一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

ドキュメンタリー映画『FAKE』   ……はたしてFAKEは誰なのか?……

2016年07月15日 | 映画


この映画とは関係のない話から始めることをお許し願いたい。

1995年、私は、徒歩日本縦断をした。
この年は、様々な出来事が起こった年で、
今でも記憶に残っていることがたくさんある。

1月17日、阪神淡路大震災が起きる。
3月20日、地下鉄サリン事件(地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件)発生。
6月29日、韓国ソウルの三豊デパートが崩壊し、502人が死亡。
9月5日、フランス、南太平洋で核実験強行。

暗い出来事が多かった年だが、
歩き旅をしている私にとって、
唯一の明るいニュースで、
励みになった出来事がある。
野茂英雄のメジャーリーグでの活躍である。
結局、この年(1995年)、
シーズン通算で13勝6敗、
グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54、
リーグ最多の3完封を記録して、
最多奪三振(236奪三振)のタイトルを獲得し、
チームの7年ぶりの地区優勝に貢献。
日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気者になった。

そんな野茂英雄であるが、
メジャーリーグへ行った経緯は複雑で、
祝福されて移籍したのではなかった。

1994年の契約更改では、
複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、
球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。
この際「君はもう近鉄の顔ではない」と言い放たれる。
球団との確執、そして監督(鈴木啓示)との確執もあり、
メジャーリーグ行きを決意。
この時、日本のマスコミは、野茂に対し、大バッシングを浴びせる。
若い人は知らないかもしれないが、
ほとんどのマスコミが、野茂を、
「(日本という村社会の)ルールを守らない者」として、悪く報道していたのだ。
ところが、
「活躍なんかできる筈ない」と言っていたメジャーリーグで、
野茂が大活躍し始めると、
手の平返しで、大絶賛。
「最初から期待してました」的な論調で、連日報道するようになったのだ。
これには、さすがに、呆れてしまった。
この野茂英雄のメジャー挑戦は、
日本のマスコミの駄目さ加減をイヤというほど思い知らされた出来事として、
今でも強く印象に残っている。

日本のマスコミの、「手の平返し」報道は、
ここ数年、特にひどくなっているような気がする。
野茂英雄の時とは逆で、
散々褒めそやして持ち上げておきながら、
事が起こると、よく調査もしないで、叩きに叩く。
佐村河内守氏、小保方晴子氏、ベッキー氏、乙武洋匡氏など、
「よくもまあ、ここまで」と思うほど、悪意のある報道で叩き続ける。
特定の個人をバッシングし続けることで、
また嘲笑の対象とし続けることで、
さらに売り上げ部数を上げ、視聴率を稼ぐ。
ネット社会の今は、ネット民もこれに加わり、
謝罪は一切受け付けず、
ターゲットとなった人を血祭りに上げ、再起不能になるまで叩き続ける。
SNSを利用して、言葉の暴力で、叩きのめす。
実害を被った当事者ならともかく、
まったく関係のない人までが、
(自分のことは棚に上げて)叩きに叩く。
間違った他者を非難し、排除することで、
「自分だけが清廉潔白で正しい者だ」
ということを確認するかのように……
批判は一方的で、
批判されている側を擁護するような発言をしようものなら、
その発言者までも炎上するまで叩く。
ちょっと異常としか思えないような風潮が続いている。

そんな現状の今、
興味深いドキュメンタリー映画が公開された。
佐村河内守氏を、
事件が発覚した2014年秋から約1年半を費やし撮影したという、
映画『FAKE』である。

【佐村河内氏をめぐる騒動について】
聴覚障害をもちながら、
「鬼武者」などのゲーム音楽や『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を発表し、
「現代のベートーベン」とまで称賛された佐村河内守氏。
しかし、『週刊文春』で、音楽家の新垣隆氏が、佐村河内氏との関係を告白。
掲載翌日の会見で、
佐村河内氏のゴーストライターとして18年間にわたり作曲をしていたこと、
佐村河内氏が楽譜を書けないこと、
耳は聞こえており、通常の会話でやり取りしていたと語った。
いっぽう、佐村河内氏は、
主要な楽曲が自身だけの作曲ではないことについては代理人を通じて公表し、
後の会見でゴーストライター騒動を謝罪した。
しかし、新垣氏に対しては名誉棄損で訴える可能性があると語った。
そして、その後はメディア出演を断り、沈黙を続けている。


映画『FAKE』のキャッチコピーは、

誰にも言わないでください、
衝撃のラスト12分間。


監督は、オウム真理教内部に潜入取材した『A』『A2』で有名な森達也。


彼の過去の作品も見たことがあったし、
興味津々で映画館へ出掛けたのだった。

ドキュメンタリー映画なので、
ストーリーがあるわけではない。
森達也監督が佐村河内守氏の自宅マンションに何度も通い、
やや狭い部屋と、ベランダ、


佐村河内守氏と、妻と、猫、


そして、
取材の申し込みに来るメディア関係者たちや、
ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリストたちを、
淡々と撮っている。


文春にスクープ記事を書き、『ペテン師と天才』を著した神山典士氏や、
佐村河内氏との関係を告白した新垣隆氏に、
インタビューを申し込んだりもする。
(だが、両氏とも取材に応じない)
映し出される映像を見ていると、
見る者には、様々な感慨が浮かんでは消える。
はたして何が本当なのか?
誰が、誰を騙しているのか?
映画鑑賞者は、目を凝らして見続けなければならない。
そして、衝撃のラスト12分間へと、なだれ込む。


結論から言うと、
この映画は、事の真相を追求した映画ではない。
極論すると、
佐村河内守氏と、妻と、猫を撮ったドキュメンタリー映画ということになる。


だから、映画を見終わっても、
「ゴーストライター騒動」の真相は判らない。
この映画を見た神山典士氏が、
「調査報道の跡がまったく見つからない作品」として批判していたが、
それは、的外れの見解ということになる。
だが、
佐村河内守氏の私生活、
奇行と呼んでもおかしくないような挙動、
やってくるマスメディアの人々のやりとりで、
あぶり出されてくるものは、ある。
それが実に面白い。


たとえば、某テレビ局が、バラエティ番組への出演交渉に来る。
「決して、佐村河内さんのことをいじったり、揶揄したりはしません」
と言いながら、
出演を断ると、
代わりに新垣隆氏を出演させ、佐村河内氏のことを笑いの対象とする。
その番組を観ている佐村河内氏と妻の様子も撮られている。
映画『FAKE』を見ていると、
マスメディアも、
神山典士氏や新垣隆氏も、
そして、見ている側の私たちも、
本作『FAKE』さえも、
FAKEではないかと思えてくる。


森達也監督は語る。

映画で大切なことは普遍性。入口はゴーストライター騒動だけど、出口はきっと違います。誰が佐村河内守を造形したのか。誰が嘘をついているのか。真実とは何か。虚偽とは何か。そもそも映画(森達也)は信じられるのか……。
視点や解釈は無数です。絶対に一つではない。僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。


映画鑑賞者は、
それぞれの思いを抱きながら、映画館を出ることになる。
そして、誰かと、この映画について語りたくなる。
私は一人で見に行ったが、
親しい誰かと一緒に見に行けば、一層楽しく(?)鑑賞できることだろう。
ぜひぜひ。

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