この映画『若葉のころ』を知ったのは、
そして、見たいと思ったのは、今年(2016年)の5月。
私の好きな評論家・川本三郎の書いたコラムを読んだことに由る。
そのコラムとは、
キネマ旬報にて連載中の「映画を見ればわかること」(キネマ旬報5月下旬号)。
冒頭の部分だけを抜粋してみる。
台湾の青春映画はどうしてこうも、ういういしいのだろう。
ジョウ・グータイ監督の「若葉のころ」は、現代の台北に住む十七歳の少女が、
自分の母親の高校時代を追体験するふたつの青春物語。現代と三十年前の思春期が交互に描かれてゆく。現代の少女と、母親の少女時代を一人二役で演じるルゥルゥ・チェンが可愛い。上野樹里に似ている。
現代の少女はショートヘア。制服は白いブラウスに黒のスカート。そのスカートは超ミニ。それに対し、三十年前の少女はワカメちゃんのようなおかっぱ。スカートは膝あたりまである。制服はカーキ色で軍服のよう。髪型と制服で、時代が大きく変わっていることをあらわしている。
現代の少女は地下鉄で通学する。メールのやりとりをする。三十年前の少女は自転車で学校に通う。無論、まだメールはない。好きな相手に気持ちを伝えるとしたら手書きのラブレターになる。
三十年前、一九八二年はまだ戒厳令の時代。「若葉のころ」は、社会性の強い映画ではないが、それでも、その時代の高校生活は現代の少女のように自由ではなかったことがうかがえる。(後略)
川本三郎の文章と共に、
赤池佳江子のイラストレーションにも魅かれた。
二人の少女が、
強風にあおられてスカートがまくれ上がるのを、手で押さえながら、笑っている。
なんて素敵なカットだろうと思った。
映画のポスターで確かめると、
それは、より強く感じられた。
〈これは見なければ……〉
と思った。
〈佐賀でも上映館があるかな?〉
と調べてみると、
なんと、九州での上映館は、福岡の「KBCシネマ」ただ一館のみだった。
〈九州でただ一館だけとは……〉
なんと冷遇された映画なのかと思った。
しかも、「シネマート新宿」では5月28日公開なのに対し、
「KBCシネマ」では、7月31日の公開。
佐賀ならいざしらず、都会の福岡でさえ、2ヶ月遅れとは……
〈これは絶対に見ておかなければ……〉
と、強く決意を固めたのだった。(笑)
そして、「KBCシネマ」での公開初日、
映画『若葉のころ』を福岡まで見に行ったのだった。
台北に住む17歳の女子高生バイ(ルゥルゥ・チェン)は、
離婚した母と祖母との3人暮らし。
高校生活を満喫していた彼女であったが、
最近、親友ウエンと男友達イエとの関係に心を痛めていた。
そんなある日、
母のワン(アリッサ・チア)が交通事故で意識不明の重体となってしまう。
悲しみに暮れる中、
バイは母のパソコンから偶然、
初恋の相手リン(リッチー・レン)に宛てた未送信メールを発見。
そこには、自分と同じ17歳だったころの思い出が切々と綴られていた。
遠い日の母の青春に思いを馳せるバイは、
母に代わって「会いたい」とリンにメールを送る……
30年前の1982年。ワン(ルゥルゥ・チェン二役)とリンは、
高校の英語スピーチコンテストで優勝を争ったことから、
お互いを意識し合う存在となっていた。
惜しくも2位に甘んじたリンは、ある日、
英語担当の教師からビージーズの『若葉のころ』の歌詞を中国語に翻訳する課題を出される。
リンはこれをチャンスとばかり、
ワンへの思いを言葉に託し『若葉のころ』のレコードと一緒に、訳した歌詞を彼女に渡す。
だが数日後、
リンがある事件を引き起こし、二人は離れ離れになってしまう……
映画を見た感想はというと、
〈本当に見て良かった〉
の一言。
30年の時を超えて17歳の切ない恋心が鮮やかに蘇えるラブストーリーであるが、
その物語に感動させられる。
これまでの人生で、豊かな恋の経験をたくさんした人ほど、
様々なことが思い出され、心を揺さぶられるのではないか……
恋の経験値が低い(笑)私でさえ、
大いに感動させられたのだから……
様々な感情を呼び起こさせる要因のひとつが、映像だ。
とにかく映像が美しい。
ジョウ・グータイ監督は、本作が初メガホンながら、
人気アーティストのミュージックビデオやCMなどを、
20年以上にわたって映像制作に従事してきた経験があり、
すべてのカットにこだわりが感じられ、細部にまで目が行き届いている。
すべてのカットが、繊細で、美しい。
その素晴らしい映像から生まれる物語は、どこか懐かしい。
「この作品を通して、皆さんの心の中にしまってある大切な“思い出”を感じていただければ嬉しく思います」
というジョウ・グータイ監督の想いが見る者に伝わってくる映画である。
初恋や純愛を描いたこの手の映画には、
「感傷的」「ノスタルジー」と批判する人がいるし、
CM出身の監督の映画には、
「映像は美しいが、TVCMのようだ」とか、
「ミュージックビデオ」のようだという人が必ずいる。
実際、映画専門誌の作品評で、そのような評価をしているレビューも見かけたが、
私には、それらの言葉のひとつひとつがむしろ褒め言葉に思えた。
ジョウ・グータイ監督作品『若葉のころ』に限って言えば、
「感傷的」「ノスタルジー」「TVCMやミュージックビデオのよう」という批判の言葉は、
すべてが褒め言葉になる。
それは、恋の経験値の高いあなたならば、
きっと解ってもらえる筈である。
美しい映像から生まれる心揺さぶられる物語をしっかり支えているのは、
現代の少女と、母親の少女時代を、一人二役で演じるルゥルゥ・チェン演技力である。
特に、母親の少女時代を演じている時の目が良い。
評論家・川本三郎は「上野樹里に似ている」と述べていたが、
私はこの目を見て、むしろ韓国の女優ぺ・ドゥナを思い出した。
おかっぱの髪型と、その下にある目。
これほど印象的な目を持つ女優は久しぶりに見たような気がする。
美しい映像、
心揺さぶられる物語、
ルゥルゥ・チェンの演技力。
この映画を魅力的にしている要因は、これだけではない。
これに、音楽が加わる。
本作のモチーフにもなっているビージーズの名曲「若葉のころ」。
私と同年代の人ならば、
ビージーズの「若葉のころ」で思い出すのは、
1971年公開のイギリス映画『小さな恋のメロディ』ではなかろうか。
少年と少女の純愛物語であるが、
本国とアメリカではヒットしなかったが、
日本では大ヒットしたという、不思議な一作。
ダニエル・ラティマーを演じたマーク・レスターと、
メロディ・パーキンスを演じたトレイシー・ハイドが大人気となった。
この『小さな恋のメロディ』の名曲が、
新たな純愛物語として蘇えったのである。
映画『若葉のころ』が私の年代にも共感を呼ぶのは、
このビージーズの名曲に由るところ大である。
台湾映画としては、『若葉のころ』は、
『恋恋風塵』や『藍色夏恋』や『あの頃、君を追いかけた』などに連なる作品である。
これら台湾発のラブストーリーには、
美しい映像、純粋な想いという共通点がある。
そして、それら作品群は、
我々日本人にとっても、ある種の“懐かしさ”を感じさせてくれる。
ことに『若葉のころ』は、
あなたの心の中にしまってある大切な“思い出”を、
そっと静かに呼び起こしてくれる筈。
上映館は少ないけれど、
機会がありましたら、ぜひぜひ。