石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年06月21日は、栃木県氏家町の石碑御紹介です

2014年06月21日 | Weblog

 

栃木県氏家町の石碑調査、なかなか所在情報が少なく四苦八苦しています。仕方なしに、過去に石仏巡りやらで所在を確認している石碑を手拓(拓本採り)出来るものは手拓することにして、今回はその中のさくら市(旧・氏家町)ミュージアムの敷地内にある日清戦争碑の中の銘文がある上記を掲載いたしました。碑面がどうしようもなく汚れていて、本来の手拓時間よりも大変な思いをして掃除しました。戦争碑なので、内容的には面白くないのですがそれでも撰文者は漢文でなく文章を練りに練って作った思いが出ていて、その意味では面白く読みました。同所に3基あるうちの他の2基は銘文なしなのでパスしました。

これも氏家町の押上地区薬師堂にある石碑で、所在場所は男体山碑を1990年代に調査したときに確認していたものです。碑面はこれもどうしようもなく汚れていたものをご覧のように綺麗にしてから拓本を採りました。内容は、私と同じ姓の「滝澤翁頌徳碑」です。翁は山口県下関出身で、江戸で勉強した後で諸国を歴遊途中に当地へ来て、そのまま無住だった信国寺の住職となり、その博学から請われて村社の水神宮の官職も兼ねるなどと共に学問も教えた人で、その門人やら志士によって翁が81歳の時に寿蔵をも兼ねて建立されたものです。
 上記2基、相変わらず詳細は別HP6月号の所に掲載してありますので、興味のある方は御笑覧ください。そうそう、今週は午後になると雨となるので、今日明日を含めて石仏巡りは休みです。明日は、氏家町の「尼港事件」についての碑を清書しようと思っています。小さな碑なので、明日中には出来上がるでしょう。多分‥

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