今日、佐世保で、父の一周忌法要を行った。
父が亡くなって、早一年。
親戚一同が集い、父を偲んだ。
そして、酒をしたたか呑んだ。
というわけで、今日のブログ更新は中止にしようかと思ったのだが、
それでは訪問して下さった皆さんに申し訳ないので、
ちょっと映画の話でも……
今年も、映画は、かなり見ている方だと思うのだが、
このブログにレビューを書きたいと思う作品になかなか巡り逢わない。
見た作品を全部このブログで紹介しているワケではないので(もっともそういう時間もない)、
ブログで採り上げる作品も自ずと限られてくる。
昨年は、ちょうどこの時期に『八日目の蝉』という傑作に出逢うことができた。
今年はまだそういう(なにがなんでも紹介したいというような)作品に出逢っていない。
先日、映画『わが母の記』を見に行った。
役所広司、樹木希林、三國連太郎、ミムラ、菊池亜希子、キムラ緑子など、
私の好きな俳優が出演していたからだ。
原作は井上靖(1907年[明治40年]~1991年[平成3年])。
私が1日1冊を日課にして本を読み始めた高校生の頃、
井上靖は、そう魅力的な作家ではなかった。
安部公房や大江健三郎など、先鋭的、前衛的な作家がたくさんいたし、
井上靖は、その頃の私から見ると、
古くさい保守的な作家という印象であった。
彼の作品を読むようになったのは、やはり大人になってからだった。
特に、詩集や、『しろばんば』など詩的要素の濃い初期作品を愛した。
『わが母の記』は1975年に刊行された作品であるが、
そういった初期作品と関連が深い作品なので、
映画化された作品も楽しみだった。
ただひとつの心配は、監督が原田眞人であること。
私はどうも原田眞人監督作品と相性が良くないのだ。(笑)
小説家の伊上洪作(役所広司)は、子供の頃、両親と離れて育てられたことから、母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。
父(三國連太郎)が亡くなり、
残された母との暮らしが問題となり、
長男である伊上は、
妻・美津(赤間麻里子)や、
長女・郁子(ミムラ)、
二女・紀子(菊池亜希子)、
三女・琴子(宮崎あおい)
の3人の娘、
そして妹たち(南果歩、キムラ緑子)に支えられ、
ずっと距離をおいてきた母・八重(樹木希林)と向き合うことになる。
老いて次第に失われていく記憶。
その中で、唯一消されることのなかった真実。
初めて母の口からこぼれ落ちる、
伝えられなかった想い……
樹木希林、三國連太郎の演技が素晴らしかった。
樹木希林については、映画『悪人』の時に、このブログで私はこう記している。
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2007年)の時はそれほど思わなかったのだが、今回、この『悪人』を見て、樹木希林の演技力の凄さに驚いた。
この映画の原作も、映画自体も、妻夫木聡と深津絵里を主人公としながら、ある意味「群像劇」と言えるもので、多くの登場人物の生活を映し出すのだが、この映画ではことにこの清水房枝を執拗にカメラが追っていたような気がする。
それは、樹木希林の演技がことに素晴らしかったからではなかと……。
樹木希林を見ているうちに、私は、昨年11月に見たポン・ジュノ監督作品『母なる証明』に出ていたキム・ヘジャを思い出していた。
『母なる証明』は物凄い傑作であったが、あのキム・ヘジャと同等の演技が、今現在できる日本の女優は、樹木希林をおいて他にはいないのではないかとさえ思った。
この作品においても、私の評価は変わらない。
メーキャップ技術に頼るのではなく、
体重を減らし、表情を変え、入れ歯を外すなどの工夫により、
老いの変化を見事に表現。
映画を見る者を、時に笑わせ、時に泣かせる。
年末、そして来年初頭の主演女優賞を、総ナメにしそうな名演技であった。
三國連太郎については、樹木希林よりも凄みを感じた。
映画の冒頭に少しの間しか登場しないのだが、
「死」を前にした老人を見事に演じきっている。
前知識なしで見ると、三國連太郎その人と気づかないほどの自然さ、ふるまい。
名優というのは、
ただ横たわっているだけなのに、
見る者にいろんなものを感じさせる……
あらためて三國連太郎の凄さを再認識させられた。
樹木希林、三國連太郎以外では、
長女・志賀子を演じたキムラ緑子が良かった。
母を介護し、時に怒り、時に涙する熱演が続き、
ラスト近くで、長男(役所広司)に、母の死を報告するシーンは秀逸。
「素晴らしい」の一言。
妻・美津役の赤間麻里子も良かった。
キムラ緑子とは対照的に、静かな落ち着いた演技で、この作品の要所を締めていた。
素晴らしい女優だ。
と、個々の俳優の良い点ばかりを褒めて、
作品自体のことを語っていないことにお気づきだろうか?
そう、作品そのものについては、
杞憂が現実となってしまったのだ。
俳優陣の個々の演技はまことにもって素晴らしいのだが、
ひとつの作品として見た場合、
感動の薄い、まとまりのない作品になっているのだ。
私はやはり、原田眞人監督作品と相性が良くない……(苦笑)
原田眞人監督の前作『クライマーズ・ハイ』(2008年)も見ているが、
このブログには紹介していない。
書く意欲が湧かなかったからだ。
この監督の脚本、演出に、どうしても違和感を抱いてしまうのだ。
感情をむき出しにして怒鳴り合う、
バタバタと走り回る、
あざといストーリーと演出(特にラスト)。
どれもが不自然。
見ている間、作品にのめり込めないのだ。
この作品でも、登場人物たちは、怒鳴り合い、走り回る。
そして、ラスト、原作にないオチをくっつけている。
母親が洪作を捨てた理由を無理矢理くっつけているのだ。
あるインタビューで、そのことを訊かれた監督は、
次のように答えている。
あれも元の脚本にはなかったんです。でもプロデューサーに、理由があったほうが分かりやすいのではといわれ、僕なりに分析した結果があれでした。日本の観客に対して効果を上げるのかどうか分かりませんが、海外の観客に対しては100%受けたと感じています。最初は、僕の中に説明することへの葛藤がありました。でも、2時間という枠の中で家族のドラマを語るには、やはり謎解きの要素があったほうがいい。
その「理由」というのが、実にありふれた「理由」なのだ。
長年、母親が隠して語らなかったというような「謎」でもなんでもない。
あのシーンを見て、私は拍子抜けしてしまった。
俳優陣の素晴らしい演技に拍手を送りつつ、
ドラマとしての映画の評価には、いまひとつの印象であった。
そんな偉そうなことをブログに書いている自分に少し嫌悪を感じてはいるが、
これが今の私の正直な感想である。