己の人生を振り返ったときに、
〈自分の人生で、どの年代が最も幸福であったか……〉
と、考えるときがある。
物心がついた頃には、テレビはおろか、電化製品はほとんどなかった。
外で遊ぶことが主で、すべてが自然と共にあった。
何もなかったが、ある意味、最も幸福な時代であったかもしれない。
10代は、東京オリンピック(1964年)と共に始まった。
初恋があり、本との出逢いがあり、
何もかもが新鮮で、これまた幸福な時代であった。
20代は、大学を卒業し、東京で編集記者の仕事をし、27歳のときに九州へ帰った。
28歳で出逢った8歳年下の女性と29歳のときに結婚した。
好きな仕事をし、生涯の伴侶と出逢い、
様々な経験をした20代も幸福な時代であった。
30代は、最も仕事に打ち込んだパワフルな時代だった。
そして、休日には子供たちの相手をし、子供たちとの思い出も多い時代であった。
35歳のときに25年ローンで家を建て、
公私ともに充実した年代であったと言える。
40歳のときに、一旦仕事を辞め、徒歩日本縦断の旅に出た。
妻子ある身で(しかも家のローンを抱える身で)の決行に批判もあったが、
今考えると、あのときに実行して本当に良かったと思う。
幸い、旅から帰ってすぐに仕事も見つかり、元の生活に戻った。
趣味で書いた小説で、小さな文学賞を受賞し、
やりたいことをやり切った年代であった。
50代は、最も山に登った時代であった。
地元の山岳会に所属し、九州の主だった山はほとんど登り、
日本アルプスの山にも遠征するようになった。
気力も体力もあり、
海抜0メートルから登る登山にも挑戦し、
実に楽しい時代であった。
私生活では、子供たちが結婚し、初孫が誕生し、ジイジとなった。
そして60代。
60歳で家のローンが終了し、肩の荷を下ろし、
65歳で定年退職し、年金生活に入った。
今は午後だけ仕事をし、
午前中や休みの日には、好きなことをして過ごしている。
身体のあちこちにガタがきて、健康不安はあるものの、
好きなことができているし、これ以上望むことはない。
年を重ねるごとに欲はなくなり、
今は、「衣食住」が足りていれば満足の生活になっている。
「住」は、持ち家なので、心配はない。
「食」は、ご飯と、みそ汁と、漬物があれば満足。
「衣」は、山服しか持っていないので、日常でも仕事でも山服を着ている。
酒も呑まず、煙草も吸わず、グルメの趣味もない。
美味しくものを食べたいとは思うが、美味しいものを食べたいとは思わない。
だからお金もあまり使わない。
昔は「年は取りたくない」と思っていたが、
60代になってみると、「これぞ人生の一番好い時!」と思っている自分がいる。
3月3日(火)
今日も午後から仕事であったが、
朝から近くの里山に散歩(山歩?)へ出掛ける。
数年前に見つけたアマナの群生地へ行ってみたくなったのだ。
以前、よく行っていたアマナの群生地は、
YAMAP族に知られて見学者が多くなり、
(わが家からすこし遠かったということもあって)最近は行かなくなった。
近くでアマナの咲く場所がないかと探していたところ、
数年前に発見したのが、この里山なのだ。
だが、久しぶりだったので、場所が分らない。(笑)
20分ほど探して、ようやく見つけた。
まだ咲き始めのようで、蕾が多かった。
朝露を纏って、美しい。
このアマナの群生地は、かなりの広範囲。
ひとつひとつに足を止め、
見て回る。
これほどたくさんあると、嬉しくなる。
なんて可愛くて、
美しいんだろう。
いつまでも見ていたい感じ。
時間の経過と共に、少しずつ開花してくる。
開いている花はないかと、探して回る。
開き始めも可愛い。
これはかなり開いている。
これも、
これも。
そして、ついに、全開の花を見つける。
いいね~
近くには菜の花畑が広がり、
ムラサキケマンも群生し、
可憐なスミレが咲き、
ツクシも大勢顔を出していた。
幸福感に包まれる。
〈私は良き場所に住んでいる……〉
と思う。
そして、
〈今、人生の一番良き時にいる……〉
と。