3月21日にY氏と(今後、ここでの同行者氏名はイニシャル一文字だけと致します)一緒に行く予定だった今回の足利訪問だが、生憎の雨。仕方無しに翌日の22日にした。しかし今度は風が凄い。山の中でさえ、強風が渦を巻いて吹いている。そして今回の手拓目的である石碑に刻まれた文字は小さく、しかも剥離部分が多い。「こりゃ~、暫くぶりに苦労するな」と思いつつ、文字をいかに出すかを考えて手持ち画仙紙の中で最も薄い用紙を取り出す。しかしその作戦は物の見事に外れて、墨入れしてみると文字が巧く出てこない。その要因は、とにかく風が強いのでマスキングテープで目張りしようと、傘で風をふさごうとかは何の役にも立たないので、生乾き以上の状態で墨入れし、しかも重ねての墨入れが出来ない状態。二人して眺めて「コリャ~、ダメだ」となり、剥がして別の画仙紙でまた一からやり直し。今度は、銘文を2枚に分けて、さらに上部の題額部分はまた別に手拓することにして作業を進め、何とか拓本を仕上げた。当然ながら、酷い拓本である。特に、剥離した文字部分はその下に残っている彫刻跡が出ていない。本来なら、目で見れば読めるので熟練した手拓技法なら、それが読める状態で採択できたはずなのである。自分の手拓技術の未熟さで落ち込む。
そして帰宅し、早速に読み下しを始めてみたが、今度は木曽御嶽信仰について不学な私には個々の固有名詞は判るものの、全体としてはチンプンカンプン。山岳信仰についての書籍は書棚にあるが、それを見るのも面倒として今のところは暫く放って置く事にしよう。そうそう、これが建立されたのは、銘文中にある嘉永庚戌(1850)だと確定しました。まだ、銘文も清書していないのだが、もしこれをご覧になりました方でこのような江戸後期の地方における木曽御岳信仰に興味がありましたら、後日に清書が終わりましたらお送りしますので御連絡下さい。※メールアドレスは別HP[栃木県の石碑」表紙にあります。
さて午後は、次回の為に周辺を探索した結果、何と何と、未調査の石碑を3基も発見。しかもその内の1基は大きく、篆額・撰文・揮毫・石工の4点から見ても拓本が欲しい物。しかし石碑の前は崖となっているので、脚立を立てることは可能だが、非常に危険。いずれにせよ、見つけてしまったからには周辺にある庚申塔等と共に調査に再訪しようと思っている。勿論、3基を一日で採択することは不可能だろう。
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