上の画像が、B5判サイズの表紙で、下が本文中の栃木県平成合併前の市町村別当該庚申塔の出現数地図です。こうしてみると、栃木県の庚申塔の初期の姿がみえてきますね。なお今回の報告書も年代順画像とそのリストに終始した内容で、庚申塔の知ったかぶり内容は掲載していません。
今回の「栃木県江戸前期迄の庚申塔調査報告書」は、過去に二度作成していたのだが、田沼町の調査にて記録漏れがみつかってから改訂版を出さなければと思いつつ、ついつい画像追加とリスト順位の入れ替えが面倒なために躊躇していた。しかし、いつかは第三版を!と思っていたので、この1月という期間を利用して作業に取り掛かり、ようやく完成した。それにしても、1基の画像とリストを追加する作業の煩わしさには手こずりました。終了してから年代順の画像入れ違いを見直せば、予想通りにダブっていたり、順番が間違っていたりと大変でした。
今度は、その印刷作業になるが、今度は印刷時の帳合い間違えに恐々としながら進めることになる。何しろ、印刷から製本まで全てが自分一人で行うのでまた大変。いつになったら出来上がるのか、今は全く見通しが立たない。贈呈したい方も、庚申塔調査報告書だけに沢山いるので、多分印刷等に要する時間に呆れて今回も数部のみになるのではないかと苦笑している。
それにしても、ウン十年かけて調査した栃木県内の江戸前期までの庚申塔、その数が偶然とは言え299基とは変な意味で感心している。もう1基探そうとも思ったが、今は石仏巡りは中断しているのと思い当たる探索場所が思い浮かばないので、いかにも私らしい数字ではないかと笑っている。ぜひ、どこかの誰かさんが、300基目となる江戸前期迄の庚申塔を探し出して、私の鼻先で笑ってくれることを期待している。
先日はお世話になりました。
前期、庚申塔の市町村ごとの分布図を拝見すると、西方町あたりで区切りの一基発見したい気持ちになりますね。また、一方で「日光市の前期庚申塔は58基ある」と引用される方も出現するのかな…そんなことを思うと微笑ましい気持ちにもなります。
さて、私の方は、日・月曜日に烏山町へ出陣しました。二日で合計18社ほど巡りましたが、江戸期の狛犬は残念ながら不在でした。昨日は風も強くて、お昼ごろに八雲神社の宮司さん宅でお茶をごちそうになってからは調査がおっくうになり、、午後は狛犬のない神社の確認作業だけになってしまいました。
烏山町は当時の川俣英夫町長が漢文好きだったのか、割と神社の由来記が碑でありますね。
気になったのは、八幡宮(中山)の金井之恭書の凱旋記念碑(明治31年)、厳島神社(中央)に元烏山藩主・大久保忠順篆の水道碑くらいでしょうか。
今回は、大金にある一泊二食・温泉付きで6000円の宿に泊まりましたが、結構、バブル期にできたホテルらしく、こちらの方ではハプニングがいくつかありました。
文章整いませんが、失礼します。