12月に入って、急に寒くなった。
天山もそろそろ積雪しているのではないか……と思い、
今日、さっそく登ってきた。
その前に……
今年の9月中旬、
地元紙に次のような記事が載った。(要約)
富士山頂に設置されている書聖・中林梧竹筆の「鎮國之山」銅碑の複製が、
小城市歴史資料館の駐車場に仮設置されている。
飲料メーカー「カルピス」(本社・東京都)の旧本社敷地内に設置されていた碑を、
同市が譲り受けたもので、
市文化課は「本物と変わらない貴重なもの」と話している。
「鎮國之山」碑は、1898(明治31)年、
当時72歳の梧竹が国の平安を祈って、富士山頂に建立。
その後、落雷で破損し放置されていたものを、
同社の創業者・三島海雲氏が1968(昭和43)年に再建した。
今回寄贈された複製は、再建時に併せて製造されたもので、
同社旧本社に長く設置されていた。
碑は高さ142センチ、幅60センチ、奥行き31センチの銅製で、
御影石製の台座に据え付けられている。
市は年内にも本設置場所を決め、移設したい考え。
江里口市長は「天山9合目にある天山神社上宮や小城公園などいくつか候補地があるので、どこが一番いいか慎重に検討したい」と話している。
どこに設置されるのだろうと注目していたのだが、
11月20日、Y紙に次のような記事が載った。(要約)
1898年、
小城市出身の書家中林梧竹(1827~1913年)が揮毫し、
自ら寄付を募って富士山頂付近に建てた「鎮國之山」碑の複製が、
11月19日、同市などにまたがる天山8合目の駐車場に設置された。
地元関係者らは、
「富士山に魅せられた悟竹の思いがふる里に戻ってきたようだ」
と喜んだ。
小城市によると、
富士山に魅せられた梧竹は、建設許可なども自ら取得して碑を設置。
その後、風雨にさらされるなどして倒壊したが、
富士山を愛する飲料メーカー「カルピス」の創業者・三島海雲さんが、
1967年に再建。
梧竹ファンでもあった三島さんはその際、
複製も作って社の敷地の一角に設置していた。
昨年、同社が複製を所蔵していることを市が知り、寄贈してもらった。
除幕式には、関係者ら約40人が出席。
同社の山田藤男社長は
「景色のよいいい場所に建ててもらった。梧竹も三島さんも喜んでいると思う」
と話していた。
「鎮國之山」の碑は、私がよく利用する上宮駐車場に設置されたとのこと。
で、その「鎮國之山」の碑とやらを見たいと思った。
上宮駐車場に着くと、
登山口の横に、
その「鎮國之山」の碑が見えた。
「おお、これか~」
と碑のそばに寄る。
なかなか立派な銅碑である。
富士山頂にある銅碑と同じものが、
天山にもあるというのが、なんとも嬉しい。
銅碑の横には、中林梧竹の歌碑もあった。
あら嬉しふるさと
ちかくなりにけり
くもまに見ゆる
小城のあめ山
天山に来られた際は、
最短で登れるからと、天川登山口ばかりではなく、
ぜひ、上宮登山口の方へ。
「鎮國之山」の碑については、これくらいにして、
さあ、登り始めよう。
上宮駐車場にはまったく車はなく、
そして、雪もなかった。
はたして山頂は……
わくわくしながら、出発した。
上宮の池は、凍ってはいなかったが、
四阿の屋根には、
ツララが……
上宮から少し歩いた所に、倒木があったが、
そのままの姿で、今日もそこに横たわっていた。
雪が目立つようになってきた。
いつもの場所で写真を撮るが、天山山頂は見えず。
あめ山分岐を通過。
登山道には、小動物の足跡のみ。
人の足跡はまったくなかった。
私の足跡だけが雪に刻まれていく。
あめ山分岐からしばらく登った辺りで、
プチ霧氷を発見。
くじゅうなどでは、普通に見られる霧氷だが、
標高が1000mちょっとの天山では、
気温、湿度、風速など、
いろんな条件が揃わなければ見ることができない。
「ラッキー」と思いながら登っていたら、
マツの葉が白くなっているのが見えた。
マツの葉にも霧氷ができていた。
いいね~
美しい~
段になった岩には、プチ氷瀑ができていた。
こちらもいいね~
山頂に着くと、一面の雪。
嬉しい~
「天山」と彫られた石碑には、
プチ・エビの尻尾が……
美しい模様を描いている。
彫られている文字にも、プチ・エビの尻尾が……
さあ、稜線散歩へ。
たった一人の山。
なんという贅沢。
稜線にも、霧氷がたくさん。
ノートレースの道をゆっくり歩いて行く。
タンナトリカブト、
ムラサキセンブリ、
イタドリ、
ヒメアザミ、
ホソバノヤマハハコ、
マツムシソウ……
花期を終え、枯れ、姿を変えてしまったが、
それぞれに趣がある。
天山南壁。
いつもにも増して、険しい。(笑)
さあ、そろそろ戻ろうか……
山頂へ戻る道も、霧氷を楽しみながら歩いて行く。
誰もいない。
すべて、独り占め。
近くの山で、こんなに霧氷を楽しめるなんて……
来て良かった~
山頂に戻っても、誰もいなかった。
さあ、下山だ。
上宮駐車場に戻ってくる。
だが、私が出発したときのまま。
今日、天山に登ったのは、私だけかもしれない。
下界の人たちは、
天山山頂に別世界があることを知らないんだろうな~
今日も「一日の王」になれました~
※初冠雪について
私が登った12月3日(水)には、ご覧のように天山はすでに冠雪していた。
だが、気象庁は、翌日(12月4日)を初冠雪と発表した。
なぜか?
【初冠雪の観測】
気象庁では、冬季の積雪は通常積雪計を用いて実際に雪が堆積した厚みを計測する。しかし、初冠雪は麓にある気象台や測候所から対象となる山の頂を眺め見て、山頂が白くなっていることを確認して初冠雪とする。時刻までは計測しておらず発表されるのは日単位である。機械計測は行なっておらず目視観測であるため、雲などによって山頂が目視できない場合たとえ山頂に積雪が生じたとしても麓から視認できず、雲が晴れるなどして山頂が見えるようになった後日になってから初冠雪が観測されるというタイムラグが発生し得る。(ウィキペディアより)
そう、私が登頂した12月3日は、
山頂は雲に覆われていて、麓からは見えなかったのだ。
麓から見えた12月4日が初冠雪の日となったのだった。
天山もそろそろ積雪しているのではないか……と思い、
今日、さっそく登ってきた。
その前に……
今年の9月中旬、
地元紙に次のような記事が載った。(要約)
富士山頂に設置されている書聖・中林梧竹筆の「鎮國之山」銅碑の複製が、
小城市歴史資料館の駐車場に仮設置されている。
飲料メーカー「カルピス」(本社・東京都)の旧本社敷地内に設置されていた碑を、
同市が譲り受けたもので、
市文化課は「本物と変わらない貴重なもの」と話している。
「鎮國之山」碑は、1898(明治31)年、
当時72歳の梧竹が国の平安を祈って、富士山頂に建立。
その後、落雷で破損し放置されていたものを、
同社の創業者・三島海雲氏が1968(昭和43)年に再建した。
今回寄贈された複製は、再建時に併せて製造されたもので、
同社旧本社に長く設置されていた。
碑は高さ142センチ、幅60センチ、奥行き31センチの銅製で、
御影石製の台座に据え付けられている。
市は年内にも本設置場所を決め、移設したい考え。
江里口市長は「天山9合目にある天山神社上宮や小城公園などいくつか候補地があるので、どこが一番いいか慎重に検討したい」と話している。
どこに設置されるのだろうと注目していたのだが、
11月20日、Y紙に次のような記事が載った。(要約)
1898年、
小城市出身の書家中林梧竹(1827~1913年)が揮毫し、
自ら寄付を募って富士山頂付近に建てた「鎮國之山」碑の複製が、
11月19日、同市などにまたがる天山8合目の駐車場に設置された。
地元関係者らは、
「富士山に魅せられた悟竹の思いがふる里に戻ってきたようだ」
と喜んだ。
小城市によると、
富士山に魅せられた梧竹は、建設許可なども自ら取得して碑を設置。
その後、風雨にさらされるなどして倒壊したが、
富士山を愛する飲料メーカー「カルピス」の創業者・三島海雲さんが、
1967年に再建。
梧竹ファンでもあった三島さんはその際、
複製も作って社の敷地の一角に設置していた。
昨年、同社が複製を所蔵していることを市が知り、寄贈してもらった。
除幕式には、関係者ら約40人が出席。
同社の山田藤男社長は
「景色のよいいい場所に建ててもらった。梧竹も三島さんも喜んでいると思う」
と話していた。
「鎮國之山」の碑は、私がよく利用する上宮駐車場に設置されたとのこと。
で、その「鎮國之山」の碑とやらを見たいと思った。
上宮駐車場に着くと、
登山口の横に、
その「鎮國之山」の碑が見えた。
「おお、これか~」
と碑のそばに寄る。
なかなか立派な銅碑である。
富士山頂にある銅碑と同じものが、
天山にもあるというのが、なんとも嬉しい。
銅碑の横には、中林梧竹の歌碑もあった。
あら嬉しふるさと
ちかくなりにけり
くもまに見ゆる
小城のあめ山
天山に来られた際は、
最短で登れるからと、天川登山口ばかりではなく、
ぜひ、上宮登山口の方へ。
「鎮國之山」の碑については、これくらいにして、
さあ、登り始めよう。
上宮駐車場にはまったく車はなく、
そして、雪もなかった。
はたして山頂は……
わくわくしながら、出発した。
上宮の池は、凍ってはいなかったが、
四阿の屋根には、
ツララが……
上宮から少し歩いた所に、倒木があったが、
そのままの姿で、今日もそこに横たわっていた。
雪が目立つようになってきた。
いつもの場所で写真を撮るが、天山山頂は見えず。
あめ山分岐を通過。
登山道には、小動物の足跡のみ。
人の足跡はまったくなかった。
私の足跡だけが雪に刻まれていく。
あめ山分岐からしばらく登った辺りで、
プチ霧氷を発見。
くじゅうなどでは、普通に見られる霧氷だが、
標高が1000mちょっとの天山では、
気温、湿度、風速など、
いろんな条件が揃わなければ見ることができない。
「ラッキー」と思いながら登っていたら、
マツの葉が白くなっているのが見えた。
マツの葉にも霧氷ができていた。
いいね~
美しい~
段になった岩には、プチ氷瀑ができていた。
こちらもいいね~
山頂に着くと、一面の雪。
嬉しい~
「天山」と彫られた石碑には、
プチ・エビの尻尾が……
美しい模様を描いている。
彫られている文字にも、プチ・エビの尻尾が……
さあ、稜線散歩へ。
たった一人の山。
なんという贅沢。
稜線にも、霧氷がたくさん。
ノートレースの道をゆっくり歩いて行く。
タンナトリカブト、
ムラサキセンブリ、
イタドリ、
ヒメアザミ、
ホソバノヤマハハコ、
マツムシソウ……
花期を終え、枯れ、姿を変えてしまったが、
それぞれに趣がある。
天山南壁。
いつもにも増して、険しい。(笑)
さあ、そろそろ戻ろうか……
山頂へ戻る道も、霧氷を楽しみながら歩いて行く。
誰もいない。
すべて、独り占め。
近くの山で、こんなに霧氷を楽しめるなんて……
来て良かった~
山頂に戻っても、誰もいなかった。
さあ、下山だ。
上宮駐車場に戻ってくる。
だが、私が出発したときのまま。
今日、天山に登ったのは、私だけかもしれない。
下界の人たちは、
天山山頂に別世界があることを知らないんだろうな~
今日も「一日の王」になれました~
※初冠雪について
私が登った12月3日(水)には、ご覧のように天山はすでに冠雪していた。
だが、気象庁は、翌日(12月4日)を初冠雪と発表した。
なぜか?
【初冠雪の観測】
気象庁では、冬季の積雪は通常積雪計を用いて実際に雪が堆積した厚みを計測する。しかし、初冠雪は麓にある気象台や測候所から対象となる山の頂を眺め見て、山頂が白くなっていることを確認して初冠雪とする。時刻までは計測しておらず発表されるのは日単位である。機械計測は行なっておらず目視観測であるため、雲などによって山頂が目視できない場合たとえ山頂に積雪が生じたとしても麓から視認できず、雲が晴れるなどして山頂が見えるようになった後日になってから初冠雪が観測されるというタイムラグが発生し得る。(ウィキペディアより)
そう、私が登頂した12月3日は、
山頂は雲に覆われていて、麓からは見えなかったのだ。
麓から見えた12月4日が初冠雪の日となったのだった。