一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『迫り来る嵐』……降り続く雨と男と女の情念が絡み合う中国ノワールの傑作……

2019年02月13日 | 映画
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フィルム・ノワールが好きだ。
フィルム・ノワールとは、
虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画 を指した総称である。
狭義には、1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された犯罪映画を指す。
イギリス、フランス、香港などでも多く作られているが、
近年、面白さでは韓国ノワールが群を抜いていた。
ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003年)や『母なる証明』(2009年)、
パク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』(2003年)、
キム・ジウン監督の『甘い人生』(2005年)、
ナ・ホンジン監督の『チェイサー』(2008年)や『哀しき獣』(2010年)
など、傑作揃い。
そして、ここ数年、注目されているのが、中国ノワール。
その代表格が、ディアオ・イーナン監督・脚本の『薄氷の殺人』(2015年)であった。
この『薄氷の殺人』に続く傑作が誕生したという知らせが、
佐賀の田舎にも随分前から届いていた。
それが、本日紹介する『迫り来る嵐』なのだ。
キャッチコピーは、
《『殺人の追憶』『薄氷の殺人』に続く、本格派サスペンス映画の誕生!》。
日本では、今年(2019年)の1月5日に公開された作品だが、
佐賀では1ヶ月遅れで、1日1回、1週間限定ということで、
シアターシエマで上映された。
1日1回の上映は昼間で、しかも日曜日は休みとのことで、(オイオイ)
厳しい条件付きではあったが、(笑)
先日、やっと見ることができたのだった。



1997年の中国。


小さな町の古い国営製鋼所で保安部の警備員をしているユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)は、


近所で起きている若い女性の連続殺人事件の捜査に、刑事気取りで首を突っ込み始める。


警部から捜査情報を手にいれたユィは、
自ら犯人を捕まえようと奔走し、死体が発見される度に事件に執着していく。


ある日、
恋人のイェンズ(ジャン・イーイェン)が犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、


事態は思わぬ方向に進んでいく。


果たして、ユィに待ち受ける想像を絶する運命とは……




経済発展に向けて社会が激変した1990年代後半の中国を舞台に、


殺人事件の捜査に取り憑かれた男の運命を描いたサスペンスノワールである。


小さな町の古い国営製鋼所で働く人々の表情は一様に暗く、
喜怒哀楽の“喜”と“楽”が完全に抜け落ちている。
本作でも“雨”は需要な要素となっており、
終始、降り続いている。


『セブン』や『殺人の追憶』などからの良き系統(雨=ジトジト系)を受け継いでおり、
雨は止んでも、青空など見えやしない。
鉛色の雲が垂れ込め、モノクロ映画のように色彩を失っている。


雨期を選んで撮影しましたが、毎日の雨の量が異なるので9割以上のシーンで人工の雨を降らせました。貨物列車の操車場で大雨の中、犯人を追跡する場面は最も過酷で8日間かかりました。大粒の雨が頭や顔、目に痛いほど当たったけれど、目を開けて無我夢中で犯人を捜す演技をしなければならない。撮影の3日目に頭の上に大きな腫れものができて、激しく痛みました。バイ菌が皮膚に入ったことに加え、緊張状態が続いてストレスがかかったことも原因でしょうね。(『キネマ旬報』2019年1月下旬号)

こう語るのは、
主人公のユィ・グオウェイを演じたドアン・イーホンだ。
大雨の中、貨物列車の操車場で犯人を追跡するシーンは秀逸で、
このシーンを見ただけでも、『迫り来る嵐』が優れた作品であることを実感させられる。


監督・脚本は、ドン・ユエ。


【ドン・ユエ(董越)】
1976年中国・威海省生まれ。
北京電影学院を卒業し、写真撮影の修士号を取得。
数本の映画のスチールを担当した後、広告映像の監督に転じる。
自身で脚本を担当した初の長編劇映画である本作は、
2017年の東京国際映画祭で最優秀男優賞、最優秀芸術貢献賞をW受賞したほか、
2018年の アジア・フィルム・アワードでは、新人監督賞を受賞するなど、
その類稀なる才能は国内外で高い評価を得た。



驚いたことに、本作がデビュー作なのであるが、
新人監督とは思えない重厚な映像とダイナミズムで、見る者を魅了する。

この作品で中国映画の流れを変えるとか、新しいジャンルを築こうといった考えはまったくなかった。1本目を撮るチャンスを掴んだからには、本当に自分が好きなもの、自分が撮りたいもの、エキサイトできるものを撮ろうと思って制作に臨みましたね。なぜなら、1本目である本作が当たらなければ2本目を撮るチャンスはなくなってしまうわけですから。(笑)(『キネマ旬報』2019年1月下旬号)

ドン・ユエ監督が語るように、
「こういうものを撮りたい」という意思が強く感じられる作品であった。
『セブン』は、犯人は特定できたものの、正体も動機も不明のまま事件は終結し、
『殺人の追憶』の方は、犯人さえ判らない。
白黒はっきりしないモヤモヤ感が、この手の映画の魅力でもあるのだが、
ドン・ユエ監督もそれを強く意識していたようで、
物事がはっきりしない物語、善悪の境が曖昧な物語が、
本作の魅力になっているように思われる。


なにからなにまで良い行いをする人、なにからなにまで悪い行いをする人っていませんよね。実際の大人の世界っていうのは、そう単純でわかりやすいものじゃないはず。社会は白や黒ではなくてグレーなことが多い。自分としては、そうした視点でなにかしらの真相を探る物語を撮りたかった。この作品は大人の世界のグレーゾーンを描いていると思う。(『キネマ旬報』2019年1月下旬号)

ドン・ユエ監督は、この“大人の世界のグレーゾーン”を、
極力、映像のみで表現していく。
台詞を削れるだけ削って、
言葉ではなく、映像で語っているのだ。
ここにカメラマン出身であるドン・ユエ監督の矜持があるように感じた。



ユィ・グオウェイを演じたドアン・イーホン。


本作での演技は、
2017年の東京国際映画祭における最優秀男優賞受賞で証明されているが、
普通の警備員である男が、次第に常軌を逸していく様を、実に巧く表現していて秀逸であった。
ドアン・イーホンは、2016年だけで、『迫り来る嵐』(公開は2017年)を含め、3人の若手監督のデビュー作に出演している。
その理由について、次のように語っている。

スクリーンデビューした最初のうちは、映画監督が誰かとかベテランかどうかを気にしていました。映画俳優としては未熟だったので、監督に引っ張ってもらいたかったからです。
しかし、自分の演技や経験が円熟するにつれ、パターン化され新鮮味がなくなるのではと恐れるようになりました。若手監督との仕事は不安定で、コケてしまうリスクも高いとはいえ、新しい可能性を開いてくれることも多い。ベテラン監督のように経験や映画界のしきたりに縛られず創造性に富んでいるからです。
(『キネマ旬報』2019年1月下旬号)

新人監督の作品は、模倣も多いが、
なんとかオリジナリティのある作品にしようというエネルギーが感じられし、
『迫り来る嵐』にもそれはある。
そのエネルギーに乗せられ、そこにドアン・イーホンの貪欲さが加わり、
傑作が誕生したと言える。



ユィ・グオウェイの恋人・イェンズを演じたジャン・イーイェン。
暗く、ジメジメした映画の中で、唯一の“光”を感じさせてくれた存在であった。


【ジャン・イーイェン(江一燕)】
1983年9月11日、中国・浙江省生まれの女優、歌手、作家。
15歳で北京舞蹈学院、02年に北京电影学院の演奏科に入学。
1999年、アイドルグループ「プリティ・ベイビー」のメンバーとして歌手活動をスタート。
その後、ソロ活動を始め、
2006年に1stシングル「用爱呼吸」をリリース、
翌2007年に1stアルバム「星光电影院」を発表。
女優では、
2002年の「葛定国同志的夕阳红」でドラマ、
2005年の『与同在的夏天』で映画デビューを果たす。
その後、
ジョン・ウー&スー・チャオピン監督の『レイン・オブ・アサシン』(2010年)など、
多くの作品に主演している。


歌手、女優の多くの経験から、
ジャン・イーイェンは実に魅力的なヒロインを演じている。


佇む姿、仕草、表情……すべてが蠱惑的で、魅入られてしまう。




だが、そんなイェンズまでもが、この作品では陰湿な闇に呑み込まれてしまうのだ。
その後の展開には、誰もが言葉を失うだろう。


もう……これ以上は語るまい。
新人監督のデビュー作なので、『セブン』や『殺人の追憶』にはまだ及ばないが、
いつの日か、
これらを超える作品を生み出してくれるだろうという期待感を抱かせてくれた『迫り来る嵐』。
近くの映画館で上映していましたら、ぜひぜひ。

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