石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

漢方にも蘭方にも寄らない、日本古来の生薬を材とした医療を推進した医者の墓碑銘

2017年11月20日 | Weblog


当地は、例年になく早い冬本番の寒さに毎日震えている。酷暑の中の石碑調査が終わったのもつい最近のことのように思われるが、今度はその中での石碑調査となる日々が来春まで続くというという次第である。嗚呼、春が待ち遠しい!
さて今回は、其の中を赤城山おろしが吹き荒ぶ足利市西部地区で、上記に掲載したような拓本を採ってきた。この墓碑の採択許可願いに伺ったのも、思い返せば今夏の汗の吹き出る時期だった。
さて、この墓碑に建立年号は刻まれていないが、この墓碑の撰者が寺門 良とあるので、江戸最末期であることは確かである。そのためか、或いは根府川系の石質のためか、碑面に剥離状態が現れている。このままでは遅かれ早かれ、そう遠くない時代に全文は解読できぬようになってしまうだろう。その直前に、こうして手拓出来て後世に残せるようになったのを、独り喜ぶ。日本全国には、このような貴重な石碑関係碑が沢山あるだろうに、そのほとんどはろくに調査もされぬまま朽ちるのを待っている。ぜひ、今の内にそれらの碑文を後世に残そうと活動する人々の出現を願っているのは私だけなのだろうか。呆れるほどの昭代の今だから、程ほどにノホホンと生きるのは実に楽しいだろうが、果たしてそれだけで良いのだろうかと、疑問に思う人の出現を70を過ぎた今だからつくづく思う、これは独り言である。
さて、只今は銘文の最終清書中!。明日には出来そうなので、そしたらまたそれをここへ掲載しようと思っている。何しろ、江戸末期に、皇国古来の医方を追い求めた珍しい医者の内容なので‥。

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