一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『起終点駅 ターミナル』 …佐藤浩市、本田翼、尾野真千子の静かな演技に感動…

2015年11月09日 | 映画
川本三郎(映画評論家、文芸評論家、エッセイスト、翻訳家)の、
評論家としての姿勢に感銘し、
私は若い頃から彼の著作を愛読しているし、
書かれた内容にも信頼を置いている。
その川本三郎が、
10年ほど前から贔屓にしている作家の一人に桜木紫乃がいる。
彼の影響で、私も桜木紫乃の作品を読むようになり、
北海道を舞台にしたその作品群を、
私も、殊の外、愛するようになった。

桜木紫乃の、その作品群の中から、
『起終点駅 ターミナル』が映画化されることになった。
2012年に発表した6作からなる短編集の表題作であり、
現代人の孤独とその先にある光を描いた作品で、
舞台となる北海道の風景と相俟って、
読む者に、忘れがたい印象を残す好短編だ。


桜木紫乃原作としては、初の映画化なので、
私は楽しみに待っていた。
そして、ついに、11月7日に公開されたので、
さっそく見に行ってきたのだった。

北海道の旭川で裁判官として働く鷲田完治(佐藤浩市)。
ある日、学生時代の恋人だった結城冴子(尾野真千子)が被告人として現れる。
罪状は、覚醒剤取締法違反。
全共闘世代として学生時代を過ごした完治と冴子だったが、
活動家だった冴子とは違って、
完治は政治活動には参加せずに勉強に専念し、
司法試験に合格する。
だが、合格発表の直後、
冴子は姿を消したのだった。

彼女に執行猶予付きの判決を与えた完治は、裁判後、
冴子が働くスナック“慕情”に通い、


逢瀬を重ねるようになる。


2年の北海道勤務を終え、
妻子の待つ東京へ戻る日が近づいていた完治は、
すべてを捨てて冴子と共に暮らしていこうと決める。
「仕事を辞めてもいい。どこか小さな街で、法律事務所でも開こうかと思う」
だが、冴子はその想いに応えることなく、
完治の目の前で自ら命を絶ってしまうのだった。


それから25年、
完治は、釧路で、誰とも関わることなく、
国選弁護人として一人ひっそりと生きていた。
それはまるで、
愛した女性を死に追いやってしまった自分自身を裁き、罰を課すようでもあった。
そんなある日、
弁護を担当した若い女性、椎名敦子(本田翼)が完治の自宅を訪ねてくる。
ある人を探して欲しいという依頼だった……



好い映画だった。
舞台は、北海道の旭川と釧路。
大好きな北海道の風景の中での、
佐藤浩市、本田翼、尾野真千子のオーバーアクトを抑えた静かな演技が心に沁みた。
芸術性などでは他の作品になるかもしれないが、
純粋に映画を楽しんだという意味では、
今年見た映画の中で、
私の最も好きな作品かもしれない。


桜木紫乃の原作が良い。
長谷川康夫の脚本が良い。
佐藤浩市、本田翼、尾野真千子の静かな演技が良い。
篠原哲雄監督の演出が良い。
そして、舞台となる北海道の風景が良い。


篠原哲雄監督は、
佐藤浩市演じる完治という主人公の一人暮しぶりをしみじみと撮る。
派手な演出はなく、佐藤浩市も静かに孤独な男を好演している。
そのことを、川本三郎は、
『キネマ旬報』(2015年11月上旬号)の
「映画を見ればわかること」というコラムで、
次のように記している。

一人暮しといっても決して荒んではいない。きちんと家事をする。洗濯物を丁寧にたたむ。釧路駅に近い和商市場で買物をする。料理を作る。釧路が発祥の地というザンギ(鶏のからあげを独特のタレで食べる)を得意にしている。新聞の料理欄を切抜いて、それを参考にする。切抜きをノートに貼る。
掃除もきちんとしているのだろう。粗末な家ではあるが、汚れてはいない。自分だけの孤独な世界を楽しんでいるように見える。麻布の自宅、偏奇館に独居隠栖した永井荷風を思わせもする。そういえば、この映画は、世を捨てた初老の男が、思いもかけず水商売の心延えのいい若い女性と出会うことで、一瞬の心の高まりを覚えるという点で、荷風の『濹東綺譚』に似たところがある。
この映画を二度見るまで惹かれてしまったのはそれもあったためかもしれない。


この映画を見て、
永井荷風の『濹東綺譚』を思い浮かべるとは、
さすが、
『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』や『荷風好日』などの著書がある、
川本三郎らしい見解だ。
私も、
篠原哲雄監督の淡々と描き出す完治という主人公の一人暮しぶりが秀逸であったと思う。
やや前屈みになって歩く佐藤浩市にシビれた。
佐藤浩市自身も『キネマ旬報』(2015年11月上旬号)のインタビュー記事で、

ボクはそんなに背中が伸びている役者じゃないけど、今回は意図的に猫背というか、背中を丸めさせてもらいましたね。

と語っていたが、
あの、どちらかといえば、ギラギラとした肉食系(のイメージの)男優が、
心寂しき初老の男の、身を切るような孤独を実に巧く表現していたように思う。


その孤独な男に絡んでくる若い女性、椎名敦子を演じる本田翼もすこぶる良かった。
本田翼といえば、
映画『アオハライド』(2014年12月13日公開)や、
今年(2015年)の夏に放送されていたフジ系月9の『恋仲』が思い出されるが、
モデル出身だけあってキラキラ感があって、
原作である小説のイメージとはかなり違うのだが、
これがかえって良かったような気がする。
小説の敦子は、30歳の水商売にどっぷり浸かったような女であったが、
映画の敦子は、本田翼の等身大の若い女性であった。


佐藤浩市に本田翼を絡ませることで、
ミスマッチ的な面白さが生まれ、
やや暗めの物語が、
ラストに光の見える物語に変貌していた。
小説のラストと、映画のラストも少し違っていた。
映画のラストは、
本田翼なくしては撮れなかったであろうと思った。


川本三郎は、『キネマ旬報』(2015年11月上旬号)のコラムで、
本田翼演ずる敦子について、次のように記している。

初老の男の家に、弁護を担当した敦子という女性が礼にやってくる。クラブかキャバクラで働いているらしいが、すれた感じがしない。まだ少女のようなういういしさがある。覚醒剤使用で逮捕された。常習ではなかったので執行猶予がついた。
敦子を演じている本田翼について、恥ずかしいことに何も知らなかった。この映画ではじめて見て、素晴らしいと思った。
冒頭、敦子は世話になった完治に丁寧に頭を下げる。裁判の直後、裁判所で、次に、完治の家で。完治は、このお辞儀を見て、彼女が罪名にはほど遠い素直な女性だと直感したに違いない。
そのまま帰すのも気がひけたので完治は手づくりのザンギを振るまう。敦子は「おいしい!」とはじめて笑顔を見せる。
このあと、二人の気持は、言葉ではなく完治の作る料理であらわされてゆく。
イクラを漬ける。冷やし中華を作る。敦子が熱を出して倒れた時には、おじやを作ってやる。恋人のようにも、親子のようにも見える。おそらく大人の男に優しくされたことのなかった敦子が素直に甘える。初老の男は長く自分に禁じていた優しさを見せるようになる。





この、完治と敦子のやりとりが実に良かった。
本田翼は、これまで見せたことのない表情をこの映画で見せている。
若者向けのTVドラマや映画では見せたことのない表情をだ。


ある女性映画評論家が、この映画を見て、
「佐藤浩市はベテランらしく表情だけで背負った哀しみを表し、さすがの演技力なだけに、相手役の本田翼の力量不足がかえって目立ってしまったのは残念」
と述べていたが、この評論家は一体何を見ていたのかと思った。
この作品における本田翼は、
川本三郎の言葉を借りるまでもなく、本当に素晴らしかった。


出演シーンはそれほど多くはないものの、
結城冴子を演じた尾野真千子も良かった。
北海道を舞台にした『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(2013年)や、
作品として評価の高かった
『そして父になる』(2013年)や
『きみはいい子』(2015年)も良かったが、
感情を抑えた演技と、
愁いを帯びた美しさでは、
本作が随一ではないかと思った。


本作は、佐藤浩市、本田翼、尾野真千子の映画と言ってもいいほどなのだが、
出演シーンは少ないものの、
投資会社社長とは名ばかりのヤクザ二代目組長・大下一龍を演じた中村獅童や、


完治の先輩弁護士・南達三を演じた泉谷しげる、


釧路地方裁判所に勤める新米の判事補・森山卓士を演じた和田正人などが、
確かな演技で作品を支えていた。


愛した女性を死に追いやってしまった自分自身を裁き、罰を課すように、
孤独に生きてきた完治の前に、
家族に見放され誰にも頼ることなく生きてきた敦子が現れ、
ずっと止まったままだった完治の心の歯車が、
少しずつ動くようになる。
敦子もまた完治との出会いによって、
自分の生きる道を見出していく。
人生の終着駅だと思っていた釧路の街は、
未来へ旅立つ始発駅となり、
完治、敦子、それぞれの新しい人生が動き始める……


良い映画であった。
好きな映画であった。
皆さんも、機会がありましたら、ぜひぜひ……


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