一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

米良の山①「天包山」 ……黒く塗りつぶされたキャンバスに燦めく星々……

2010年05月03日 | 山岳会時代の山行
(石堂山山頂から見た天包山)

からつ労山では、毎年、ゴールデンウィークに、月例山行とは別に、「GW特別山行」を行っている。
今年は、5月3日(月)~4日(火)の1泊2日で、宮崎県にある天包山と石堂山。
五家荘、椎葉荘、米良荘を、九州三大秘境と呼んでいるが、
脊梁山脈の南端に椎葉荘があり、そのさらに南に隣接したところに米良荘がある。
この米良荘には、米良三山と呼ばれている、市房山(1722m)、石堂山(1547m)、天包山(1188m)があり、今回は、この米良三山のうちの二つの山に登るのだ。
(残るもう一つの山・市房山には、2週間後の5月16日(日)に、5月の月例山行として登ることになっている)
参加したのは10名(男性7名、女性3名)。
いつもに比べると少ない人数。
なので、マイクロバスでは、2人掛けの座席に1人ずつ座るという贅沢ができた。
参加者が少ないのは残念だが、今回はバスでの往復の移動時間が長いので、ゆったり気分で行けるのは正直有り難かった。
5月3日。
午前7時に唐津を出発したマイクロバスが、7時45分頃に多久IC入口に到着。
私は車中の人となった。
途中、何度かSAやコンビニなどに立ち寄り、トイレ休憩や食料買い出しなどをした。
今日に限って言えば、山頂近くまで車道が延びている天包山に登るだけなので、ちょっと余裕。
急がなくても大丈夫なのだ。
車中では、持参してきた本を読んだり、車窓の風景を楽しんだり、のんびり過ごした。
今回持ってきた本は、文庫本の星野道夫著『イニュニック〔生命〕』。
星野道夫の本は、旅の最高の友だ。

12:40
天包山登山口に到着。
登山口には、「西南戦争之碑」があり、背面に西南戦争の由来が詳しく記されていた。
この山に登る途中にある「坊主岩」には、弾痕が残っているそうだ。


すぐに準備をし、軽くストレッチ。
20分ほどで登れる山ということで、ザックは持たずに空身で登る人がほとんど。
私はいつものようにザックを背負った。
12:47
登山口を出発。
登山口には、立派な記帳箱がある。


12:51
「坊主岩」に到着。


すぐに西南戦争の時の弾痕を探す。
岩にうがたれた穴はけっこう大きくて驚いた。
ピンポン球が入るくらいの大きさだ。


しばらくすると、岩の上から、「眺めがイイよ~」との声。
もうすでに数人が登っている。
私も登ってみた。
本当に好い眺めだ。
市房山も見えた。


岩から降りて、坊主岩の案内板を見る。
《昔からこの岩に上がると雨が降りだすと伝えられ「天の岩」とも呼ばれていた》
と記されてあり、岩に登ったことを後悔する。
〈どうか雨が降りませんように……〉


坊主岩を過ぎ、緑のトンネルの中を歩いて行く。


12:58
(もう)9合目を通過。(笑)


新緑の美しい登山道。
けっこう急坂だ。


山頂はもうすぐ。


13:16
天包山山頂に到着。
寄り道したりしてゆっくり登ったので、30分ほどかかった。
鉄塔に囲まれた山頂で、やや興醒め。


鉄塔の後ろに展望台があった。


鉄塔の後ろに建っているので、一部鉄塔により視界が遮られているが、眺めはまずまず。
西側には白髪岳が見える。


右に目を転ずると、市房山。


さらに右に目を転ずると、明日登る予定の石堂山が見えた。


市房山と石堂山の位置関係は、このようになっている。
向かって左が市房山、右が石堂山。
鉄塔を囲むように張られているフェンスがやや邪魔だが、登頂意欲をそそられる美しい風景だ。
明日(石堂山)と、2週間後(市房山)が楽しみになってきた。


下山後、本日の宿泊地「双子キャンプ場」へ移動。
美しい谷間にあるキャンプ場で、沢の音が耳に心地よい。


このキャンプ場内にある管理棟を借りた。
広々とした室内で、10人が楽に寝ることができた。
管理棟には、ガス、水道などはもちろん、テレビまであったのでビックリ。
キャンプ場の隣には温泉もあり、もう言うことなし。


温泉に入り、ビールや焼酎を飲み、大いに語り合った。
やや飲み過ぎた者数名。(笑)
山歩きは疲れなかったが、飲み疲れで、皆早々にシュラフに入る。
深夜、私は、トイレに立ったついでに、外に出て、夜空を眺める。
満天の星。
漆黒の夜空に燦めく星々を見ていたら、車中で読んでいた星野道夫の本にあった文章を思い出した。
星野道夫が出会った、ジョージ・アールという大学美術教授の言葉だ。
この大学教授は、若い頃に、かなり過酷な戦争体験をしている。

《ミチオ、ふつう絵を描く前にキャンバスは真白だね。そこに少しずつ色を塗ってゆくわけだ。私はいつの頃からか、まず初めにキャンバスを黒く塗りつぶすようになった。その上に色を重ねながら描いてゆくんだよ。
 なぜそんな方法をとるようになったかというと、それは私の人生観が変わってきたからなんだ。私はね、人がもって生まれた一生というものは深い闇に満ちていると思う。この世に永遠に存在するものなどない。あらゆるものがいつか消え去ってゆく。そんなつかの間の人の一生さえ矛盾にあふれているんだからね。
 考えてもごらん。たとえば、このツンドラに咲く花々を美しいと思い、一本の花を地面から引き抜く。なぜその花が抜かれ、隣の花が残ったのか。人生はそんな理不尽さに満ちあふれている。
 私は、人が生きてゆくということは、その人生の暗いキャンバスに色を塗ってゆくことなのだと思う。それも、どれだけ明るい色を塗っても、その下にある黒はどうしてもかすかに浮き出てくる。だから再びその上に色を重ねてゆく。私はね、生きてゆくということは、そんな終わりのない作業のような気がするんだよ……》

漆黒の夜空は、その大学教授が言った「深い闇」に思えた。
黒く塗りつぶされたキャンバスに思えた。
この黒く塗りつぶされたキャンバスであるからこそ、星々の輝きがいや増すのだと思った。
漆黒の闇がなかったら、星々の輝きもないのだ。
太陽の光に満ちあふれている昼間に、星の輝きを見ることはできない。
胸の裡に漆黒の闇を抱えた者だけが、あるいは星の燦めきを見ることができるのであろう。
今にも落ちてきそうな無数の星々を見ながら、私はそんなことを考えていた。

……米良の山②「石堂山」に続く。

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