問題の宝篋印陀羅尼経塔は、なぜ前回に調査を抜かしたかが、今回改めてその前に立って思い出す。それは、余りにも銘文のある軸部状態が悪く、まともに文字が読めないからだった。仕方がなく、炎天下での手拓となるが、水張りするやすぐに乾いてしまいお手上げ状態。それでも意地で、何とか銘文が読める範囲の手拓をして、車に戻っては銘文解読。その繰り返しを4面ともして、本日3基目の宝篋印塔調査を終える。この段階で、既に午後2時過ぎ。どこかに涼しいところはないだろうかと、次への場所を考えたが思いつかず、どうせ塩山町に来ているなら、そこも過去に調査した山越公民館近くの碑塔群へ行くことにした。そこには、栃木県では珍しい「庚寅供養塔」なる自然石があるのを思い出し、もう一度見たくなったからだ。何しろ未だに、その信仰内容が私には確定するだけの力がないので。そして行ってみれば、そこも炎天下。ここまで来れば「便所の火事」で、どうにでもなれという心理状態となり、過去に調査しているのに改めてそこに並んでいる石仏を1基づつ記録と写真を撮っている私だった。
 本日の石仏巡りは、熱中症で石仏の前で倒れる前にこの辺が潮時と、時計も3時半となったのでここまでとする。そして帰宅する前に街中の雲龍寺さんへ立ち寄り、先月に手拓し清書したままの「舟越淇水」碑の資料を渡す用事があった。旧盆前で、何かと忙しい時なので渡しただけで済まそうと思ったが、その雲龍寺さんは石造物の宝庫であり、つい来たついでだからと墓域を覗いて、今回は上記に掲載した文殊菩薩像を調査してしまった。これは中々の優れもので、釈迦三尊種子があって、その下に法華経の「法師品第十」からの偈文も刻まれていた。つい嬉しくなって、それらの銘文を石面に触れるたび「アチッチ」と言いながら手拓してしまったが、帰宅してから確認してみると、その内の願文部分の上部が手拓から外れていたと言う、笑うに笑えない失敗をする。まあ、一緒に撮った写真から何とかその銘文は補足することが出来たが…。やはり、暑さで頭がボォ~としていたことにしよう。
 さて次回、この暑さでどうするか思案中。それでも多分、1基でもと欲を出して宝篋印陀羅尼経を探しに出かけるのではないかと、自分で自分をコントロール出来ない馬鹿さ加減を笑っているところです。

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