実に爽やかな秋晴れとなった今日も、向かう先は今市市である。それだけに今日は、田園風景の広がる山地の石仏巡りとしたかったが、前回の石仏巡りでさんざん草に痛めつけられたので、まずは今市市街地へ入る。そして今回で三度目となる玄樹寺さんの祐天上人名号塔の銘文確認をする。それも今回こそ最後の調査確認として、今まで以上に本気になって銘文を一文字ずつ確認した。その後は、ついでだからと近くの回向庵の石仏再確認とし、ここにも大きな祐天上人名号塔があったのに気づき、独りで苦笑いである。その石文も、全部は解読できなかったが、まあこの程度で良かろうと重要でない部分は飛ばして読んで終了とする。次は、この周辺に大谷川洪水碑があるというので、その碑の探索である。それが以外と手こずり、前は確かにあったという大谷川岸辺の土手へ行けども見当たらず、地元の人に出会う度に声を掛けつつあちこちウロウロ。そして辿り着いたのが、川原町の公民館北側にある、名ばかりの小さな愛宕神社だった。どうやら、道路拡張工事や何やらで行き場を失い、最後に辿り着いたのがこの場所だったようだ。それだけに、碑面のあちこちに移動工事の度に削られた痕があり、文字が完全に読めない箇所が多くある。それでも明治35年9月の大谷川洪水記念碑とあらば、ぜひ記録しておく必要を感じて、読めない文字に四苦八苦する。本当なら、手拓して後世に残すべきなのだろうが、余りの今日の晴天下を歩きすぎたせいか、いささか頭がクラクラし、その意欲は喪失していた。また、その碑の脇には、それ以上に解読が難しい自然石文字塔がある。それを見過ごすのは悔しいので、何度も水洗いを繰り返しているうち、それは雨乞いなどに関係する八大龍王に関する石塔であることが判った。そんなこんなで、午前中はたったの3箇所で午前の部が終わってしまった。3時間半も休みなしで調査した結果がたったの12基とは、何とも情けない。そこで、気分直しのためにもと、昼食は大谷川公園へ行って、広々とした場所での昼食として移動する。しかし行けばいったで、「そういえば、この公園内の森の中には庚申塚の写真は失敗していた」と思い出し、再撮影のために森の中へ入る。その途中の池を前にして撮影した前日光の山並み写真が、最初に掲載したものである。西端が大真名子山で東端が赤薙山で、主峰の女峰山は雲に頂が隠れている。あと一ヶ月もすれば、その山の中のどこかへ紅葉の写真撮りに一人で入っていることだろう。と、早くも今秋の山の風景を想像している。
さて、昼食時間をたっぷり取ってから、午後の部は芹沼地区の過去に調査した碑塔の再調査として移動する。それらの多くは1990年代前半に調査したものが多いので、以外と新鮮な感覚で調査することが出来、ルンルン気分であった。そこで今度は、その勢いをかって芹沼の中でも唯一、向組庚申塚未見の探索に切り替える。その、今まで見つからぬ最大の理由が、「山の中にある」と言うだけで、関係者以外はその正確な場所を誰も知らなかったために、「それなら自分で探す」と、ただ闇雲に山の中を徘徊するだけで結局は何年経っても見つけられずにいた。そこで、今回こそその庚申塚を訪ねようと決めて、組内の道路沿いにある大きな農家を訪ね歩くことにする。そして訪ね歩いて暫くすると、「うちのお父さんなら知っている」というおばさんに出会い、無理をしてお父さんを畑仕事から呼び戻してもらう。どうやら、その場所は口で説明しただけでは難しいので、一緒に行ってあげるとなり、私の車に乗せて道案内をしてもらう。そして着いた場所は、私が皆の話を総合して探していた山とは全く別の山で、かろうじてあっていたのは高声寺から南側の山の中というだけだった。そんな、今までのこの庚申塚へ辿り着くまでの苦労話をしながら調査そして写真撮影していると、大きなヤマカガシが現れて二人で大笑いする。その後、ご自宅へ送り届けると、「もう4時になるからお茶でも飲んでゆっくりしていって」となって、お茶をすすりながら出された煎餅を飼い犬のポチ君と一緒に食べて馬鹿話に花を咲かせる。そんな訳で、それでなくても難儀する今市市の庚申塚探しでは最大の年月を要した向組庚申塚調査も終わり、満足以上の気持ちを乗せてのんびり帰宅した。
いや~あ、それにしても今日は一日中快適な天候でした。益々私の顔と腕は日焼けで黒光りしています。それにしても次回は5連休。週に一度の石仏巡りと決めている私だが、今度の週ばかりはこりゃ~悩みますわ…。
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