一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『愛なき世界』(三浦しをん∕中央公論新社) ……植物愛にあふれた人々の物語……

2018年10月16日 | 読書


三浦しをんの最新刊(2018年9月10日初版発行)小説である。
キャッチコピーは、

恋のライバルは草でした。(マジ)

続けて、

植物愛にのめりこむ変人たちの純愛活動

とある。


人たち」ではなく、
人たち」というところが、なんだか面白そうだ。

山歩きをしていると、
多くの植物に出逢う。
すると、植物に対する関心も自ずと高くなり、
このブログに写真も掲載してきた。
なので、
〈植物が主題の小説なら読んでみたい……〉
と思った。

本を手にすると、ずしりと重い。
読売新聞朝刊に2016年10月12日から2017年9月29日まで約1年間連載されたもので、


単行本化にあたり加筆・修正し、
連載終了から約1年後の2018年9月10日に発行されている。
〈読み応えがありそうだ〉
と、447頁の本を読み始めたのだった。



東京都文京区本郷の高台にある洋食屋「円服亭」の見習い・藤丸陽太は、
“植物”の研究に一途な国立T大学の大学院生・本村紗英に恋をした。
しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。
見た目が殺し屋のような教授・松田賢三郎、
イモに惚れ込む老教授・諸岡悟平、
助教の川井、
20代後半の女性ポスドクの岩間、
ボテンを栽培しまくる「緑の手」をもつ後輩男子・近藤など、
個性の強い大学の仲間たちがひしめき合い、
植物と人間たちが豊かに交差する。
本村紗英に恋をして、どんどん植物の世界に分け入る藤丸青年。
人生のすべてを植物に捧げる本村に、
藤丸の想いは届かない。
〈まさか、恋のライバルが“草”だったとは……〉
本村の研究を覗き見しているうちに、
藤丸の心にも、小さな生き物たちへの愛情が芽生え、
本村への理解もできるようになってくる。
はたして、藤丸は、恋の光合成を起こせるのか……



仕事、食事、睡眠以外の時間をすべて読書に使い、
2日間で読了した。
感覚的には“一気読み”であった。
それくらい面白かった。
派手な立ち回りがあるわけでもなく、
ハラハラドキドキさせてくれるわけでもなく、
涙を流させるわけでもないのに、
頁を繰る手が止まらない。
キャッチコピーだと、
ラブロマンスのようだったが、
実際に読んでみると、
大学で植物学を研究する人々の様子が克明に描かれている。
まさに、植物オタク。
この、植物に魅せられた変人たちが発する言葉や行動がすこぶる面白い。
最初は、洋食屋の見習い・藤丸陽太が主人公だと思ったが、(基本的にはそうであるが)
三浦しをんが真に描きたかったのは、
植物の世界にのめり込む人々だったのだな……と思った。
その解説者役(狂言回し)を担っていたのが、
大学院生の本村紗英だった。
この本村に、素人の藤丸が質問する形で、
(これまた素人の)読者の植物への理解が進んでいくような仕組みになっているのだ。
そして、藤丸の目線で、
植物にのめり込む人々が、どんなに面白く、愛すべき人々であるかが、知らされる。


愛にあふれた人々が登場するのに、
なぜ本のタイトルは『愛なき世界』なのか?
それは、藤丸が本村に告白したとき、
「私は、だれともつきあいません」
と答えた本村に、
「なぜ、誰ともつきあわないと言い切れるんですか?」
と藤丸が訊いたときに、
本村が答えた言葉の中にある。


「植物には、脳も神経もありません。つまり、思考も感情もない。人間が言うところの、『愛』という概念がないのです。それでも旺盛に繁殖し、多様な形態を持ち、環境に適応して、地球のあちこちで生きている。不思議だと思いませんか?」
本村があまりに淡々と述べたので、むしろ藤丸は、植物ではなく人間のほうが不思議なんじゃないか、という思いにとらわれた。愛などというあやふやなものを振りかざさなければ繁殖できない人間のほうが、奇妙で気味の悪い生き物なんじゃないか、と。
「だから私は、植物を選びました。愛のない世界に生きる植物の研究に、すべてを捧げると決めています。だれともつきあうことはできないし、しないのです」
(92頁)


「愛なき世界」の植物研究にすべてを捧げると決めた為、
自らも恋愛することをタブーとした彼女だが、
そう決断している本村も、
〈結婚にも生殖にも興味がなく、研究ばかりしている私はもしかしたら不完全なのではないか……〉
と悩むこともある。

交際を断られた藤丸も、
その後も本村の植物研究を覗き見するうちに、
〈果たして、愛とは何なのか……〉
を考え始める。

普通の人が一風変わった植物学研究者に恋をしてしまうとどうなるのか……?

という興味もさることながら、
本書を読んでいると、
読者にもまた植物愛が芽生えてくるし、
道端の草さえ愛おしくなってくる。
世界が違って見えてくるのだ。

ちなみに、
本村紗英が研究しているシロイヌナズナとは、こんな植物。


先日(10月14日)、東京で、
三浦しをんと、塚谷裕一教授による講演と対談があったようだ。


〈東京に住んでいるならぜひ聴きに行きたい〉
と思ったものだが、叶わぬことなので、
塚谷裕一教授の著作を3作ほど読んだ。
『漱石の白くない白百合』(文藝春秋 1993年刊)
『スキマの植物図鑑』(中公新書 2014年刊)
『森を食べる植物 腐生植物の知られざる世界』(岩波書店 2018年刊)
めちゃくちゃ面白かった。



 

身近でありながら、改めて考えると奥が深い植物の世界。
私自身も、「愛なき世界」にのめり込んでしまいそうだ。

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