山登りをするときのウェアは、
私の場合、赤や青の目立つ色が多かった。
北アルプスなどに遠征することも多かったので、
万が一、遭難したときに、見つかりやすい色を……という考えもあって、
〈年甲斐もなく……〉
と思いつつも、
派手な色の速乾シャツやレインウェアなどを着用していた。
だが、60歳を過ぎると、
グリーン系のウェアに目がいくようになり、
以降、深緑色のような、あまり目立たない色のウェアを買い求めるようになった。
近場の山を中心にした山登りに変更したこともあって、
遭難の危険性も減り、
本来の自分が好む色、
目に優しい色を求めるようになったのだ。
そんな今の私の心情にピッタリの映画を最近見ることができた。
イザベル・コイシェ監督作品『マイ・ブックショップ』である。
アイリッシュ・グリーンが印象的な佳作であった。
本好きの私は、まず、そのタイトルに惹かれ、
〈見たい!〉
と思っていた。
今年(2019年)の3月9日に公開された作品であるが、
佐賀では、やや遅れて、4月中旬から公開され始めた。
で、先日、ようやく見ることができたのだった。
1959年のイギリス、海辺の小さな町。
戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、
それまで一軒も書店がなかった町に、夫との夢だった書店を開こうとする。
だが、保守的なこの町では女性の開業はまだ一般的ではなく、
フローレンスの行動は住民たちに冷ややかに迎えられる。
銀行はお金を貸し渋り、
町の有力者ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)からは、嫌がらせを受ける。
それでもなんとか開店にこぎつるフローレンス。
そんな彼女にも、味方が現れる。
ひとりは、40年以上も古ぼけた屋敷で世捨て人のように一人暮らしをしている老紳士ブランディッシュ(ビル・ナイ)。
自宅に引きこもり、ひたすら読書している老人だが、
フローレンスの本屋に興味を持ち、お勧めの本を送るように伝言してくる。
フローレンスから送られてきたレイ・ブラッドベリの『華氏451度』や『火星年代記』を読み、すっかり気に入ったブランディッシュは、彼女の本屋のファンになる。
フローレンスのもうひとりの味方は、
彼女の本屋で働くことになったクリスティーン(オナー・ニーフシー)という女の子。
三人姉妹の末っ子で、本は読まないが、本屋の雰囲気が気に入り、学校の帰りにフローレンスの店を手伝うようになる。
ナボコフの『ロリータ』が出版されたとき、
この物議をかもしている新著をブランディッシュに読んでもらい、
自分の店で売っていいかどうか意見を求める。
ブランディッシュのお墨付きをもらい、大量に購入し、販売すると大ヒット。
店に多くの住民がつめかけるようになる。
孤独な老人と、変わり者の女の子に支えられ、本屋経営も軌道に乗るかと思えたが、
ガマート夫人のエスカレートしていく画策により、
次第に経営が立ち行かなくなっていく……
本への想いが伝わってくる好い映画だ。
冒頭にも述べたが、この作品の映像は“緑”を基調としている。
それを象徴しているのが、ファーストシーン。
海岸沿いの草地で、本を読むフローレンス。
木々や草の緑だけではなく、フローレンスの着ている服もグリーン系の色だ。
ああ、そういえば、彼女のフルネームは、フローレンス・グリーン。
普段着ている服もグリーン系の色が多いし、
本屋の窓枠の色も、アイリッシュ・グリーンが使われている。
もう見ているだけで、目も心も癒されるのだ。
主人公のフローレンスを演じたエミリー・モーティマー。
1971年12月1日生まれなので、47歳。(2019年4月現在)
世界的な彫刻家イサム・ノグチを育てた母レオニー・ギルモアの物語で、
日本でもロケされた映画『レオニー』(2010年)で主演。
最近では『メリー・ポピンズ リターンズ』(2019年2月1日公開)で大人になったジェーンを演じて話題になったが、
元々、演技力には定評があり、
本作でも、個性的かつ魅力的なフローレンスを演じて、秀逸であった。
老紳士ブランディッシュを演じたビル・ナイ。
映画でもTVドラマでも舞台でも、主に脇役として活躍しており、
いろんな作品で見かける男優である。
英国アカデミー賞の助演男優賞などを受賞した『ラブ・アクチュアリー』(2004年日本公開)での演技は強く印象に残っているが、
ここ数年では、
『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』(2014年日本公開)での演技が素晴らしく、
このブログにも、
……かけがえのない「今」……
とのサブタイトルを付けてレビューを書いている。(コチラを参照)
本作『マイ・ブックショップ』では、
40年以上も古ぼけた屋敷で世捨て人のように一人暮らしをしている老紳士の役であったが、
フローレンスの本屋が気に入り、
町の有力者ガマート夫人に、フローレンスに対する嫌がらせをしないように交渉に行ったりする。
フローレンスにほのかな恋心を持っているようにも見え、
「ガマート夫人に交渉に行ってくる」
とフローレンスに告げるシーンでは、
フローレンスが感謝の意を込めてブランディッシュの手を握ると、
ブランディッシュが、その手にキスをする。
フローレンスに対するその想いは、
ロクサーヌに対するシラノ・ド・ベルジュラックの想いのように、
慎み深く、高貴だ。
クリスティーンという女の子を演じたオナー・ニーフシー。
ほとんど情報がないので、彼女自身のことは知らなかったが、
本作での演技は本物で、将来性がすごく感じられた。
ちょっとネタバレになるが、
この映画を最後まで見ると、
彼女こそが本作における語り部であり、真の主人公であることが判る。
現在公開中の『アガサ・クリスティー ねじれた家』(2019年4月19日日本公開)にも出演しているようなので、見てみたい。(佐賀ではシアターシエマにて6月7日公開予定)
この映画『マイ・ブックショップ』では、
レイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』が重要な役目を果たしている。
本の所持や読書が禁じられた、架空の社会における人間模様を描いた作品で、
題名は(本の素材である)紙が燃え始める温度(華氏451度≒摂氏233度)を意味している。
この小説は、フランソワ・トリュフォー監督によって『華氏451』として映画化されており、
そのとき主演したのが名女優ジュリー・クリスティで、
彼女が本作『マイ・ブックショップ』のナレーションを務めている。
この声のキャスティングは単なる偶然ではなく、
イザベル・コイシェ監督のトリュフォー作品へのオマージュであったのだ。
原作者のペネロピ・フィッツジェラルドは、
60歳を過ぎて小説を発表した作家で、
それ以前に書店を経営していた過去もあり、
その経験も小説に活かされていると思われる。
「ロンドンの古本屋でたまたま見かけたのです。『The Bookshop』というタイトルに惹かれて、私はこれは買わなければと思ったのです。本が私を見つけてくれたのです」
「読み終わってすぐ映画化したいと思いました」
そう語るのは、イザベル・コイシェ監督。
「私は人が本を持った時に、その人が読書家かそうでないかすぐにわかるのです。だから、本当に本を愛している人に演じて欲しかった」
エミリー・モーティマーは、
オックスフォード大学で学んでおり、ロシア文学の修士を持っていて、本が人生の一部になっている……という理由で、フローレンス役にキャスティングしたのだという。
ビル・ナイも全く一緒で、
この話をしたときに、彼は原作をすでに読んでいたそうだ。
映画『マイ・ブックショップ』は、
書店を経営していた過去がある原作者、
その本に導かれるように古書店で買い求め、読了後にすぐに映画化しようと思った監督。
読書家の主演女優、
同じく読書家の助演男優等によって、創り出された作品。
言わば、
本が好きな人の、本が好きな人による、本が好きな人のための映画なのだ。
そう、あなたのための作品です。
映画館で、ぜひぜひ。