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𠮷田恵輔監督作品である。
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初期の作品は、
『純喫茶磯辺』(2008年)
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年)
『麦子さんと』(2013年)
『銀の匙 Silver Spoon』(2014年)
など、明るくて、クスッと笑える作風が特徴であったのだが、
『ヒメアノ〜ル』(2016年)から、ガラリと変わり、
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「本当に𠮷田恵輔監督作品?」
と叫びたくなるほどの変貌ぶりに驚かされた。
無軌道に恐喝や殺人を繰り返す主人公「森田」を演じた森田剛のキャラが強烈で、
そのレビューで私は、
映画を見た素直な感想は……というと、
「スゴイ」の一言。
何がって、
森田剛が……だ。
もともと、蜷川幸雄の舞台などで、
彼の演技には定評があったが、
本作『ヒメアノ~ル』では、
森田正一が森田剛に乗り移っていた……と感じた。
いや、森田剛が森田正一に乗り移っていたと言い直すべきか。
森田剛の演技から、一瞬たりとも目が離せなかった。
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空虚、絶望、狂気を、
腰を据えた演技で魅せる森田剛に、
引き込まれ、
惹き込まれ、
挽き込まれてしまった。
脳を、心を、感情を、
粉々にされてしまった。
グチャグチャにされてしまった。
いやはや、スゴイものを見させてもらった。
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と記し、
「現時点での、𠮷田恵輔監督の最高傑作である」
と宣言してもいる。
その後、
2018年(2月10日)に『犬猿』が公開され、
……𠮷田恵輔監督のオリジナル脚本と江上敬子の存在感が秀逸な傑作……
とのタイトルでレビューを書いたが、
素晴らしい作品ではあったが、『ヒメアノ~ル』を超えるほどの作品ではなかった。
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同じ年(2018年)の9月14日に公開された『愛しのアイリーン』は、
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新井英樹が20年以上前に描いた漫画を原作としており、
「日本(の農村)の少子高齢化」「嫁不足」「外国人妻」「後継者問題」
などの社会問題に真っ正面から取り組んだ作品であったのだが、
日本の田舎の“土着と性と暴力”を描いた作品であると同時に、
様々な境遇の女性を描いた女性映画でもあり、
稀に見る傑作となっていた。
しかも『ヒメアノ~ル』超えの、
(2018年の時点での)𠮷田恵輔監督の最高傑作であったのだ。
次々と問題作を提示し、
優れた作品を連発している𠮷田恵輔監督には、
もう期待しかないのである。
(2021年)9月23日に公開されたばかりの新作『空白』は、
𠮷田恵輔監督によるオリジナル脚本作品で、
古田新太主演、松坂桃李共演で描くヒューマンサスペンスとのこと。
寺島しのぶ、片岡礼子、田畑智子、趣里など、
私が高く評価している女優たちが出演しているのも魅力的で、
ワクワクしながら映画館(109シネマズ佐賀)に駆けつけたのだった。
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女子中学生の添田花音(伊東蒼)は、
スーパーで万引しようとしたところを、
店長の青柳直人(松坂桃李)に見つかり、
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追いかけられた末に車に轢かれて死んでしまう。
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娘に無関心だった花音の父・充(古田新太)は、
せめて彼女の無実を証明しようと、
事故に関わった人々を厳しく追及するうちに恐ろしいモンスターと化し、
事態は思わぬ方向へと展開していくのだった……
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映画冒頭の、花音(伊東蒼)が車に轢かれるシーンが実にリアルで、
目を背けたくなる人も多かったと思われる。
「キネマ旬報」のキネ旬reviewで、
映画(メロドラマ)研究者のK氏(女性)が、
「ひたすら胸糞が悪い」
と、5点満点の1点を付けて酷評していたが、
最初からこの手の映画と相性が悪い人も多いことと思われる。
初期作品はもちろん、
『ヒメアノ〜ル』(2016年)
『犬猿』(2018年)
『愛しのアイリーン』(2018年)
と𠮷田恵輔監督作品を見続けてきた私としては、
『ヒメアノ〜ル』や『愛しのアイリーン』よりは過激さが少ないし、
〈大人しくなったな~〉
という印象。(笑)
この程度で胸糞が悪くなってしまうようでは、
〈これからの世の中、生きてはいけないのではないか……〉
と、K氏を心配してしまったほど。(コラコラ)
このK氏は、さらに、
「古田新太の怪演!」とか評価してほしいのだろうけど、
などと、先回りしたような言葉を吐いていたが、
予告編では確かに大声で叫んでいるシーンが採り上げられているが、
全体を通して見てみると、
古田新太はむしろ感情を抑えた普通の演技が多く、怪演なんかしておらず、
〈ここはもっと熱を込めて演じるところでは……〉
と思われるようなシーンでも、静かに演じている。
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この古田新太の演技に対して、
𠮷田恵輔監督は次のように語っている。
古田さんの芝居には、価値観が変わるほどの衝撃を受けました。たとえば、スーパーの前に仁王立ちしているシーンで、ものすごい圧を感じて感動して「カット」をかけたら、4歩移動した古田さんは全く同じだった。つまり、ただ立っていただけなんだけど、見る側が何かを感じる。それをたぶん、才能と呼ぶんだろうね。けっこう考えていたのと、違うアプローチでくることもあって。そんな大事なせりふを淡々と言って流れてしまわない?と思うんだけれど、「こっちだよ、正解は」と気付かせる説得力がありました。
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「たとえば、どのせりふですか?」という問いに、
「みんな、どうやって折り合いつけるのかな?」とタクシーの中で言うせりふは、作品のテーマでもある。「伝われ、俺の言葉」みたいに熱量が出そうなのに、ボソボソっと。でも、その方がリアルだと感じたし、それを拾ってくれるお客さんを信じようと思った。結局、答えなんかないし、それぞれでしかあり得ないし、折り合いをつける必要があるのかどうかもわからないけれど、人はそうやって葛藤しながら生きているということが伝わる。古田さんの人生経験が、画から匂ってくる。同性から見ても、カッコいいな、こういう人になりたいなと憧れる存在です。(「ORICON NEWS」𠮷田恵輔監督インタビューより)
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と答えていた。
本作の初日舞台挨拶のときにも、𠮷田恵輔監督は、
オーバーになりすぎない演技のさじ加減を称賛していたが、
そのことに関して古田新太は、
「僕は“お芝居”をする役者さんが嫌いで。なんでそんなことするんだろうって思うので、なるべくあっさり」
と自身の演技論を明かしていたが、
あっさり静かに演じることで、
むしろ不気味さが倍増され、
素人さんには「怪演」しているように見えるのかもしれない。
この古田新太のオーバーになりすぎない絶妙な演技は称賛されてしかるべきだし、
年末から始まる多くの映画賞で最優秀主演男優賞の候補にノミネートされることだろう。
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スーパーマーケット「スーパーアオヤギ」の店長・青柳直人を演じた松坂桃李も良かった。
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今年は、なんだかずっと松坂桃李を見ている感じで、(笑)
映画では、
『あの頃。』(2021年2月19日公開)
『いのちの停車場』(2021年5月21日公開)
『孤狼の血 LEVEL2』(2021年8月20日公開)
TVドラマでも、
「今ここにある危機とぼくの好感度について」(2021年4月24日~5月29日、NHK)
「あのときキスしておけば」(2021年4月30日~6月18日、テレビ朝日)
など、
私はすべて見て(観て)いるが、
どれも印象が違うし、見飽きることがなかった。
本作『空白』では、
万引しようとした女子中学生を捕まえるが、
逃げ出したので追いかけると、その女子中学生が車に轢かれて死んでしまい、
その女子中学生の父親に執拗に追いかけまわされ、
精神的にも肉体的にもギリギリまで追いつめられてしまうという役で、
ちょっと気の弱い現代青年をリアルに演じている。
松坂桃李もいろんな映画賞の主演、助演男優賞にノミネートされることだろう。
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古田新太、松坂桃李の演技が際立つ映画ではあるが、
「映画を見る主目的は女優」である私としては、
本作に出演している女優陣にも注目したい。
まずは、
「スーパーアオヤギ」に勤務するパート店員・草加部麻子を演じた寺島しのぶ。
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草加部さんは、自分が絶対に正しいと信じ切っている人で、
「自分が正しい」と言い続けて、「善意」を強要し、ゴリ押ししてくる。
店長の青柳(松坂桃李)に密かに恋心を抱いている風もあり、
特に青柳に対してはゴリ押しの度合が凄い。
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私が演じた草加部さんは、青柳くん(松坂桃李)に淡い恋心を抱いているので、とにかく触れようとするし、触らせようとするんです。青柳くんが怯えているので、草加部さんの痛さを感じてしまうんですよね。相手に良かれと思ってお節介をして、相手は迷惑というどこにでもいるようなおばちゃんを本当に監督が上手に書いていらっしゃるなと思いました。(「ガジェット通信」インタビューより)
と、寺島しのぶは語っていたが、
ある意味、一番怖い人物は草加部麻子だったかもしれない。
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古田新太が、
「今回の映画の一番の見どころは、しのぶちゃんのシーンですから」
と解説していたが、
私も、寺島しのぶの出演シーンには魅了されたし、
〈青柳、もうちょっと草加部さんに優しくしろよ!〉
と思いながら見ていた。(笑)
(極私的には)草加部さん=寺島しのぶが好きだった。
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花音をはねた車を運転していた中山楓(野村麻純)の母・中山緑を演じた片岡礼子。
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片岡礼子は元々好きな女優だったので、
彼女の出演作はなるべく見るようにしているし、
本作を見た理由のひとつに彼女のキャスティングもあった。
これまでは、ちょっとやさぐれたような女の役が多かったのだが
本作における彼女は、ごく普通の家庭の母親役といった感じで、
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最初は、「何故、彼女をこの役に?」という風に見ていたのだが、
(ネタバレになるので詳しくは書けないが)
終盤、あることが起きて、
片岡礼子が演じる中山緑が、
添田充(古田新太)に詰め寄るのか……と緊迫するシーンがあるのだが、
ここで、中山緑は意外な言葉を口にし、思わぬ展開となる。
それが、添田の心を変化させるキッカケになるのだが、
そのシーンの片岡礼子の演技が見事で、唸らされた。
ここへきて、𠮷田恵輔監督が、
中山緑という役に片岡礼子をキャスティングした理由が解った。
やはり片岡礼子は凄い女優だと思った。
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添田充の元妻・松本翔子を演じた田畑智子。
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NHK連続テレビ小説「私の青空」(2000年)でのヒロインのイメージが強いが、
デビューは相米慎二監督作品『お引越し』(1993年)で、
オーディションで、8,258人の応募者の中からヒロイン・漆場レンコ役に選ばれている。
その後、山田洋次監督作品『隠し剣 鬼の爪』(2004年)などに出演しているが、
この頃はまだブログをやっていなかったので、レビューは書いていない。
このブログのレビューに初めて登場するのは、
2008年公開の、
内田けんじ監督作品『アフタースクール』と、
矢口史靖監督作品『ハッピーフライト』(2008年)においてだった。
そして、
……田畑智子の熱演が光る傑作……
とのサブタイトルを付して田畑智子という女優をクローズアップしたのが、
『ふがいない僕は空を見た』(2012年)だった。
俳優陣では、やはり田畑智子が良かった。
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以前(2008年11月27日)、映画『ハッピーフライト』のレビューで、
今年5月に見た映画『アフタースクール』にも出ていたが、その時私は、
「この女優、こんなにイイ女だったっけと思わせる一瞬がある。さすがだ」
とブログに書いたが、『ハッピーフライト』でも、ちょっとしたロマンスを演じていて、なかなか素敵だった。
と書いているが、今回もまた、
〈この女優、こんなにイイ女だったっけ〉
と思わされてしまった。
過激な場面(R18+)でも攻めの演技をしている。
惜しむらくは、出演シーンが前半のみだということ。
それが主演という印象をやや薄めている。
それでも、先日発表された第67回毎日映画コンクールで、
女優主演賞を受賞しているから、「さすが」と言うべきだろう。
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とレビューに書いたのだが、
以降も、
『くちづけ』(2013年)
『舞妓はレディ』(2014年)
『ソロモンの偽証 前篇・事件 / 後篇・裁判』(2015年)
『あの日のオルガン』(2019年)
『おらおらでひとりいぐも』(2020年11月6日)
などで、彼女を論じてきたし、
今も注目している女優のひとりである。
『さんかく』(2010年)以来、
11年ぶりの𠮷田恵輔監督作品となる本作『空白』では、
添田充(古田新太)の元妻・松本翔子を演じているのだが、
正直、最初は、
〈こんな真っ当な普通の女性が、なぜ添田充と結婚していたのだろう?〉
と思ったが、
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終盤の二人のやりとりまで見続けると、
〈ああ、この二人にも愛し合っていた日々があったのだな……〉
と思わされ、田畑智子の繊細な演技に感動させられた。
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添田充の娘である花音が通う中学校の担任教師・今井若菜を演じた趣里。
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父は水谷豊、母は伊藤蘭で、
伊藤蘭の顔を少しきつくしたような、
一度見たら忘れられない風貌の女優だ。
このブログでは、
趣里の主演作『生きてるだけで、愛。』(2018年)のレビューで、
……剥き出しの趣里が疾走する関根光才監督の傑作……
とサブタイトルを付して彼女を絶賛したのだが、
長々と趣里を論じているので、
時間があるときにでもレビューを読んでもらえたら嬉しい。(コチラから)
『生きてるだけで、愛。』もそうであったが、
これまでは、その独特の風貌から、エキセントリックな役が多かったのであるが、
本作では、
ごく普通の教師を演じており、今回はその落差を楽しむことができた。
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死亡した充の娘・花音の中学校の担任教師役なのであるが、
いじめを疑う充と、いじめはなかったとする学校側の板挟みになり、
それでも誠実に対応しようとする教師を、素直な、抑えた演技で魅せる。
加害者が被害者になり、
被害者が加害者にもなるという、
過酷で過激な物語の中で、
唯一、どちらにも属せず、本作の精神的な支柱となっていたのは、
趣里が演じた今井若菜だったような気がする。
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この他、
充の娘で、車とトラックにはねられて命を落とす添田花音を演じた伊東蒼、
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花音をはねた車を運転していた中山楓を演じた野村麻純、
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漁師である充の弟子・野木龍馬を演じた藤原季節が、
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印象深い演技で本作を質の高いものにしていた。
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ここ数年だけでも、
『愛しのアイリーン』(2018年)
『新聞記者』(2019年)
『MOTHER マザー』(2020年)
『ヤクザと家族 The Family』(2021年)
『茜色に焼かれる』(2021年)
など、数々の傑作を生み出しているスターサンズ・河村光庸プロデューサーが企画し、
𠮷田恵輔と再タッグを組んだ映画『空白』は、
(本作もまた)スターサンズの名に恥じない傑作であった。
これからもスターサンズ配給の映画と、𠮷田恵輔監督作品から目が離せない。