篆額は「梅園秋元翁墓表」で、翁は幕末から維新後にかけて栃木県喜連川にて活躍した人物です。撰文は、長岡護美。この二人の意外な関係に興味をそそられます。詳細は、相変わらず別HPの6月のところに掲載してあります。
そして碑陰を見ると、そこには「梅園春男」の名が最初に刻まれていて、この二人の意外な結びつきに私としては大変に興味を持ちました。
篆額は「逸見君遺徳碑」。栃木県喜連川藩代々の家柄で、学問は上記掲載の秋元 與に学ぶ。藩主の意向に従う以上に藩制改革に取り組み、多くの新田開拓や水道開鑿、さらに治山までにも大きな成果を挙げる。その詳細も、上記と同じく別HPに掲載してあります。
流石に、ここまで喜連川の石碑調査とその清書に多くの日時を使いましたので、まだまだ御紹介したい喜連川町の石碑もあるのですが、次回からは栃木県氏家町の石碑等をご紹介していくことにしましょう。