一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『奇跡のリンゴ』 ……阿部サダヲと菅野美穂の笑顔が印象的な佳作……

2013年06月30日 | 映画
NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、
リンゴ農家・木村秋則さんの回が放送されたのは、
2006年12月7日であった。

番組は、東京白金台のレストランのシーンで始まる。
半年先まで予約がいっぱいの、知る人ぞ知る隠れ家レストラン。
その看板メニューのひとつが、
「木村さんのりんごスープ」。
当店のシェフいわく、
「腐らないんですよ。生産者の魂がこもっているのか……」

農薬も肥料も使わず、たわわにリンゴを実らせる。
絶対不可能と言われていた無農薬でのリンゴ栽培を実現した男、
木村秋則の作るリンゴは、腐らないのだという。

番組では、リンゴの無農薬栽培に取り組んだ木村さんの苦闘が紹介されていた。
この回の放送は、異例の大反響を呼び、
700通ものメールや手紙がNHKに寄せられたという。
私も再放送で視たが、
大変驚いたことを覚えている。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」のキャスターを務めていたのは、
脳科学者の茂木健一郎と、住吉美紀アナ。
木村さんの無農薬への挑戦の日々のすべては、
番組で紹介しきれなかったということもあり、
茂木健一郎が「本にしよう」と提案。

書籍化の話が動き出して1年半後、
2008年7月、
『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』(石川拓治著/幻冬舎)が出版された。


この本は、図書館から借りて読んだ。
とても面白く、2~3度借り直して読んだ記憶がある。

いちばん印象に残っているのは、
自殺を考えて、岩木山へ向かったときのこと。
無農薬栽培を目指して取り組んできたものの、
何年もリンゴの木に花は咲かず、
借金はかさみ、
電気は止められ、
食べる物さえ不自由するようになり、
妻や子供たちにも苦労をかけっぱなし。
もうダメだと思い、自殺を考える。
そのときの心境を、登山に例えているくだりがあった。
そして、自殺しようと入った山で、
無農薬栽培のヒントを得るのだ。
以下に少し引用してみる。

最初はほんの思いつきだったのだ。
遠くに高い山が見えた。自分はあの頂上まで行けるだろうか。ふと、そう思いついて登り始めただけなのだ。
手に負えないなら、途中で引き返せばいいと思っていた。
六年登り続けて、山が自分には高すぎることを思い知らされただけだった。
ところが、無我夢中で登っているうちに、それが生き甲斐になっていた。この山を登りきるために、自分はこの世に生まれて来たのだと思った。
無農薬でリンゴを栽培する。
それが自分の天命なのだ。
歯を食いしばってそのことに打ち込んでいるときに、雷に打たれたようにはっきりとわかったことがある。ここで自分が諦めたら、もう誰もそれをやろうとはしないだろう。自分が諦めるということは、人類が諦めるということなのだと思った。
木村はいつしかその夢を実現するためだけに生きてきた。
木村の夢は、木村そのものだった。
けれど、その夢は潰えたのだ。
木村秋則に出来ることは、もう何もない。
(中略)
誰にも見つからないところまで登って、そこで死のうと木村は思った。
すべての原因は自分なのだ。
自分が死ねば、このすべてを終わらせることが出来る。
そんな簡単なことに、なぜ気がつかなかったのだろう。
この世に生まれた意味を、自分は果たせなかった。
ならば、これ以上生きる意味はない。
悔しいとか、無念とか、そういう思いはどこにもなかった。
死ぬことを恐いとも思わなかった。
(中略)
「もうこのあたりでいいかと思って見回すと、ちょうどいい具合の木が見つかった。よし、ここにしようと決めて、持ってきたロープを投げたんだ」
そのロープの端が指をするりと抜け、勢い余ってあらぬ方向へと飛んでいった。
この期になってもへまをする。なんて駄目な男なんだと思いながら、ロープを拾いに山の斜面を降りかけて、木村は異様なものを目にする。
月の光の下に、リンゴの木があった。

まるで魔法の木のように、そのリンゴの木は輝いていた。
山奥のこんな場所に、なぜリンゴの木があるのだろう。
夢か幻でも見ているのではないかと思った。
けれど、じっと見つめていても、幻は消えない。
葉の一枚一枚が、満月の光に照らされて輝くのまではっきり見えた。
思わず見惚れてしまうほど、美しいリンゴの木だった。のびのびと枝を伸ばし、そのすべての枝にみっしりと葉を繁らせている。
条件反射のように、誰が農薬を撒いているのだろうと思った。
あれがリンゴの木である以上、農薬をかけてやらなければあんなに健康な葉をつけていられるはずがない……。
そこまで考えて、木村は脳天を稲妻で貫かれたような気がした。
そんなわけがない。
もちろんあの木には、一滴の農薬もかかっていないはずだ。
投げたロープを拾うことも忘れて、走っていた。
もちろん山奥のこんな場所に、リンゴの木があるわけがなかった。
走りながら、木村もそれがリンゴの木ではないことに気づいていた。
それでも、心臓の高鳴りは止まらなかった。
それは、ドングリの木だった。
(中略)
なぜ農薬をかけていないのに、この木はこんなに葉をつけているのか。
夢中でポケットを探り、マッチの火をつけた。葉を引き寄せて、火をかざす。思った通り、害虫の姿はなかった。虫に喰われ、病気で変色した葉がないではなかったが、ほとんどの葉が健康そのものだった。
六年の間、探し続けた答えが目の前にあった。


森の木々は農薬を必要としない。
自然の植物が、農薬の助けなど借りずに育つことに、木村秋則は気づくのだ。
そして、自分のリンゴ畑と、この森との違いにも気づく。
それは、この森の方が、
雑草が生え放題で、地面が沈むくらいふかふかなのだ。
土がまったくの別物だったのだ。

これだ、この土を作ればいい。

直感と言うより、何者かが自分の頭の中でそう囁いているような気がした。
思わず土を口に含んでいた。鼻にツンと来る独特の匂いが、口いっぱいに広がった。ある種の刺激臭なのだが、何とも言えずいい匂いだと思った。
(中略)
この柔らかな土は、人が作ったものではない。
この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作なのだ。落葉と枯れた草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土が出来る。そこに落ちたドングリや草の種が、根を伸ばしながら、土の深い部分まで耕していく。
(中略)
自然の中に、孤立して生きている命はないのだと思った。ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。そんなこと分かっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。


長々と本から引用をしてしまったが、
リンゴ無農薬栽培に成功した木村秋則が、
試行錯誤に末に辿り着いた結論、
もっとも重要な部分がここにあったからだ。
そして、私が最も感動した箇所が、ここであったからだ。

で、映画である。
この『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』(石川拓治著/幻冬舎)を原作とし、
木村秋則を阿部サダヲを、
その妻を菅野美穂が演じた作品を見てきた。

1975年、青森県弘前。
リンゴ農家の木村秋則(阿部サダヲ)は、
妻・美栄子(菅野美穂)が農薬に過敏な体質であることを心配していた。
年に何回も散布する農薬の影響で皮膚がかぶれ、
数日寝込むこともあったからだ。
そんな妻を想い、秋則はリンゴの無農薬栽培を思い立つ。
しかし、それは、“神の領域”と言われるほど絶対不可能な栽培方法だった。


周囲の反対、
試行錯誤の毎日、
数え切れないほどの失敗、
1年、2年、3年、4年と歳月が過ぎ、
5年目に入っても、リンゴ畑の状態は悪化するばかりであった。


冬の間出稼ぎに行っても、かさむ借金。


妻と3人の娘たちも十分な食事にありつけないほどの極貧生活を強いられる。


それでも諦めなかった秋則は、
想像を絶する長年の苦闘と絶望の果てに、
常識を覆すある“真実”に到達する……


思ったよりも、ずっと良い作品であった。
木村秋則を演じた阿部サダヲ。
『夢売るふたり』(2012年)での好演が記憶に新しいが、
この作品でも、苦闘する木村秋則を実に巧く演じている。
悩み苦しむシーンが多いが、時折見せる笑顔がパッと明るくしてくれた。
このところ、映画、TV、舞台、音楽にと大活躍であるが、
次作『謝罪の王様』(2013年9月公開予定)も楽しみ。


妻・美栄子を演じた菅野美穂。
彼女の笑顔がすべてと言っていいほどの作品であった。
秋則の苦闘の年月が語られる映画なので、
ともすれば暗い作品になりがちであるが、
彼女の笑顔がそれを救っていたような気がした。
今でも彼女の笑顔が思い浮かぶほど、
印象的で素晴らしい笑顔だった。


美栄子の父を演じた山努も素晴らしかった。
青年期から壮年期までのギラギラした演技は、正直あまり好きではなかったが、
ここ数年の枯れた演技は目を瞠るものがある。
レビューは書いていないが、前作『藁の楯』での演技も凄かった。
1936年12月2日生まれであるから、現在76歳。
いまだに現役バリバリで、
ここ数年だけでも、
『クライマーズ・ハイ』(2008年)
『おくりびと』(2008年)第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作
『カムイ外伝』(2009年)
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)
『麒麟の翼 ~劇場版・新参者~ 』(2012年)
『はやぶさ 遥かなる帰還』(2012年)
『キツツキと雨』 (2012年)
『藁の楯』(2013年)
と、その充実ぶりが窺える。


木村秋則・美栄子夫妻の3人の娘たち、
木村雛子を演じた畠山紬(幼少期:小西舞優)、
木村咲を演じた渡邉空美、
木村菜ツ子を演じた小泉颯野、
も好演していた。
私にも2人の娘がいるが、
父親にとって、娘たちの笑顔は“頑張り”の源である。


1995年8月27日、
私は徒歩日本縦断の旅で青森県を歩いているときに、
リンゴ畑の写真を撮っている。




道路沿いのガードレールまでリンゴの形であったことを覚えている。


徒歩日本縦断の旅から帰った私は、
山登りをするようになり、
好んで自然に身をひたすようになった。
なぜ好んで自然の中に入って行くかというと、
自然の中にいることが心地よいからである。
なぜ心地よいかというと、
それは、ゲーテの次の言葉に要約されているように感じる。

なぜ私は結局最も好んで自然と交わるかというに、
自然は常に正しく、誤りは専ら私のほうにあるからである。


正しいものの中にいるからこそ、心地よいのだ。
なにかあっても、間違っているのは自分の方。
答えがはっきりしている。
自然の声に耳をかたむければ、
おのずから答えは得られる。
木村秋則さんが到達した“真実”も、
そうして得られたものであった。

この映画には、
随所に“津軽富士”と言われる岩木山が登場する。
それが山好きには殊の外嬉しい。
どっしりとした岩木山が、
四季折々の岩木山の姿が、
見る者の心を和ませ、安心感を与えてくれる。
「大丈夫だ」と思わせてくれる。


映画を見終わって感じた心地よさに、
山登りを終えたときのような心地よさを感じたのは、
その影響があったかもしれない。
山が好きな人には、ぜひ見てもらいたい作品である。

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