一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『教誨師』 ……大杉漣の初プロデュース作にして最後の主演作となった傑作……

2018年12月02日 | 映画


昨年(2017年)4月、
有明海(海抜0メートル)から天山に登った。(コチラを参照)
七曲峠までは舗装道路を登ってきたので、少し膝が痛むようになった。
七曲峠の登山口に設置してあった竹の棒を1本借りて、
膝を庇いながらゆっくり登ることにした。
稜線に出る最後の急坂を登っているときであった。
上から下りてくる夫婦に出会った。
二人共、年齢は私と同じくらい。
服装や身のこなしで、
奥さんの方は山慣れしていて相当のキャリアのある女性と見受けられた。
それにひきかえ、夫の方は、山を始めたばかりという感じであった。
定年退職をしたものの、することが見つからず、
登山を趣味としていた奥さんにくっついて山に登り始めた……といった風情であった。
その夫の方が、私に向かって、こう言い放った。
「杖を使わんば登れんのですか?」(杖を使わないと登れないのか?)
上から目線の、人を小ばかにしたような言い方であった。
私は若い頃は短気な男であった。
このような無礼な輩に出遭ったら、決まって喧嘩をしていた。
結婚前の若い頃の私であったなら、
この無礼な男も、たぶん、ぶちのめしていたことだろう。
結婚し、子供ができてからは、私は喧嘩をしなくなった。
家族を、犯罪者の妻や、犯罪者の子にはしたくなかったからだ。
その無礼な男に向かって、私は、
「はい、少し下の方から登ってきたので、棒を借りて、体のバランスをとりながら登らせてもらってます」
と、慇懃無礼に応じることにした。
「下の方って、小城から?」
と、男は驚いたように問い直してきた。
「いいえ、有明海から……」
と私が答えると、
からかわれたと思ったのか、男は怒ったように顔を真っ赤にして、
何も言わず、プイと下り始めたのだった。
奥さんの方は、
「それはそれは大変失礼致しました」
と頭を下げつつ、
夫を追いかけるように急ぎ足で下って行ったのだった。
以下は、私の想像。

夫「とんでもない嘘つき野郎だ。なにが“有明海から”だ!」
妻「そんなことを言うものじゃありません。私は以前、ある人のブログで海抜0メートルから天山に登った人の記事を読んだことがありますよ」
夫「いいや、あいつは嘘をついている。とんでもない嘘つき野郎だ!」

そんなことを想像し、苦笑しながら山頂にたどり着いたのであるが、
人間、一歩間違えば、犯罪者にもなるし、被害者にもなりうると思ったことであった。

なぜこんなことを思い出しながら書いているかと言えば、
『教誨師』という映画のレビューを書きたいと思ったからだ。
映画『教誨師』は、
6人の死刑囚と対話する教誨師の男を主人公に描いた人間ドラマで、
2018年2月に急逝した俳優・大杉漣の、
初プロデュース作にして、最後の主演作(遺作)になった作品である。
10月6日に公開された作品であるが、
佐賀(シアターシエマ)では、1ヶ月半遅れの、
11月23日(金)から11月29日(木)までの1週間限定で、
しかも1日1回、昼間(11:50~13:44)の上映であった。
会社帰りに行くこともできず、
私の公休日の11月28日(水)に、なんとか時間調整してシアターシエマ駆けつけ、
見ることができたのだった。



プロテスタントの牧師、佐伯保(大杉漣)。


彼は教誨師として月に2回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。


無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木(古舘寛治)。


気のよいヤクザの組長、吉田(光石研)。


年老いたホームレス、進藤(五頭岳夫)。


よくしゃべる関西出身の中年女性、野口(烏丸せつこ)。


面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川(小川登)。


そして大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)。


佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない“ 生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに“ 死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。
しかしなかなか思い通りにはいかず、
意図せずして相手を怒らせてしまったり、
いつまで経っても心を開いてもらえなかったり、
苦難の日々が繰り返される。


それでも少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、
高宮だけは常に社会に対する不満をぶちまけ、
佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。
死刑囚たちと真剣に向き合うことで、
長い間封印してきた過去に思いを馳せ、自分の人生とも向き合うようになる佐伯。


そんな中、
ついにある受刑者に死刑執行の命が下される……




【教誨師】、
刑務所や少年院等の矯正施設において、
被収容者の宗教上の希望に応じ、
所属する宗教・宗派の教義に基づいた宗教教誨活動(宗教行事、礼拝、面接、講話等)を行う民間の篤志の宗教家である。
平成29年末現在の矯正施設における教誨師の人数は、約2,000名であり、
そのうち、
仏教系が約66パーセント、
キリスト教系が約14パーセント、
神道系が約11パーセント、
諸教が約8パーセントとなっている。



教誨師は、死刑囚ばかりを相手にするわけではないが、
映画の中の牧師・佐伯は、死刑囚を専門とした教誨師のようだ。
だが、半年前に着任したばかりの新米なので、戸惑うことばかり……
死刑囚と言えども、
皆、我々と変わらない人間であり、
どこかで道を誤ったり、
ちょっとしたボタンの掛け違いによって取り返しのつかない過ちを犯した人々なのだ。
状況が違えば、立場が逆転していても不思議はないのだ。
他の受刑者と顔を合わせることなく、
家族にも縁を切られ、
独房で孤独な生活を送る死刑囚たち。
佐伯は、彼らに寄り添いながらも、彼らが発する言葉に絶句し、苦悩する。


死刑囚が収監されているのは、刑務所ではなく、拘置所であるということを、
私はこの映画を見て初めて知ったが、
映画は、ほとんどが教誨室という密室での、教誨師・佐伯と死刑囚の対話劇である。
本作を見る前は、
死刑囚6人との対話を描いた短編集のようなオムニバス映画だと思ったが、
6人のとの対話が次々と切り替わり、
一人の人間に発した言葉が次の人に繫がれていくような構成になっており、
そのバランスが絶妙で、飽きずに最後まで見ることができた。


佐向大監督は語る。

大杉さんとは、以前から、一緒に映画を作りたいといろいろな企画を進めていました。そんな一本に、人間と人間を本気で対峙させたいというのがあって、教誨師と死刑囚ならそれを描くことができるかもしれないと取り組んだのが本作です。(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)

【佐向大】
1971年、神奈川県出身。
自主映画のロードムービー『まだ楽園』(2005年)が各方面から絶賛され劇場公開、
注目を集める。
死刑に立ち会う刑務官の姿を描いた吉村昭原作の『休暇』(2007年/門井肇監督)では、
脚本を担当。
ドバイ国際映画祭審査員特別賞、
ヨコハマ映画祭主演男優賞(小林薫)& 助演男優賞(西島秀俊)を受賞するなど、
国内外で高く評価された。
2009年に『ランニング・オン・エンプティ』で商業監督デビュー。
その他の脚本作に、
芥川賞作家・玄侑宗久原作の『アブラクサスの祭』(2010年/加藤直輝監督)、
『ホペイロの憂鬱』(2017年/加治屋彰人監督)などがある。



プロフィールを見ても判るように、
佐向大は優れた脚本を書くことのできる監督である。
その佐向大をしても、本作の脚本は難しかったようだ。

教誨室という限られた空間での1対1の会話ではありますが、自分たちの今を含めた“世界”を描きたかった。それを日常会話で紡いでいこうと思ったのですが、いざ脚本を作り始めたら本当に難しくて……

もちろん取材はしましたが、死刑囚はともかく教誨師がどんなことを話し、また何を言ってはいけないのか、最初は想像できませんでした。また、死刑囚の回想を入れずに、彼、彼女の人生を想像させるのもとても難しかった。会話だけでやろうなんて、なんてバカなことを考えたんだろうと思いましたね。
(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)

佐向大監督が1年強を費やして完成した脚本は、本当に優れている。
会話だけで、死刑囚の過去が明らかになり、
ひとりひとりの人生が浮かび上がってくるのだ。
そして、6人のバイプレイヤーズたちが、
素晴らしい演技で、その脚本に応えている。
中でも、
よくしゃべる関西出身の中年女性・野口を演じた烏丸せつこが秀逸。


烏丸せつこさん演じる野口は、一見親しみやすい関西のおばちゃんで、いつもニコニコしているけど怒ったら怖い、どこか狂気を感じさせるキャラクター設定にしたかった。イメージとしては、和歌山毒物カレー事件の林真須美や首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗のような。烏丸さんはNHKのドラマで尼崎連続変死事件の角田美代子を演じていらしたときも相当怖かったのですが、凄みの中にもチャーミングな部分がしっかりある。(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)

と、佐向大監督は語っているが、
私も、彼女の演技を見ているときに、林真須美や木嶋佳苗や角田美代子を思い出したし、
ゾッとした。
こんなおばちゃんこそが、本当に怖いのだ。


私は、編集プロダクションで働いていた頃に、烏丸せつこを取材したことがあり、
このブログにも次のように書いている。

私は、編集記者時代に、一度だけだが、烏丸せつこを取材したことがある。
1979年に6代目(1980年度)クラリオンガールに選出され、芸能界デビュー。
日本人離れした抜群のプロポーションで、当時のグラビアを席捲。
雑誌やTVで彼女を見ない日はないと言っていいほど活躍していた。
グラビアアイドルから女優へ。
『海潮音』 (1980年、ATG)
『四季・奈津子』 (1980年、東映)
『マノン』 (1981年、東宝)
『駅 STATION 』(1981年、東宝)
と、話題作に続けざまに出演している頃だった。
日本アカデミー賞助演女優賞を受賞することになる『駅 STATION 』の公開直後だったということもあって、取材は自然と映画の話になった。
輝いている今風の女の役ではなく、
『駅 STATION 』では、
頭のちょっと弱い(という設定の)、
婦女暴行殺人犯の妹の役だったので、
「ちょっとビックリした」
と私が話すと、
「そうやって、見る人の期待を、好い意味でちょっとずつ裏切っていきたい」
と語ったのが、今でも鮮明に思い出される。


結婚後は、一時的に女優業から遠ざかっていたが、
離婚して女優に復帰し、円熟味が増してきたここ数年は、
NHKスペシャル 未解決事件 File.03「尼崎殺人死体遺棄事件」(2013年)
映画『64-ロクヨン-』(2016年)、『二重生活』(2016年)、『祈りの幕が下りる時』(2018年)
などで優れた演技をしているし、
本作でも「最優秀助演女優賞」級の演技で見る者をうならせる。

撮影現場で、大杉漣から、
「こんなに予算がないのに、よく受けてくれましたね」
と言われたそうだ。
烏丸自身は、
〈漣さんが私を選んでくれたんだ。うれしいなあ〉
と喜んでいたという。
「教誨師と会うシーンが4回あるんだけど、あれを全部1日で撮ったんですよ。お金がないから。(笑)」
「死刑を待つ身で拘置所に入れられているから、化粧もするわけにはいかないし、髪も染められない。ボサボサ頭でノーメイク。何にもしないで撮影に臨んでいましたからね」

とも語っていたが、
その成りきりぶりが凄かったし、素晴らしかった。


若い頃の“美しさ絶頂”の頃を知ってるだけに、
ちょっと複雑な心境ではあったのだが……(笑)



もうひとり、
大量殺人者の若者・高宮を演じた玉置玲央のことも書いておこう。
私は、玉置玲央という俳優を知らなかった。

【玉置玲央】
1985年、東京都出身。
劇団柿喰う客のメンバーとして活躍。
その他、「夢の劇 -ドリーム・プレイ-」(2016)、「イヌの日」(2016)、「K.テンペスト2017」(2017)、「秘密の花園」(2018)、「Take Me Out 2018」(2018)、「夢の裂け目」(2018)など、
高い身体能力を武器に、ジャンルを問わず多数の舞台に出演。
近年は映像にも活動の場を広げ、
大河ドラマ「真田丸」(2016/ NHK)、「コピーフェイス~消された私~」(2016/ NHK)、「都庁爆破!」(2018/ TBS)などテレビドラマでも鮮烈な印象を残す。
本作が映画初出演となる。



大量殺人犯ということで、
相模原の事件の犯人が容易に思い出されるし、
普通なら大仰な演技をしがちだが、
映画初出演にもかかわらず、実に感情表現が繊細で、
ベテラン俳優の大杉漣と対峙しても、まったく見劣りしなかったし、
引けを取らない演技をしていると思った。


死刑制度の廃止が叫ばれている中、
今年(2018年)もオウム真理教の一連の事件に関与した13名の死刑が執行された。
タイミング的には、死刑制度に対する問題提起をしている映画を想像しがちだが、
本作は違う。
徹底的に“死”を見つめ、なぜ生きるのかを問い詰めた作品なのだ。


“死”を描くことは、“生”を描くことでもある。
冒頭で、誰しも死刑囚になりうる可能性について述べたが、
この世に生を受けた者は皆、いつかは死なねばならない。
ネガティブに考えれば、
誰しもが、拘置所に閉じ込められていないだけで、
期限を知らされていない死刑囚なのだ。
大杉漣が遺した映画は、
“そのこと”を気づかせてくれるし、
見る者に“生”と“死”を見つめ直させる作品になっている。
映画館で、ぜひぜひ。

この記事についてブログを書く
« 映画『体操しようよ』 ……木... | トップ | 天山 ……「冬が来る前に」、... »