この石碑で、4月12日に調査した栃木県喜連川町龍光寺にあるものはどうにか終了することが出来ました。尤も、1基の宮脇先生の碑は小さく碑文も短いのでという訳ではないのですが、御紹介を省略しましたが‥。特に今回の石碑は、是非とも手拓したかった碑文なのですが、現地で見上げるととても大きくて私し一人では足場を組む以外に手立てはなく、やむなく諦めました。特に、撰文が亀田 英、そして揮毫者が中島 慶ということで、拓本が欲しかった一つでした。そしてその碑文を清書するには本当に苦労しました。つくづくと勉強が足らんことを実感しましたので、読み下し用の基本的な語彙説明も入れたかったのですが、今回は省略です。自分用の資料集だけに掲載しておこうと思っています。
そうそう、上記掲載碑文の詳細は相変わらずいつもの別HP6月用に掲載してありますので、興味のある方は御笑覧ください。
さて、次回からようやく喜連川町の次の地点へと進むことが出来ます。同じ喜連川町内にある慈光寺にある「梅園秋元翁墓表」の清書に進もうと思います。幸い?にも、明日からの週末は梅雨に入っての雨が続く予報。のんびり、清書が出来そうですが、5月10日から始めた栃木県氏家町で手拓した拓本はそのまま居間に積んである。これも早くパソコンに取り込まなければならないので、その作業のどちらにするか、明日の朝は悩みそうである。