昨年(2010年)の10月21日、
第22回平和美術展に行った模様は、
このブログで掲載した。
山友Yさんから招待状を頂き、
唐津市近代図書館で開かれていた美術展に行ったものであったが、
このブログの記事は、少なからず反響があり、
平和や芸術に対して多くの人々が関心を持っていることに、
正直驚き、
また嬉しくもあった。
今年もYさんから招待状を頂いた。
日程 12月1日(木)~12月4日(日)
時間 午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)
場所 唐津市民会館4階
本日(12月1日)は佐世保へ行く日であったが、
まず唐津へ行って美術展で絵画や写真を鑑賞し、
その後、伊万里経由で佐世保に行くことにした。
午前9時20分頃に車で家を出る。
出発時は晴れていたが、
相知あたりで霧雨になり、
虹が見られた。
午前10時ちょうどに唐津市民会館に到着。
エレベーターで4階へ。
美術展初日の開館時間に一番乗りした。
洋画、日本画、工芸、写真、書など150点あまりの作品が展示されている。
Yさんからの招待状には「油彩画2点出品予定」と書いてあった。
まずは絵画のコーナーへ。
順に見ていくと、10番目くらいでYさんの絵を発見。
タイトルは「Tさん/富士山」。
山を愛するYさんらしく、山と人物を描いた油彩を出品されていた。
この絵から少し離れた場所に、Yさんのもうひとつの絵があった。
タイトルは「母の肖像」。
私はYさんの御母堂も存じ上げているが、
よく似ている。
額縁のガラスにいろいろなものが映るので私の写真はうまく撮れてないが、
絵は素晴らしい作品である。
昨年の「E子の肖像」にも感嘆したが、
Yさんは肖像画を得意とされているようだ。
Yさんの他にも私の知っている人の作品がいくつかあった。
Fさんの「ひと休み」と題する油彩。
Nさんの「初雪」と題する写真。
Mさんの「峯を歩く」と題する写真。
いずれも山を通じて知り合った知人であるが、
それぞれのテーマも山を舞台としたものであったことに、
私の頬もゆるんだ。
平和美術展は、
日本が再び戦争をしないように……
日本に平和がつづくように……
との願いを込めて開かれている。
平和がなければ、のんびり山登りなどできるものではない。
山は、平和の象徴のようにも感じられた。
ここで、平和美術展について、少し考えてみたい。
平和美術展を知るには、
まず、美術家平和会議について知らなければならないだろう。
【美術家平和会議】
美術家平和会議は、「平和美術展」を開催する美術団体。
朝鮮戦争のさなかの1952年に創立された「美術家平和懇談会」が前身。
文化団体連絡会議の構成団体でもある。
「平和の壁に花一輪を」をキャッチフレーズに、東京都内で「平和美術展」を開催するグループの中心となっている。
東京の「平和美術展」の活動に倣って、地方都市でも「平和美術展」が開催されている。
多くの場合、毎年1回の「平和美術展」のためだけに毎回、実行委員会を結成しているが、関西美術家平和会議、広島平和美術協会、岡山平和美術会のように常設の組織を形成している場合もある。
地方都市では、各地の「平和のための戦争展」実行委員会と合同で会場を借り、「平和美術展」を開催している地域もある。
日本美術会とメンバーが一部重複し、行動をともにすることもあるが別組織。
代表委員は、西常雄、小林喜巳子、宮本和郎、安和子。
「平和美術展」には、山下菊二、やなせたかし、桂川寛、熊谷榧、浅野琢也、四国五郎、若林景光らも出品したことがある。(ウィキペディアより)
平和美術展は、1952年からだから、もう60年近い歴史がある。
唐松(唐津・東松浦)平和美術展も、
1988年に始まり、今年で23回目を迎えた。
今年は、特に、3月に東日本を襲った大震災、原発事故で、
安全や平和の意味があらためて問い直された年でもあった。
そういったことも反映してか、
今年の作品には、
原発をテーマにしたものや、
戦争をテーマにしたものあった。
美を探求する人々、
平和を希求する人々による作品群は、
思いのほか深く私の心に染み入り、
私の心を激しく揺さぶったのだった。
※明日もブログ更新予定。
第22回平和美術展に行った模様は、
このブログで掲載した。
山友Yさんから招待状を頂き、
唐津市近代図書館で開かれていた美術展に行ったものであったが、
このブログの記事は、少なからず反響があり、
平和や芸術に対して多くの人々が関心を持っていることに、
正直驚き、
また嬉しくもあった。
今年もYさんから招待状を頂いた。
日程 12月1日(木)~12月4日(日)
時間 午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)
場所 唐津市民会館4階
本日(12月1日)は佐世保へ行く日であったが、
まず唐津へ行って美術展で絵画や写真を鑑賞し、
その後、伊万里経由で佐世保に行くことにした。
午前9時20分頃に車で家を出る。
出発時は晴れていたが、
相知あたりで霧雨になり、
虹が見られた。
午前10時ちょうどに唐津市民会館に到着。
エレベーターで4階へ。
美術展初日の開館時間に一番乗りした。
洋画、日本画、工芸、写真、書など150点あまりの作品が展示されている。
Yさんからの招待状には「油彩画2点出品予定」と書いてあった。
まずは絵画のコーナーへ。
順に見ていくと、10番目くらいでYさんの絵を発見。
タイトルは「Tさん/富士山」。
山を愛するYさんらしく、山と人物を描いた油彩を出品されていた。
この絵から少し離れた場所に、Yさんのもうひとつの絵があった。
タイトルは「母の肖像」。
私はYさんの御母堂も存じ上げているが、
よく似ている。
額縁のガラスにいろいろなものが映るので私の写真はうまく撮れてないが、
絵は素晴らしい作品である。
昨年の「E子の肖像」にも感嘆したが、
Yさんは肖像画を得意とされているようだ。
Yさんの他にも私の知っている人の作品がいくつかあった。
Fさんの「ひと休み」と題する油彩。
Nさんの「初雪」と題する写真。
Mさんの「峯を歩く」と題する写真。
いずれも山を通じて知り合った知人であるが、
それぞれのテーマも山を舞台としたものであったことに、
私の頬もゆるんだ。
平和美術展は、
日本が再び戦争をしないように……
日本に平和がつづくように……
との願いを込めて開かれている。
平和がなければ、のんびり山登りなどできるものではない。
山は、平和の象徴のようにも感じられた。
ここで、平和美術展について、少し考えてみたい。
平和美術展を知るには、
まず、美術家平和会議について知らなければならないだろう。
【美術家平和会議】
美術家平和会議は、「平和美術展」を開催する美術団体。
朝鮮戦争のさなかの1952年に創立された「美術家平和懇談会」が前身。
文化団体連絡会議の構成団体でもある。
「平和の壁に花一輪を」をキャッチフレーズに、東京都内で「平和美術展」を開催するグループの中心となっている。
東京の「平和美術展」の活動に倣って、地方都市でも「平和美術展」が開催されている。
多くの場合、毎年1回の「平和美術展」のためだけに毎回、実行委員会を結成しているが、関西美術家平和会議、広島平和美術協会、岡山平和美術会のように常設の組織を形成している場合もある。
地方都市では、各地の「平和のための戦争展」実行委員会と合同で会場を借り、「平和美術展」を開催している地域もある。
日本美術会とメンバーが一部重複し、行動をともにすることもあるが別組織。
代表委員は、西常雄、小林喜巳子、宮本和郎、安和子。
「平和美術展」には、山下菊二、やなせたかし、桂川寛、熊谷榧、浅野琢也、四国五郎、若林景光らも出品したことがある。(ウィキペディアより)
平和美術展は、1952年からだから、もう60年近い歴史がある。
唐松(唐津・東松浦)平和美術展も、
1988年に始まり、今年で23回目を迎えた。
今年は、特に、3月に東日本を襲った大震災、原発事故で、
安全や平和の意味があらためて問い直された年でもあった。
そういったことも反映してか、
今年の作品には、
原発をテーマにしたものや、
戦争をテーマにしたものあった。
美を探求する人々、
平和を希求する人々による作品群は、
思いのほか深く私の心に染み入り、
私の心を激しく揺さぶったのだった。
※明日もブログ更新予定。