石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年06月14日も栃木県氏家町等の石仏調査でした

2014年06月18日 | Weblog

 今回は、梅雨の晴れ間で文句のつけようない快晴とのことで、拓本を採りたい一心で早朝に家を出る。目的地は、前回と同じ栃木県氏家町の上阿久津地区にある高尾神社前にある、上記掲載写真の自然石塔。ご覧のように、正面には梵字で五大種字の中の初心門である「キャ・カ・ラ・バ・ア」が刻まれている。そしてその右側には「如是畜生發菩提心」とある。出典は「諸回向清規式巻第五」にある「見畜生」からであり、その意味は「同じこの畜生、菩提心を發(起こ)すべし」となるが、正しくは「如是畜生帰依三宝發菩提心」であり、この塔に限らず、その殆どは「帰依三宝」を抜かして用いられている。ちなみに、「如」に代えて「汝」の文字を使う場合も見られるが、こちらは曹洞宗関係のものに多く使われ、それは「如=おなじ)」に対して文字通りに「なんじ」として読む。
 それにしても、現時点で私が栃木県内で確認しているこの念仏信仰塔として見られる「如(汝)是畜生發菩提心」塔としては、全12基の内のこれが初発塔(紀年銘は延享二丑天)となっている。そして次は、八年後の宝暦三年銘塔で栃木県田沼町作原にある宝暦三年塔となっている。それにしても、川原石の拓本を採るのはどうしても上部が丸まっているので画仙紙の水張りに四苦八苦する。もっとも、今日の最初はこの拓本を採るのが目的で朝早く来たのだから覚悟は出来ていたので、まあそれなりに手拓出来ました。それでも、日中の暑い盛りの時間帯ではどうなったかは判らないと苦笑しつつ‥。その他、前回に手拓を諦めたもう一基も涼しい風に促されて快適に完了。しかし、それからが問題。今日の氏家町の目的はここで終了。そのまま帰宅したのでは午前中に家に着いてしまうということで、もう少し足を北へと向けて、矢板市へ行く。矢板市も、近世宝篋印塔調査は未了地区。安沢地区に大きな宝篋形宝篋印塔があるのを過去に見ているので、それを今日の余った時間で調査することにした。しかし、現地へ着いてみると太陽は真夏の日差しとなってギンギラに輝いていて、軸部の4面とも手拓しない限り銘文は読めないしれもの。もっとも、簡単に読めるならトウの昔に調査済みだったが‥。立っているだけで汗が噴出してきたので、「嗚呼、今回も止めたヤメタ」となり、地区内を車で巡回して、新たな石仏探しを行う。その中で、郵便局を代行しているお宅へ行って聞けば、何かわかるかも、と農作業をしていた方にアドバイスを受けて早速お宅訪問となる。そして奥様と会話をしていて、大ヒットとなる。それは、御先祖さまが商売で財をなし、昔は家塾も開いていたので、その紀念碑が道沿いの山の中にあるという。近くだからと、歩いて一緒に行って下さり杉林の中を覗けば、確かに石碑が見える。急いで薮を分け入って見れば、それはそれは当地にはもったいないほどの名碑であった。その揮毫者は、「山朝易」とある。「山朝」と言えば、小山霞外としjか想像のつかない浅学者だが、喜連川町とは隣り町。しかも天保十一年の紀年銘とあらばなおのことである。早速、手拓お願いを申し出れば、どうぞどうぞと快諾されて心うきうき薮蚊やブヨに悩まされたのも良い思い出として、森の中の涼しさに感謝しながら矢板市での素晴らしい石碑調査を終えることが出来た。そして帰宅前にお宅へ再度伺ってお礼を申し上げたのは言うまでもない。そんなこんなで、帰宅したのは珍しく遅くなってしまったが、流石に夏至の少し前とあって陽が長く、ライトも付けずに嬉しい一日を終た。

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