一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『人数の町』 ……石橋静河、立花恵理が魅力的な荒木伸二監督の秀作……

2020年09月17日 | 映画


映画配給会社キノフィルムズを擁する木下グループが、
映画業界の新たな才能発掘を目的に、
2017年に開催した「第1回木下グループ新人監督賞」(審査員長は河瀨直美監督)で、
準グランプリになった作品を中村倫也主演で映画化したもので、
衣食住が保証され快楽をむさぼることができる謎の町を舞台に描くディストピアミステリー。
監督・脚本は、
松本人志出演による「タウンワーク」のCMやMVなどを多数手がけ、
本作が初長編監督作品となる荒木伸二。


今どき珍しい完全オリジナル脚本作品だし、
私の好きな石橋静河も出演しているので、
ぜひ見たいと思った。
で、ワクワクしながら映画館に駆けつけたのだった。



借金取りに追われ暴行を受けていた蒼山哲也(中村倫也)は、


黄色いツナギを着たヒゲ面の男に助けられる。
その男・ポール(山中聡)は、蒼山に「居場所」を用意してやるという。


蒼山のことを“デュード”と呼ぶその男に誘われ辿り着いた先は、
出入りは自由だがけっして離れることができない、ある奇妙な町だった。


「町」の住人はツナギを着た“チューター”たちに管理され、
簡単な労働と引き換えに衣食住が保証される。


それどころか「町」の社交場であるプールで繋がった者同士でセックスの快楽を貪ることも出来る。


ネットへの書き込み、別人を装っての選挙投票……
何のために?
誰のために?
住民たちは何も知らされず、何も深く考えずにそれらの労働を受け入れ、
奇妙な「町」での時間は過ぎていく。


ある日、蒼山は新しい住人・木村紅子(石橋静河)と出会う。


彼女は行方不明になった妹をこの町に探しに来たのだという。
ほかの住人達とは異なり、
思い詰めた様子の彼女を蒼山は気にかけるが……




ジョージ・オーウェルの『1984年』や、
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読んだときのような、
奇妙な感情に襲われる作品であった。
本作『人数の町』には、基本、若者しか登場しない。
(古株らしい大人が一人いることはいるが)概ね「町」には若者しかいない。
そういう意味では、
2012年日本公開のアメリカ映画『TIME/タイム』に似ているかもしれない。


映画『TIME/タイム』の舞台は、人類が老化を克服した近未来。
この世界の唯一の通貨は“時間”。
全ての人間の成長は、25歳でストップする。
この世界は“富裕ゾーン”と“スラムゾーン”の2つに分かれている。
全ての人間の左腕には、《ボディ・クロック》と呼ばれるデジタル時計が刻まれており、
25歳になった瞬間にボディ・クロックが起動し、残りの“余命”がカウントダウンされる。
全ての人間の時間を監視するのは、時間監視局員(タイムキーパー)。
時間は、お互いの手をつなぐ行為により、“分け与える”または“奪う”事が可能になる。
このようなザックリとした設定で物語は始まる。

人類がなぜ老化を克服できたのかは、“遺伝子操作”という一言で片づけられ、説明はほとんどない。
なぜ25歳で成長がストップするかも謎のまま……
(おそらく25歳が人間の最も美しく活動的な年齢と考えられているのだろう)
先程、私は、「こういうザックリとした設定で、物語は始まる」と書いたけれども、
映画を見ていると、いろんな矛盾が噴出してきて、
人によっては、「見るに堪えない」映画になる恐れがある。


映画『TIME/タイム』のレビューで私はこのように書いたが、(全文はコチラから)
SF的、ファンタジー的な要素のある作品は、どんな作品であっても、
設定的に、ツッコミどころ満載なのであるが、(『人数の町』も例外ではない)
まずはその設定を受け入れること。
それが、この手の作品を楽しむコツかもしれない。
私自身が単純な性格で、(笑)
順応しやすい人間ということもあるだろうが、
私はすぐに『人数の町』の設定を受け入れることができた。
そして、大いに楽しむことができた。


町と外界(一般社会)とは、フェンスで隔てられており、
フェンスの外へ出ようとすると脳内に耐えきれないほど高周波の不快な音が鳴り響き、
「町」に戻らざるを得なくなる。
「町」の住人は、簡単な労働と引き換えに衣食住が保証されており、(部屋は個室)
「町」の社交場であるプールで繋がった者同士で、セックスまで楽しめる。
自分の部屋番号を渡して相手が受け取れば「YES!」という意思表示で、
フリーセックスが推奨されているのだ。
ただし妊娠は厳禁で、多くの避妊具も用意されている。(笑)
このような快適(?)な“ぬるま湯”生活なので、
「町」に住民たちには「町」からの脱走など考える者すらいない。
主人公の蒼山哲也(中村倫也)も、次第に「町」に適合し、順応してくる。
そんな「町」へ、
木村紅子(石橋静河)という女性が失踪した妹を探しにやって来る。
「町」の住民とは異質の彼女と接するうちに、
蒼山に「町」への疑問が生じるようになる……
というストーリー展開なのだが、
あまり詳しく書くと怒られるので、これ以上は書きづらいのだが、
後半は、蒼山哲也と木村紅子ともう一人(これは書けない)の逃走劇となる。
この展開は『TIME/タイム』と似ており、
ハラハラドキドキさせられる。


この逃走劇は、前回紹介した『ソワレ』にも通じるものがあり、
縛られた(決められた)社会からの脱出に、
誰しも共感するのではないだろうか。


そもそも、本作『人数の町』のアイデアは、どのようにして生まれたものなのか?
荒木伸二監督は、次のように語る。


人間が「人数」に変わる時、私は怖さを感じるんです。なんでかなと考えた時に、人間が名前が付いた人だったらぜんぜん怖くないんだけど、人が名前を奪われてどんどん塊になっていくと怖くて怖くて仕方がないっていう感じが小さい頃からあります。なのでたとえば多数決は大っきらい。自分の横に座っている人は怖くないけど、“正”の字のように人が人の頭数を数える行為は怖い。
怖いものがあれば映画が撮れる、そうスピルバーグが言ってるんですが、じゃあ、自分が怖いものは何だろうと。人数かもなと。「町から人がどんどん消えている。どこかに連れて人数として利用されている」という着想をノートに記しておいたんです。普段から思いついたアイディアはノートに記して、定期的に見返しているんですが、『人数の町』はそこに記してあったアイディアのひとつなんです。

現代では、SNSでのいいねの数だったり、人間がどんどん“人数”になっちゃってることが怖いなぁって。なんか、あの政権が怖いな、あの運動が怖いな、あの差別が怖いなって思う以上に、それらに紐づいた人間が「人数」になっている。何、この塊?っていう怖さなんです。で、更に現代の日本でいうとその「塊」に属している人たちは、手錠をはめられているわけでもなく、なんかモヤっと生きてるんだよな、この薄気味悪い感じ、至るところにあるよなってのが、本作の発想の重要なポイントです。
(「NB Press Online」インタビューより)

突拍子もない荒唐無稽の物語に見えながら、
本作は実にリアルな問題提起をしている。
「ネット社会の世論は誰かによってコントロールされているのではないか?」
「選挙は本当に国民の声が反映されているのか?」
「デモ隊は本当に同じ志の者たちの集まりなのか?」
といったような疑問に対する答え(からくり)を見せながら、
「ベーシックインカム」のようなシステムの可否(是非)も問うている。
人工知能(AI)の発達で、
20年以内に2人に1人が失業すると予測されている。
仕事がなくなった人々の所得をどう保障するか……という問題の解決案として、
すべて人に無条件で毎月一定のお金を直接配布する「ベーシックインカム」というシステムが持ち出されるようになった。
ヨーロッパでは18世紀末から議論されてきたものであるが、
日本では、数年前から、
ホリエモン(堀江貴文)やひろゆき氏(西村博之)がよく話題にしているので、
ご存じの方も多いことと思う。


フィンランド、カナダ、オランダ等で、
一部の人や地域を対象に実験的に実施されたりもしているので、
絵空事ではなく、現実味を帯びてきたシステムで、
本作『人数の町』も「ベーシックインカム」を先取りしたような作品になっている。
この「町」に住みたいと思うか、住みたくないと思うかは、
現在、自分の置かれている状況によって違うと思うが、
近い将来、この「町」を拡大したような「国」がどこかに誕生するような気がする。
いや、すでに、あの国やあの国は、
最悪の形で『人数の町』になっているのかもしれない。(コラコラ)
“人間”ではなく、“人数”としてしか扱わなくなっている国に……
そんなことなどを、いろいろと考えさせたり空想させたりする作品なので、
飽きないし、最後まで楽しんで見ることができた。



主人公の蒼山哲也を演じた中村倫也。


元々は「流されやすい人」人物であるのだが、
木村紅子(石橋静河)に出会うことで変化が生じていく……という難しい役で、
物語の進行と共に、刻々と変化していく蒼山を繊細に演じていて感心させられた。



木村紅子を演じた石橋静河。


『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年)を見て大ファンになったのだが、
それ以前の、
『少女』(2016年)
『PARKS パークス』(2017年)
も鑑賞しているし、
その後の、
『きみの鳥はうたえる』(2018年)
『生きてるだけで、愛。』(2018年)
『21世紀の女の子「ミューズ」』(2019年)
『いちごの唄』(2019年)
『楽園』(2019年)
などでも彼女の演技に魅了されている。
ややマイナー志向なのか、
県外に行かないと見ることができない作品も多く、
彼女の出演作鑑賞に毎回苦労するのだが、(笑)
『人数の町』は佐賀県でも上映されたので良かった。(ホッ)
彼女が出演しているだけで作品の質がアップするように感じる程、
演技が上手いし、存在感がある。
それは、本作『人数の町』でも変わらなかった。
石橋静河がキャスティングされていなかったら、
おそらく見なかった作品であるし、
見ても、作品の評価は違っていただろう。



「町」の住人でマドンナ的な存在の末永緑を演じた立花恵理。


ファッションモデルとして有名な彼女だが、
TVドラマ出演はあるものの、映画出演はこれまでなく、
本作『人数の町』が映画デビューとなる。
いきなり黒ビキニの水着で登場し、そのエロさ、
いやいや、その色気にすっかり魅了された。(コラコラ)


立花恵理が演じる末永緑は「町」の象徴であり、
「町」を魅力的に見せている広告塔でもある。


立花恵理自身も映画デビュー作とは思えないほどに堂々と演じており、
とても良かった。



お気づきの方もおられるかもしれないが、
登場人物の名前には、
山哲也、木村子、末永……というように、
“色”が使われており、
“十人十色”という言葉があるように、
人は個性を持っていてそれぞれの“色”を出すという考え方から、
登場人物それぞれにネーミングされたようだ。
全員の“色”が無くなって、“人数”としか見られなくなったときに、
本当の恐怖が訪れるような気がしたし、
本作で、各人が“色”で呼び合っているのを聴いて、なんだかホッとする部分があった。



カメラマンは、
石橋静河が出演していた『きみの鳥はうたえる』で、
第73回毎日映画コンクール撮影賞を受賞した四宮秀俊。


『さよならくちびる』(2019年)、『宮本から君へ』(2019年)で、
第41回ヨコハマ映画祭撮影賞も受賞しており、
本作が近未来の現実離れした設定ながら、
見られる作品になっているのは、四宮秀俊のカメラによるところ大である。



本作のHPのキャッチコピーは、

出るのも入るのも自由だが、
逃げることのできない「町」とは?


あなたも、しばし、映画館で、この「町」の住人になってみませんか?
ぜひぜひ。

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