一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『夜明けのすべて』 ……上白石萌音の演技が素晴らしい三宅唱監督の傑作……

2024年02月22日 | 映画


本作『夜明けのすべて』(2024年2月9日公開)を見たいと思った理由は二つ。

➀上白石萌音の主演作であること。(松村北斗とのW主演)


➁三宅唱監督作品であること。




上白石萌音とは、10年前、映画『舞妓はレディ』(2014年)で出逢った。
そのレビューで、私は上白石萌音について次のように記している。

そして、なによりも良かったのは、
春子役の上白石萌音。
歌にも踊りにも演技にも、素朴な良さがあり、
舞妓として成長していく姿に好感が持てた。



ある映画評論家が、
「オードリー・ヘップバーンにはレディに変貌した時の高貴さがあったが、『舞妓はレディ』のヒロインには、輝く舞妓に変身した時のインパクトが欠けていたように思う」
と語っていたが、
それは違うと思った。
『マイ・フェア・レディ』は貧しく粗雑な下町娘から高貴なレディへと変貌したが、
『舞妓はレディ』は、普通の娘が舞妓になるために努力する物語である。
鹿児島弁や津軽弁よりも京都弁が高貴というワケでもなく、
普通の娘より舞妓が高貴というワケでもない。
両者の位に高低はないのだ。
舞妓になりたいと夢を抱いた純朴な娘が、
舞妓になりたい一心で稽古に励み、
舞妓という職業女性へと成長していく物語なのである。
そこが本家の『マイ・フェア・レディ』と違うところであるし、
『舞妓はレディ』の素敵なところだ。
そして、上白石萌音が、そのヒロインを見事に演じ切っているのだ。



(私の父が鹿児島県出身ということもあり)薩摩隼人の血が流れている私は、
鹿児島県出身の上白石萌音には応援したいという気持ちが強くあり、
以降、ずっと注目してきた。
映画では、
『溺れるナイフ』(2016年)
『ちはやふる -上の句-』(2016年)
『ちはやふる -下の句-』(2016年)
『ちはやふる -結び-』(2018年)
『羊と鋼の森』(2018年)
『カツベン!』(2019年)

TVドラマでは、
佐賀発地域ドラマ「ガタの国から」(2017年)
「記憶捜査〜新宿東署事件ファイル〜」(2019年~2022年)シリーズ
「恋はつづくよどこまでも」(2020年)
NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(2021年)

など、彼女の出演作はなるべく見る(観る)ようにしてきたし、
映画のレビューでも彼女に触れるようにしてきた。
そんな上白石萌音の主演作は見逃せないと思った。



三宅唱監督作品とは、
『きみの鳥はうたえる』(2018年)で出合った。
そのレビューで、

映画が始まると、
この映画は、これまで見てきた映画とは“空気”が違うことがすぐに判った。
“空気”が濃密なのである。
柄本佑、染谷将太、石橋静河の関係が自然だし、
会話もセリフという感じがしないくらい自然なのである。
演出が感じられないのだ。
演出が感じられない演出なのである。


と記し、
……演出を感じさせない三宅唱監督の傑作青春映画……
とのサブタイトルを付し、絶賛した。
この年(2018年)に上映された映画の中では、
瀬々敬久監督作品『菊とギロチン』と共に傑出した作品だったので、
第5回 「一日の王」映画賞において、
監督部門で、最優秀監督賞(三宅唱)
男優賞部門で、最優秀男優賞(柄本祐)
に選出し、
作品賞部門でも第2位に選出した。(第1位は『菊とギロチン』)

『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)については、
三宅唱監督の映画的なセンスを誉めつつも、
題材(ボクシング)、主人公の特性(聴覚障害者)、下町という舞台、老いたコーチと若者との関係性など、既視感のある手垢のついたものばかりで新鮮味に欠けていたので、
そこを指摘し、
レビューの最後に、

今回は、絶賛だけのレビューではなかったが、
優れている作品であることには違いなく、
昨年(2022年)の日本映画の収穫となる一作であったと思う。


と書いた。
そんな三宅唱監督の新作『夜明けのすべて』は、ぜひ見たいと思った。



原作は、瀬尾まいこの同名小説。


主演の上白石萌音、松村北斗の他、


渋川清彦、りょう、光石研などのベテラン勢に加え、
私が注目している若手女優、芋生悠や藤間爽子も出演している。


で、ワクワクしながら(佐賀での上映館である)109シネマズ佐賀で鑑賞したのだった。



PMS(月経前症候群)のせいで、
月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢美紗(上白石萌音)は、
会社の同僚・山添孝俊(松村北斗)のある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。


転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添だったが、
そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。
職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、
美紗と山添の間には、
恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。


やがて2人は、
〈自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないか……〉
と考えるようになる。




様々な病気や障害や性癖などをもつ男女(あるいは同性)が、
生きていく手段として、カップルを装い、一緒に生活していく……という物語は、
多様性の時代を反映してか、ここ数年、映画やTVドラマで多く見られるようになった。
本作『夜明けのすべて』も、
主人公の二人が、PMS(月経前症候群)とパニック障害ということで、
その類(たぐい)の物語か……と思いきや、
似た部分はあるものの、そうではなかった。
互いの住む場所を訪ねはするが、一緒に住むことはなく、
適度な距離を保ちつつ、
お互いを補い合い、助け合いはするが、恋愛関係になることもなく、
最後は、藤沢美紗(上白石萌音)が母親の介護で田舎に帰ることで、離れ離れになる。
大問題や大事件が起こるわけでもなく、
この映画は、二人の日常生活を淡々と描き出す。
こう書くと、起伏の無い、つまらない映画と思われるかもしれないが、
本作はそうはなっていないから不思議なのだ。
映像が美しいし、どのシーンにも魅入らされてしまう。
これはひとえに三宅唱監督の手腕によるものだろう。
『ケイコ 目を澄ませて』のレビューで、

なによりも光っていたのは、
三宅唱監督の映画的なセンスである。
『きみの鳥はうたえる』のときにも感じたことであるが、
三宅唱監督はなにを撮っても、(というと語弊があるかもしれないが)
優れた映画として成立させる技量と才能を持っている。
映像にも音にも目配りが行き届いており、
すべてのシーンが絵になっていて、見ていて心地好い。


と書いたのだが、
本作でもそのことは言えると思った。
「神は細部に宿る」と言うが、
三宅唱監督作品には特にそれを感じる。
何の変哲もない風景、どうということもないシーンなどが、実に魅力的なのだ。
何気なく撮られているようで、
そこには監督による緻密な計算があるのかもしれない。
単なるセンスと言い切ってしまっては失礼にあたるだろう。
細かい部分までこだわり抜くことで、全体としての完成度が高まり、
特異な題材ではなくとも、見る者を惹きつけてやまない。





藤沢美紗を演じた上白石萌音。


プラネタリウムや顕微鏡のキットを作る栗田科学で働いて3年になる社員で、
月に1回訪れるPMS(月経前症候群)の影響でイライラすることが多いという役柄。
そのイライラ具合、感情の高ぶりが、私の想像していたものより大きく、
常軌を逸したような状態となり、
〈本当にこれほど感情がむき出し状態になるのか……〉
と、ちょっと疑ってしまうほどであった。
PMSについて何も知らず、無知な私なので、驚いてしまったのだが、
あの温厚で優しそうな上白石萌音が、
PMSによって人格が変わるほどに豹変するシーンに、ちょっと衝撃を受けた。
普段の美紗と、PMSによってイライラ状態の美紗との落差が大きく、
演じ分けた上白石萌音も見事で、
10代の映画の代表作が『舞妓はレディ』としたら、
20代の(現時点での)代表作は、本作『夜明けのすべて』になるだろうと思った。



藤沢美紗が勤める会社の同僚・山添孝俊を演じた松村北斗。


このブログで男優を論じることはあまりないのだが、(コラコラ)
上白石萌音とのW主演ということなので、(少し)論じておかなくてはならないだろう。
栗田科学の新入社員で、
パニック障害を患い、生きる希望を見失っているという役柄。
最初、いかにもやる気がなさそうな山添は、
PMSの影響で怒りやすくなっている美紗から、八つ当たりをされ、キレられ、罵倒される。
ムカついたりもするが、
美紗がPMSだということを知り、PMSのことを勉強し、PMSのことを理解してからは、
美紗に対して優しく接するようになる。
この感情の変遷が繊細に演じられていて、感心させられた。


上白石萌音とは、
NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じているので、
二人のシーンは息もピッタリで、安心して見ていることができた。
ずっと見ていたい気持ちにさせられた。



山添の恋人・大島千尋を演じた芋生悠。


山添がパニック障害を抱えてからも、寄り添い、支えている女性の役。
普通ならば、藤沢美紗(上白石萌音)の存在を知ったら、嫉妬したりする筈なのだが、
千尋はそうはならない。
象徴的なシーンがある。
千尋と美紗が偶然出くわすシーンなのだが、


これまでの映画ならば、千尋に嫉妬と敵対心が芽生え、緊張感のある場面になっていた筈。
だが、美紗はお菓子を頬張りながら山添が会社でがんばっていることを伝え、
神社で買ったというお守りを渡す。
千尋は美紗がどういう女性かを一瞬で見抜き、
「藤沢さんみたいな人が会社にいてくれてよかったです。ありがとうございます、彼と向き合ってくださって」
と礼を述べる。
この大島千尋という女性を、芋生悠は違和感なく自然に演じていて感心させられた。
『ソワレ』(2020年)や『ひらいて』(2021年)などで女優としての才能は実証済みだが、
芋生悠はこれからもっともっと好い女優になっていくことだろう。



この他、
美紗の友人・岩田真奈美を演じた藤間爽子、


美紗の母・藤沢倫子を演じたりょう、


山添と美紗が勤務する栗田科学の社長・栗田和夫を演じた光石研、


山添が前に勤めていた職場の上司・辻本憲彦を演じた渋川清彦などが、
素晴らしい演技で本作を傑作へと押し上げていた。



この映画で、一番印象に残っているのは、
ラスト近くの、
(栗田金属関係者や美紗や山添の知人たちも招待した)移動プラネタリウム上映会での、
美紗のナレーションのシーン。


ナレーションの内容は、栗田社長の弟のメモや、昔の上映会を下地にしていて、
「夜明け前が一番暗い」
「夜がなければ輝く星を見ることができず、世界の広さにも気づかなかっただろう」
「高速で自転と公転してる地球上で暮らす私たち」
「今の私たちは500年前の星の光を見ている」
「1万2千年後には北極星は別の星ベガと交代する」

など、その言葉のひとつひとつが心に染み入ってきて、感動させられた。
「地球は回り続け、常に新しい夜と朝が訪れて、夜明けは必ずある……」


上白石萌音の優しい声が、明るい未来を予感させ、聴いている者に小さな希望を抱かせる。
なんとも心地よいラストであった。
〈見て良かった!〉
と思った。


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