一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『エベレスト 3D』 …1996年に実際に起こった大量遭難を映像化した問題作…

2015年11月15日 | 映画


三浦雄一郎さんの「世界最高齢でのエベレスト登頂」や、
栗城史多さんの「世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦」や、
イモトアヤコさんの「エベレスト登頂への挑戦」などがTV放送されると、
その度に「どう思うか?」と訊いてくる友人がいるのだが、
私はいつも「関心がない」と答えている。
なぜなら、登山という行為は、
あくまでも「個人的」なものだと思うからだ。

人によっては、
「大名行列のような登山」とか、
「無酸素が評価されるのはエベレストだけ」とか、
「ガイドに登らせてもらって、ヘリで下山するって、それって登山?」
などと揶揄するような意見を吐く人もいるが、
私は、そんなことすら思わなくて、
とにかく関心がないのだ。
登山は、
自分で計画し、
自分の実力で、
自分のお金を使って、
登るものだと思っている。
だから、それ以外の登山には興味がないし、
「関心がない」としか答えようがないのだ。

私は、登山を「個人的」なものと思っているが、
世の中は、次第にそうではなくなってきているような気がする。
以前、私は、このブログに、次のようなことを記している。

かつて、山へ向かうパーティは、
それぞれが自立した登山者の集団であった。
自立した登山者とは、「ひとり歩き」ができるということである。
ひとりで歩き通せる体力があり、
正しい道具の使い方と、
いくらかの技術が身に付いていて、
トラブルに対応できる山の知識と判断力がある……
そんな自立した登山者たちが、
よりレベルの高い登山に挑むためにパーティを組む……
というのが本来の姿であったような気がする。
ところが、いつの間にか、それらパーティは、
ひとり歩きができない人々の集団になってしまった。
と言うか、ひとり歩きができないからこそ集団を組む……
という風に姿を変えつつあるのではないか……
「足がツっても誰かが肩を貸してくれるだろう」
「膝が痛くなっても誰かがザックを持ってくれるだろう」
「方向が分からなくても誰かが導いてくれるだろう」
「天候が悪化しても誰かが何とかしてくれるだろう」
というように、多くの自立していない登山者が、
少人数のリーダーにただ付いていくだけの登山が増えている。
2009年の夏に起きたトムラウシ山での集団遭難死亡事故は、
まさにそのような風潮を象徴する事故であったような気がする。


先日、伯耆大山を歩いたときも、
このようなツアーの団体に遭遇した。
20人~30人の登山ツアーが次々に登ってくるので、
すれ違うときに随分と待たされた。
「こんにちは~」とか、「すみませ~ん」とか言ってくれる人は少なく、
必死の形相で登ってくるツアー客を見て、
〈こんな登山をして本当に楽しいのだろうか……〉
と思ってしまった。

ガイドに導かれて登る登山であっても、
嵐になったりしたら、集団がバラバラになってしまう場合がある。
TV番組のようにマンツーマンでガイドが寄り添ってくれるわけではないからだ。
一人で歩ける実力がない人が、一人にされてしまったら、
遭難する確率はグッと高まる。
トムラウシ山での遭難死亡事故に限らず、
様々な集団遭難死亡事故の原因は、そこにあるような気がした。
それは、エベレストにおいても、例外ではない。

1953年の人類初登頂以降、
4000人以上が登頂に成功しているエベレスト。
それほど多くの登頂者がいるのには、
やはり商業登山の影響が大きい。
1990年代になると、公募隊による登山が主流となり、
アマチュア登山家であっても、
必要な費用を負担すれば容易にエベレスト登山に参加できるようになった。
あらかじめシェルパやガイドによるルート工作や荷揚げが行われるため、
本来なら必要であった登攀技術や経験を持たないまま入山する登山者が増えたのだ。
そんな中、
1996年5月に、エベレストにおいて、大量遭難事故が発生する。
エベレスト登山史上最悪の遭難事故ともいえる8名の登山者が死亡したのだ。
(その中に日本人の難波康子さんもいたので日本でも大きく報道された)
本日紹介する映画『エベレスト 3D』は、
この実際に起こった大量遭難を映像化したものである。

ニュージーランドで登山ガイド会社を営むロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)。


その登山ガイド会社・アドベンチャー・コンサルタンツ社は、
1人65,000ドルでエベレスト営業公募隊を募集した。
探検家のロブ・ホールが引率して、
世界中のアマチュア登山家と共に5月10日に登頂を果たすというツアーで、
いわゆる商業登山隊であった。
映画は、このエベレスト登頂ツアーが、
ネパールに到着したところから始まる。


ベースキャンプ(標高5,364メートル)で約1カ月間入念な準備を整えた後、
頂上を目指して出発した一行は、
スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)率いる、


マウンテン・マッドネス隊などの別のツアーと協力体制を組みながら、
順調に第4キャンプ(標高7,951メートル)まで登っていく。
しかし、頂上アタックの日、
参加者の体調不良や、
フィックスロープの不備、
ミス・コミュニケーションなどによって、
登頂時刻が大幅に遅れてしまう。


隊長が、登頂を諦めて下山するように説得しても、
言うことをきかない参加者もいて、
下山が大幅に遅れてしまう。
そこへ、未曾有の嵐の接近で、急激に天候が悪化。


デス・ゾーンで散り散りになった登山家たちは、
ブリザードと酸欠との過酷を極めた闘いの中で、
次々と命を落としていく……



標高8848メートル。
そこは、人間が生存できない死の領域“デス・ゾーン”。
ボーイング747の巡航高度に匹敵し、
気圧は地上の三分の一。
風速は時速320キロメートルを超え、
気温はマイナス26℃以下になる。
その“デス・ゾーン”に、
映画を見る者を放り込み、
体感させる作品であった。
『クリフハンガー』や『バーティカル・リミット』などとは違い、
ドキュメンタリータッチで進行していくので、
山岳アクション映画を見に行くような感覚で見に来た鑑賞者は、
やや物足りなく感じるかもしれない。
だが、ウソ臭さを排除したリアル感のある映像で見る者に迫ってくる本作は、
多少なりとも登山経験がある人にとっては、
身も心も震え上がってしまうような映画であった。


私のように、
岳人ではないけれども、多少なりとも登山の経験があり、
このエレベストの遭難事故も知っている者にとっては、
それほどの混乱はなかったが(感じなかったが)、
まったくの予備知識なしで本作を見ると、
「映画の中に出てくる人たちの人間関係がよく判らなかった」
などと思う人が少なからず出てくるのではないかと思った。
なにしろ、映画に出てくる男たちは、ほとんどが髭もじゃで、
誰が誰だかよく判らないからだ。(笑)
これから見に行く人は、
ある程度の予備知識を持って鑑賞することをオススメしたい。


この1996年のエベレスト大量遭難事故について書かれた本が数冊ある。
最も有名な本は、
ジョン・クラカワーが書いた、
『空へ 悪夢のエヴェレスト1996年5月10日』(海津正彦訳 ヤマケイ文庫)


ジョン・クラカワーといえば、
そう、あの映画 『イントゥ・ザ・ワイルド』の原作者なのである。
彼は、アメリカのアウトドア誌『アウトサイド』からの派遣によって、
このエベレスト公募隊に参加していたのだ。
ジョン・クラカワーは先に登頂に成功し、
第4キャンプに戻っていたので命は落とさずに済んだ。
だが、救助には参加せず批判も浴びている。
彼は、自著で己の弁明をした後、
ガイドのアナトリ・ブクレーエフを批判している。

アナトリは、
スコット・フィッシャーのマウンテン・マッドネス隊のシニアガイドで、
ロシアのコルキノ出身のエリート登山家である。
彼は地球上に存在する8000メートル級の14の山のうち、
10の山に補助酸素無しで登頂に成功していた。
彼は、
「山は自己責任」
「大半をガイドの助けによらなければ登頂できないような人間は参加するべきではない」
という考えを強固に持っており、
ルート工作などは行ったものの、
顧客の世話はガイドの仕事ではないとして、
体調不良者の介助や下山の付き添いには参加しなかった。
また、消耗の激しい無酸素登頂を行ったうえ、
他の顧客より先にC4に帰還していたので、
そこが批判の的となった。
だが、彼は、先にC4に戻って体力を回復していたので、
すぐに遭難現場に戻って3名を救助している。
そのような、アナトリの視点で書かれたのが、
『デス・ゾーン8848M―エヴェレスト大量遭難の真実』(鈴木主悦訳 角川書店)


3冊目は、
ベック・ウェザーズが書いた『生還』(山本光伸訳 K&Bパブリッシャーズ)


ベック・ウェザーズは、
テキサス州ダラスに住む病理学者で、しばしば山を目指す登山愛好家。
妻のピーチが快く思っていないながらもエベレスト登頂に向け出発。
大量遭難事故から奇跡の生還を果たした男だ。
難波康子とともに横たわっていた彼は、
氷に覆われた状態だったので、助からないと思ってそのまま放置された。
ところが彼はその後ずいぶん経ってから、自力でキャンプに戻ることに成功する。

そう、これら3冊は、
死の領域“デス・ゾーン”から生還した男たちによって書かれた証言なのだ。
だが、視点がそれぞれ違うため、
見たもの、感じたもの、正しいと思ったことが、皆違う。
『山と渓谷』(2015年11月号)で、
本作のレビューを書いている谷口けい(アルパインクライマー)は、
3冊を読み比べ、映画も見た上で、
次のように記している。

いったいどれが真実なのだろう?とその時は考えたものだけれど、結局、デス・ゾーンとはそういう世界なのだ。誰も正しい判断などできなくなる。もともと価値観の違う人間同士が、極限の状態で何を思い、どう行動するのか? そこにいた当事者にしかわからないし、しかし、そこで起きたことの全てはやはり知りえない。
後日、自分が8000mの高みへ行くという経験をして実感したことは、助けられなかったからといって、生きて還った人を責めることなどできないということ。自分の命を持って帰ること、それが一番のミッションなのだ。だからこそ、あのカオスのなかで必死に動きレスキューを続けたアナトリを、個人的には尊敬するし、あのような強い意志と身体をもった人間の存在に感動する。


ジョン・クラカワーとは違って、
アナトリを尊敬すると述べている。

その人の立場、その人の人生観などによって、
この遭難事故を、
この映画を見る目は違ってくる。
映画を見ることによってデス・ゾーンに放り込まれた鑑賞者もまた、
それぞれに違った感慨を抱くことだろう。
正解はないのだろうし、
そういう経験をすることが、
なによりも重要なことなのだと思う。

映画を見ている2時間は、
緊張しっぱなしの2時間であるのだが、
そればかりではなく、
エベレストに登った者にしか見ることのできない世界を体験させてもくれる。


空撮によるエベレスト、
その世界最高峰・エベレストからの眺め。
どこまでも連なるヒマラヤの峰々を見ていると、
地球の造形の素晴らしさを感じるとともに、
あの場所に立ってみたいという登山家たちの気持ちも、
すこし理解できるような気にもなってしまう。


映画では、男性ばかりではなく、
ロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)の妻
ジャン・アーノルド(キーラ・ナイトレイ)や、


ベック・ウェザーズ(ジョシュ・ブローリン)の妻
ピーチ・ウェザーズ(ロビン・ライト)や、


AC隊ベースキャンプマネージャーのヘレン・ウィルトン(エミリー・ワトソン)など、
女性陣も重要な役を担っていた。


私がこの映画を見に行ったのは、
山への興味もさることながら、
大好きな女優キーラ・ナイトレイが出演していたので……
っていう部分も大きい。
キーラが演じたロブ・ホールの妻ジャン・アーノルドは、
この遭難事故のとき、妊娠中であった。
そのジャンのお腹にいた実際の子が、
成長した娘の姿で、
他の生存者と共に、
映画のラストに出てくる。
映画を見終わる頃に、
「この映画は実話なのだ」
ということをあらためて実感させられるのだ。

3Dによって大自然の驚異を体感させつつ、
見る者を“デス・ゾーン”に放り込む映画『エベレスト 3D』。
山に興味がある人はもちろん、
そうでない人も、
機会があればぜひ見てもらいたい作品である。


【追記】
本文でレビューを引用した谷口けいさんが亡くなった。
2015年12月21日、北海道大雪山系の黒岳にて登山中に滑落し、行方不明となり、
翌22日心肺停止状態で発見され、病院で死亡が確認された。享年43歳。
この悲報は、日本だけでなく、韓国でも報道された。
朝鮮日報は、次のように伝えている。(一部引用)

有名登山家ではあったが、企業の協賛を受けずに登山をした。協賛を受けるとスポンサーへの責任が生ずるため、自由な登山ができないというのが理由だった。そのせいで、経済的に常に困窮していた。また谷口さんは「山のものは、どんな小さなものでも傷つけないのがよい」という徹底したアルパイン・スタイルを追求した。少人員で素早く登り、ポーター(荷物持ち)もシェルパ(山岳ガイド)も付けず、痕跡も残さないという手法だった。

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