一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

佐藤正午『アンダーリポート』(集英社)

2008年03月06日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
私が、この「一日の王」というブログを開設したとき、「登山」「映画」「読書」を三本の柱にしようと思った。
メインは「登山」。
「映画」と「読書」もかなりのスペースを割くつもりでいた。
ところが、いざ始めてみると、「登山」「映画」はまずまずだとしても、「読書」のレビューがほとんど書けてない。
私の人生で、最も多く時間を使ったのは、間違いなく「読書」である。
それは今も変わらない。
「登山」も「映画」も、休日に登ったり、見たりしているだけなので、時間的には多くはない。
しかし「読書」は毎日している。
少なくとも一日3時間から4時間は読書を楽しんでいる。
だがレビューが書けない。
いや、書こうと思えば書けるのだが、時間がかかるのだ。
「登山」や「映画」の時のように、簡単には書けない。
いろいろ考えているうちに、時間はアッという間に過ぎてゆく。
「そんな時間があったら次の本を読みたい」と思ってしまう。
新しい本の魅力に負けてしまう。
……という訳で、私のブログのカテゴリー「読書」の項の数字は一向に増えない。
なんとかしなくては……と思ってはいるのだが……。
そこで考えたのだが、レビューではなく、本の中の気に入った文章を紹介するというのはどうだろうか……と。
それなら、割と簡単だし、自分がその本から何を感じとったか、どこが重要と思ったかが、後からでも解りやすい。
安易な方法と非難されそうだが、しばらくこの方法でやってみようと思う。
そこで、佐藤正午の小説『アンダーリポート』(集英社)から、277頁の次の文章を取りだしてみた。

殺人、強盗、強姦、傷害、恐喝、詐欺、確かに人と人が出会ったところに不幸の種が蒔かれ、犯罪が起きる。警察白書では年間に発生した犯罪件数が報告され、人と人が出会ったことで生まれた不幸の数を証明している。でもそれでは一面しか見ることができない。逆に、人と人が出会うことで生まれる幸福の数はどうなるんだろう? たとえばの話、恋愛の数や友情の数はどうなるんだろう? 恋愛や友情の発生件数を載せている白書は存在しない。人と人が出会うことで毎日生まれているばずの恋愛、友情の数は記録のしようがない。

「不幸は資料として残せるけど、人が幸福を感じた結果のほうはそれができない」

けだし名言!
ただ、今はネット社会。
この(私を含め、多くの人が書いている)ブログは、「人が幸福を感じた結果を資料として残せる数少ない記録の一つではないか」と考えた。
「登山」も「映画」も「読書」も、私に大きな幸せを感じさせてくれる。
簡単に言うと、この「一日の王」というブログは、幸福の記録である。
「幸福の記録だけではつまらない」という言う人もいるとは思うが、私はそれでも「幸福」に拘って書いていきたいと思う。

と、佐藤正午の小説『アンダーリポート』とはまったく関係のない感慨を抱き、決意したのでした。
最後に、一言。
この小説は、かなり面白いです。
佐藤正午は近年、恋愛小説の名手などと呼ばれているが、それはそれとして、私は、女性の描き方が物凄く上手いと思う。
佐藤正午が創り出す女性は実に魅力的。
この小説でも幾人もの魅力的な女性が登場するが、特に第5章に登場する戸井直子という女性に私は惹かれた。
この章以外ではほとんど登場しないので、それが誠に残念!
この小説は、読み終えてから、再び最初からまた読み直したくなる、稀有な本である。
トマス・H・クックの名作『夏草の記憶』や、乾くるみの傑作『イニシエーション・ラブ』のように……。
これじゃ、まったくレビューになってないけど、これでご勘弁を!

先週、私が読んだ本。
●加島祥造・帯津良一『静けさに帰る』(風雲舎)
●五木寛之・帯津良一『健康問答2』(平凡社)
●興膳宏『中国名文選』(岩波新書)
●茨木のり子『女がひとり頬杖をついて』(童話屋)
●池澤夏樹『叡智の断片』(集英社)
●三宮麻由子『音をたずねて』(文藝春秋)
●柳美里『柳美里不幸全記録』(新潮社)
●姜尚中『姜尚中対談集 それぞれの韓国そして朝鮮』(角川学芸出版)
●荒木経惟『東京愛情』(ポプラ社)

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