一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

近くの里山 ……アマナが咲く丘で、人生を想う……

2020年03月04日 | 近くの里山


己の人生を振り返ったときに、
〈自分の人生で、どの年代が最も幸福であったか……〉
と、考えるときがある。

物心がついた頃には、テレビはおろか、電化製品はほとんどなかった。
外で遊ぶことが主で、すべてが自然と共にあった。
何もなかったが、ある意味、最も幸福な時代であったかもしれない。

10代は、東京オリンピック(1964年)と共に始まった。
初恋があり、本との出逢いがあり、
何もかもが新鮮で、これまた幸福な時代であった。

20代は、大学を卒業し、東京で編集記者の仕事をし、27歳のときに九州へ帰った。
28歳で出逢った8歳年下の女性と29歳のときに結婚した。
好きな仕事をし、生涯の伴侶と出逢い、
様々な経験をした20代も幸福な時代であった。

30代は、最も仕事に打ち込んだパワフルな時代だった。
そして、休日には子供たちの相手をし、子供たちとの思い出も多い時代であった。
35歳のときに25年ローンで家を建て、
公私ともに充実した年代であったと言える。

40歳のときに、一旦仕事を辞め、徒歩日本縦断の旅に出た。
妻子ある身で(しかも家のローンを抱える身で)の決行に批判もあったが、
今考えると、あのときに実行して本当に良かったと思う。
幸い、旅から帰ってすぐに仕事も見つかり、元の生活に戻った。
趣味で書いた小説で、小さな文学賞を受賞し、
やりたいことをやり切った年代であった。

50代は、最も山に登った時代であった。
地元の山岳会に所属し、九州の主だった山はほとんど登り、
日本アルプスの山にも遠征するようになった。
気力も体力もあり、
海抜0メートルから登る登山にも挑戦し、
実に楽しい時代であった。
私生活では、子供たちが結婚し、初孫が誕生し、ジイジとなった。

そして60代。
60歳で家のローンが終了し、肩の荷を下ろし、
65歳で定年退職し、年金生活に入った。
今は午後だけ仕事をし、
午前中や休みの日には、好きなことをして過ごしている。
身体のあちこちにガタがきて、健康不安はあるものの、
好きなことができているし、これ以上望むことはない。
年を重ねるごとに欲はなくなり、
今は、「衣食住」が足りていれば満足の生活になっている。
「住」は、持ち家なので、心配はない。
「食」は、ご飯と、みそ汁と、漬物があれば満足。
「衣」は、山服しか持っていないので、日常でも仕事でも山服を着ている。
酒も呑まず、煙草も吸わず、グルメの趣味もない。
美味しくものを食べたいとは思うが、美味しいものを食べたいとは思わない。
だからお金もあまり使わない。
昔は「年は取りたくない」と思っていたが、
60代になってみると、「これぞ人生の一番好い時!」と思っている自分がいる。


3月3日(火)
今日も午後から仕事であったが、
朝から近くの里山に散歩(山歩?)へ出掛ける。
数年前に見つけたアマナの群生地へ行ってみたくなったのだ。

以前、よく行っていたアマナの群生地は、
YAMAP族に知られて見学者が多くなり、
(わが家からすこし遠かったということもあって)最近は行かなくなった。

近くでアマナの咲く場所がないかと探していたところ、
数年前に発見したのが、この里山なのだ。
だが、久しぶりだったので、場所が分らない。(笑)
20分ほど探して、ようやく見つけた。
まだ咲き始めのようで、蕾が多かった。


朝露を纏って、美しい。


このアマナの群生地は、かなりの広範囲。


ひとつひとつに足を止め、


見て回る。


これほどたくさんあると、嬉しくなる。




なんて可愛くて、


美しいんだろう。


いつまでも見ていたい感じ。


時間の経過と共に、少しずつ開花してくる。


開いている花はないかと、探して回る。


開き始めも可愛い。




これはかなり開いている。


これも、


これも。


そして、ついに、全開の花を見つける。
いいね~


近くには菜の花畑が広がり、


ムラサキケマンも群生し、


可憐なスミレが咲き、


ツクシも大勢顔を出していた。


幸福感に包まれる。
〈私は良き場所に住んでいる……〉
と思う。
そして、
〈今、人生の一番良き時にいる……〉
と。


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