一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『芳華-Youth-』 ……激動の中国現代史の中に咲く、美しく芳しい華たち……

2019年05月15日 | 映画

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中国映画というと、
(鑑賞する映画を“女優”で選ぶ私としては)
チャン・イーモウ監督作品を真っ先に思い出す。
中でも、美しきコン・リーが出演していた
『紅いコーリャン』(1989年・日本公開)
『菊豆(チュイトウ)』(1990年・日本公開)
『秋菊の物語』(1993年・日本公開)
『活きる』(2002年・日本公開)
などは、強く印象に残っているし、


チャン・ツィイー主演の『初恋のきた道』(2000年・日本公開)


チョウ・ドンユィ主演の『サンザシの樹の下で』(2011年・日本公開)
も、主演女優が美しい恋愛映画として、心の大事な場所に仕舞ってある。


今年(2019年)の2月に、
尊敬する川本三郎氏の映画評でフォン・シャオガン監督作品『芳華-Youth-』を知り、
予告編を見て、私好みの作品であることを認識した。
出演している女優たちも映像も美しかったからだ。
今年(2019年)の4月12日の公開された作品であるが、
佐賀では、1ヶ月遅れの、5月10日からシアターシエマで上映され始めた。
で、先日、ようやく見ることができたのだった。



1976年の中国。
17歳のシャオピン(ミャオ・ミャオ)は、
歌や踊りで兵士たちを慰労し鼓舞する歌劇団・文工団に入団する。


実父が労働改造所に送られていることもあって、
幼い頃から貧しく、周囲から冷たくされていたシャオピンは、
素性を知られないようにと、実父の姓を捨て、
継父の姓に変えて入団したのだった。
ただ、実父には、文工団に入団したことを早く知らせたくて、
まだ軍服を持たないシャオピンは、
同室のディンディン(ヤン・ツァイユー)の軍服を無断で持ち出して写真館に行き、
軍服姿の写真を撮ってもらう。


だが、この写真館が、通りに面したウインドーにシャオピンの写真を飾ったことで、


軍服を無断で持ち出したことが発覚し、
シャオピンに対する“いじめ”が始まる。
シャオピンの洗濯物(手作りの胸パッド)を見ては笑われ、


汗かきの彼女は、ダンスのパートナーとなる男性「体が臭い」と言われ、一緒に踊ってもらえない。
そんなとき、「わたしがパートナーになろう」と言ってくれたのは、
文工団の模範的存在のリウ・フォン(ホアン・シュエン)だった。


いじめられることで、心を閉ざしていくシャオピンであったが、
彼女にとって唯一の支えは、いつも何かと助けてくれるリウ・フォンだった。
だが、リウ・フォンには、心に想う女性がいた。
それは、文工団で歌唱を担当する美しきディンディンだった。


恋愛禁止の文工団であったが、
あることがキッカケでリウ・フォンはディンディンに告白する。


だが、ディンディンを抱きしめたとき、それを団員に見られてしまい、
保安部に事情聴取される。
保身のために嘘の供述をしたディンディンの所為で、
リウ・フォンは団を追われ、南部の伐採部に移動させられる。
彼を見送ったのは、シャオピン唯一人だけであった。


リウ・フォンがいなくなったことで、文工団での希望が潰えたシャオピンは、
文工団で活動していく気が失せ、野戦病院の看護師に転属させられるのだった……




このようにストーリーを紹介すると、
単なる、シャオピンとリウ・フォンのラブストーリーのような感じだが、
それは違う。
文化大革命、毛沢東の死、四人組の失脚、中越戦争、
そして、改革・開放の時代へと続く中国現代史を舞台にした青春群像劇なのだ。
シャオピン(ミャオ・ミャオ)、


リウ・フォン(ホアン・シュエン)、


ディンディン(ヤン・ツァイユー)


の他に、もう一人、重要な人物がいる。
それが、文工団のプリマドンナともいうべきシャオ・スイツ(チョン・チューシー)。




文才が認められ、従軍記者として前線へ送られるが、後に作家となる。
この映画は、作家となった彼女が、文工団での思い出を語るという形で進むのだ。
シャオ・スイツ自身は、
トランペット担当のチェン・ツァン(ワン・ティエンチェン)に憧れており、
その恋愛模様も描かれている。


この映画に出演している女性は、誰もが美しく、スタイルが好い。


フォン・シャオガン監督の、キャスティングにおける条件は、


「整形していないこと」
だったらしい。(笑)
だからなのか、素朴で、素顔の美しい女優が多く出演している。


それでも、同じ服装、同じ動き、同じ表情のシーンが多く、
最初は、誰が誰なのか、見分けがつきにくかった。


物語が進むにつれ、それぞれの人生が動き出し、
時代の変化と共に、各人の表情にも陰影が現れるようになる。


「芳華」とは、
芳(かんば)しく咲き誇る花のような年頃……という意味であろうし、


文工団の若い女性たちを指しているように思う。


本作の前半は特に、この芳しき華たちの稽古シーンが素晴らしい。
ロボットが演技しているような本番のステージではなく、
汗が溢れ出るような稽古シーンが主というのがミソで、
人間臭く、より彼女たちが活き活きと感じられ、秀逸であった。


年頃の男女が集っているので、
恋愛がご法度であろうと、恋心は止められない。


模範兵のリウ・フォンでさえ、自分の気持ちを抑えられないのだから、
他は「推して知るべし」である。


それぞれの恋愛模様を描きながら、


時代は急激に変化していく。
映画の後半は、さながら中国現代史の流れを見るかのようである。
毛沢東亡き後の、江青ら四人組の失脚、文化大革命の終焉、中越戦争、
そして、文工団の解散……


新しい時代が始まり、
うまく適応していく者、
時代に取り残される者など、
かつての文工団の団員たちの格差も顕著になる。
(最後に少しネタバレするが)
リウ・フォンが好きだったディンディンは、
華僑と結婚し、海外で暮らしており、昔の美しかったときとは別人のように太っている。
団員だった男たちも、今では金儲けに奔走している。
作家になったシャオ・スイツも勝ち組の一人であろう。
だが、この物語の語り部であるシャオ・スイツは思う。
〈こんな現在を得るために、我々は文工団で苦労したのか……〉
と。
中越戦争の前線に送られ、片腕を失ったリウ・フォンと、


野戦病院で悲惨な現実を見て、精神を病んでしまったシャオピンは、


新しい時代には適応できずに、社会の底辺にいた。
この二人が再会し、
貧しいながらも一緒に暮らすようになる。
リウ・フォンとシャオピンがベンチに腰掛け、寄り添っているシーンで、
この映画は幕を閉じる。


「老いた二人の姿を皆さんに見せたくないから、銀幕には輝く華の時を留めよう」
と、シャオ・スイツは語り、
文工団時代の美しい映像をフラッシュバックさせる。
〈すべて変わってしまったが、今も変わっていないのはこの二人だけなのではないか?〉
そう問いかけるように……

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