一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

木内みどり『あかるい死にかた』(集英社インターナショナル)……死への覚悟……

2021年01月09日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


NHK「連続テレビ小説」第103作として、
昨年(2020年)の11月30日から放送されている「おちょやん」は、
上方女優の浪花千栄子を題材に、
戦前から戦後の大阪で貧しく生まれた少女が女優を目指す杉咲花主演のドラマである。


毎回楽しみに観ているのだが、先日、
そのドラマのモデルとなっている浪花千栄子の自伝『水のように』(朝日新聞出版)を読んだ。


そして驚いた。
なんと、浪花千栄子は、66歳で亡くなっていたのである。
私が子供の頃にTVドラマ、映画、オロナイン軟膏の看板などで見た浪花千栄子は、


まさに「日本のおばあちゃん」という感じで、年老いた女優に見えたし、
〈80代くらいで亡くなったのではないか……〉
と勝手に思っていた。
それが(今の私の年齢と同じ)66歳で亡くなっていたとは……



久しぶりに、本棚にある山田風太郎の『人間臨終図鑑』を取り出し、


「六十六歳で死んだ人々」の項を読んでみると、
泉鏡花、折口信夫、尾崎士郎、池田勇人、ルソー、ベルリオーズ、プッチーニなどが、
66歳で亡くなっていた。
ついでに「六十五歳で亡くなった人々」の項を見てみると、
吉田健一、花田清輝、菊田一夫、原敬、バッハ、ツルゲーネフ、マルクス、ディズニーなどの名が並んでいる。
さらに「六十四歳で亡くなった人々」の項を見てみると、
山本周五郎、三好達治、大河内伝次郎、東条英機、与謝野晶子、伊藤整、檀一雄、武田泰淳、小林一茶、ブラームスなどの名があった。

吉田健一も、


山本周五郎も、今の私の年齢(66歳)よりも若くして亡くなっていたのである。


驚くと同時に、
私自身も強く“死”を意識した。
〈もういつ死んでもおかしくはない年齢なのだ……〉
と。


先日、木内みどりの遺稿集『あかるい死にかた』を読んだ。


69歳で亡くなった彼女であるが、
66歳のときに、次のように記していた。

わたしも66歳。そろそろ、何ができて何ができなくなっているのか。限りある人生の終幕近くになって、自分は一体どこに向かおうとしているのか、どうお終いにしたいのかはっきりさせたくなってきています。
「いかに生きていくのか」よりも「いかに死んでいくのか」というわけです。
(86頁)


あと数年で死ぬことを予見したような言葉であるが、
元をたどれば、木内みどりの生死感の源は、
2011年3月11日に起きた東日本大震災にあるという。
2011年3月11日以降、
彼女はそれまでとはがらりと生きかたを変え、
政治・社会活動に積極的に参加し、
脱原発や反戦運動などに奔走するようになったからだ。
そして、東日本大震災から1ヶ月後の2011年4月10日に、
木内みどりは遺言状を書いている。

死にそうになったら
 延命治療なし
 人工呼吸×
死んだら
 読経、戒名なし
 家族、友人、知人のみで
 自宅で おいしいつまみ おいしいお酒
 好きな音楽かけて
 送り出してほしい
 お墓には入れないで散骨
 葬儀社が仕切るようなこと一切なし



最期も自分らしくありたいからと、
亡くなる1年前には散骨の場所を見つけている。
そして、
2019年11月17日の夜、広島の「平和記念資料館」で朗読の収録を終えて、
懇親会のあとホテルに戻り、
翌18日の未明、自室内で急性心臓死のため亡くなっている。

木内みどりが亡くなって2ヶ月後に、
彼女が出演した岩井俊二監督作品『ラストレター』(2020年1月17日公開)を見たのだが、
そのレビューで、私は次のように記している。

裕里(松たか子)の母・遠野純子を演じた木内みどり。
昨年末(2019年11月18日)に急性心臓死のために亡くなったので、(享年69歳)
映画としては本作が遺作となった。
ポーラテレビ小説「安ベエの海」(1970年、TBS)以来、
様々なTVドラマ、映画、舞台、バラエティ番組などで我々を楽しませてくれた。
また、チベット支援、脱原発などの社会活動家としての一面もあり、
「小さなラジオ」公式サイトに、

「1回きりの人生。致死率100%の人生。67歳の今、あと、何年生きられるのかを考えるようにもなりました。だからこそ始めてみることにしました」
と書き残しているが、
真摯に生きた人生であったことが分るし、
69歳での死を予感したような行動であったようにも思う。
早すぎる死が残念でならない。



このレビューを書いたときには、
木内みどりの断片的な言葉や行動しか知らなかったので、
〈いつか彼女の生死感(の全体像みたいなもの)をつかむことができれば……〉
と思っていた。
その願いが本書『あかるい死にかた』を読むことによって叶えられた。
常に死を意識して、
生きているうちにやれるだけのことをやり、
世界と日常を見つめ、
日々発見をし、
学習し、
発信していた木内みどりという女優の生き方を知ることができた。


ここからは、彼女の発した言葉の中で、強く印象に残ったものを紹介したいと思う。

大袈裟な言い方だけれど、お国のためや、会社のため、誰それさんのために……働いたりしないほうがいい。自分のため、それでいい。まず、自分が豊かで楽しいものに向かっていれば、まわりの人も気分がいいはずだ。(23頁)

陽だまりは、いいものだ。赤ちゃんや老人たちは、それをよく知っている。(43頁)

母に死なれて初めてわかったことは、たくさんあります。人生で大切なのは、どんな家に住んでいて、どんな地位で、なんてことじゃなくて、自分と日々かかわりあう人とどれだけたくさんの素敵な時間を持てたかとか、自分が困ったときにいっしょになって困ってくれる人がいることに嬉しさを感じたりとか、そんなことなんだと。それから、「やっぱりやりたいと思うことはやろう」「好きな人には好きって言おう」「自分が読みたいものや聞きたいもの、話したいことが人と違っていても、気にする必要はないんだ」など、そんな当たり前のことなんです。(56~57頁)

誰でもみな、裸で生まれてきて裸で死んでいく、確実に。
なにも持っては行けない、お金も名誉も土地も家も伴侶も子どもも。ひとりで生まれ生きて、ひとりで死んでいく。
だからこそ、原発・核廃絶を目指して生きて在る間に少しは役にたちたい。
(60頁)

人生は生きるに値する。(64頁)


心で反対と思っていても黙っていたのでは「賛成」なのです。抗議を表明しなければ「賛成」なのです。何かしら行動しなければ「賛成」なのです。(70頁)

一回きりの人生。
致死率100%の人生。
六七歳の今、あと、何年生きられるかを考えるようにもなりました。
(91頁)


ある程度の年齢を越すと、肩書が欲しくなっちゃったり、嘘でもいいから人から尊敬されたいってなる。だから退職して肩書がなくなると不安だから下請け会社のなんとかとか、嘘でも理事のひとりに入れてよ、って情けなーい人になってしまう人も多くいるわけなんですけど、肩書はいらない、だから私の理想は五歳児だと思ってるんですけど、五歳児は地図も持ってないお金も持ってない貯金もゼロ、友達もいない、親戚もいない、言葉もしゃべれない、でもあんなに楽しい。だから五歳児くらいの全能感ていうのかしら、あれを手に入れたい。(102頁)

これでお終いか……と覚悟するのは、いったいどこでなんだろう。病室や手術室だけは、御免こうむりたい。できることなら、いつもの暮らしの中で迎えたいから、できる準備はしておきたい。こんなわたしでも、父を亡くし義母と母を看取り、幾人もの親しい友達を失ってからは、自分の死と死後のことを考えるようになった。死ぬことは自然なことだと素直に受け入れられるようになった、今現在、68歳。(140頁)


木内みどりという女優の“死”への覚悟が感じられ、
前期高齢者となった私を導いてくれる大切な一冊となった。
本書に他に、
『またね。――木内みどりの「発熱中!」』(岩波書店)
という本も出版されているようなので、ぜひ読んでみたいと思っている。


※死亡する約1ヶ月前の2019年10月9日、
長崎県西海市の田島で開催された「TEDxSaikai 2019」にスピーカーとして登壇したときの映像。↓

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