一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『アイミタガイ』 ……黒木華の美しさと素晴らしい演技と歌声を楽しむ……

2024年11月27日 | 映画


本作『アイミタガイ』を見たいと思った理由は、二つ。

➀私の好きな黒木華の主演作であるから。


➁2020年に他界した佐々部清監督が温めていた企画であるから。




黒木華は、私の好きな女優である。
美しい女優だと思っている。
北川景子や佐々木希のような人を寄せつけないような冷たさのある美しさではなく、
親しみやすさや懐かしさや温かさを感じさせる美しさである。
演技も素晴らしく、どんな作品でも惹き込まれて見てしまう。
凡作を佳作に、佳作を秀作に、秀作を傑作に押し上げる力を持っている稀有な女優である。


主演映画である、
『シャニダールの花』(2013年)
『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年)
『日日是好日』(2018年)
『ビブリア古書堂の事件手帖』(2018年)
『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(2021年)
『せかいのおきく』(2023年)

などはもちろん、
主演ではなくても、
『草原の椅子』(2013年)
『舟を編む』(2013年)
『小さいおうち』(2014年)
『繕い裁つ人』(2015年)
『幕が上がる』(2015年)
『ソロモンの偽証』(前篇・事件、後篇・裁判)(2015年)
『永い言い訳』(2016年)
『散り椿』(2018年)
『来る』(2018年
『甘いお酒でうがい』(2020年)
『浅田家!』(2020年)
『星の子』(2020年)
『ノイズ』(2022年)
『余命10年』(2022年)
『映画 イチケイのカラス』(2023年)
『ヴィレッジ』(2023年)

などの傑作、秀作、佳作で、存在感を示しており、
私も鑑賞後には必ずレビューを書き、黒木華の魅力を伝えてきた。
こうして列記してみると、
休みなく映画に出演していることが判るし、
その間にもTVドラマにも出演し、
「重版出来!」(2016年4月12日~6月14日、TBS)
「みをつくし料理帖」(2017年5月13日~7月8日、NHK総合)
「凪のお暇」(2019年7月19日~9月20日、TBS)
「イチケイのカラス」(2021年4月5日~6月14日、フジテレビ)
「ゴシップ#彼女が知りたい本当の〇〇」(2022年1月6日~3月17日、フジテレビ)
「僕の姉ちゃん」(2022年7月28日~9月29日、テレビ東京)
「ブラッシュアップライフ」(2023年1月8日~3月12日、日本テレビ)
「下剋上球児」(2023年10月15日~12月17日、TBS)

などの主演作、話題作で我々を楽しませてくれている。
そんな黒木華の主演作『アイミタガイ』は見逃せないと思った。



本作『アイミタガイ』は、
『箱入り息子の恋』の市井昌秀が脚本の骨組みをつくり、
2020年に他界した佐々部清監督が温めていた企画をもとに、
『九月の恋と出会うまで』の草野翔吾監督がメガホンをとったとのこと。


ちなみに、アイミタガイとは、漢字で書くと「相身互い」で、
お互いを助け合う精神や持ちつ持たれつの関係を意味する言葉。


佐々部清監督作品は、そのほとんどを見ており、
レビューも書いているので、(コチラコチラを参照)
佐々部清監督の死はショックであった。
佐々部清監督の新作はもう見ることはできないが、
彼が関わった作品ならぜひ見たいと思った。



原作は、作家・中條ていの連作短編集「アイミタガイ」。


親友を失った女性を中心に、
思いがけない出会いが連鎖していく様子を描いた群像劇とのことで、
主人公の梓を演じる黒木華の他、
恋人・澄人を中村蒼、
亡き親友・叶海を藤間爽子が演じ、
私の好きな風吹ジュン、西田尚美、安藤玉恵、近藤華、白鳥玉季も共演している。


ワクワクしながら109シネマズ佐賀で鑑賞したのだった。



ウェディングプランナーとして働く梓(黒木華)のもとに、ある日突然届いたのは、


親友の叶海(藤間爽子)が命を落としたという知らせだった。


交際相手の澄人(中村蒼)との結婚に踏み出せず、


生前の叶海と交わしていたトーク画面に、変わらずメッセージを送り続ける。


同じ頃、叶海の両親の朋子(西田尚美)と、


優作(田口トモロヲ)は、


とある児童養護施設から娘宛てのカードを受け取っていた。
そして遺品のスマホには、溜まっていたメッセージの存在を知らせる新たな通知も。


一方、金婚式を担当することになった梓は、
叔母の紹介でピアノ演奏を頼みに行ったこみち(草笛光子)の家で、


中学時代の記憶をふいに思い出す。
叶海と二人で聴いたピアノの音色。
大事なときに背中を押してくれたのはいつも叶海だった。


梓は思わず送る。「叶海がいないと前に進めないよ」と。
その瞬間、
読まれるはずのない送信済みのメッセージに一斉に既読がつく……




草野翔吾監督作品であるのだが、
佐々部清監督作品と言ってもおかしくないほど、
佐々部清監督のテイストあふれる作品であった。
佐々部清監督は、自らを、
「映画を、早く、安く、上手く、撮ることのできる職人監督だ」
と語っていたが、その言葉通り、
芸術家タイプではなく、職人気質の監督で、
海外の映画祭に頻繁に出品するような賞獲り狙いの監督を極端に軽蔑していた。
なので、作品に真新しさはないものの、
堅実で、やや古風な映画作りが特徴の映画監督であったと言える。
本作『アイミタガイ』も、真新しさはないものの、映画愛にあふれた作品であった。
これほど佐々部清監督の色に染まった作品だとは思わなかった。

さて、何から褒めようか?(笑)

まずは、地方が舞台の映画であること。
本作の撮影は、三重県・桑名を中心に行われている。


桑名を舞台に決めたのは佐々部清監督で、
シナリオハンティングのために現地にも足を運んだとか。
草野監督も撮影前に一人で桑名やその周辺の町を見て回っている。
「佐々部さんの脚本の稿には町の名前までしっかり書かれていたんです。原作でも舞台は特定されていないのですが、佐々部さんが桑名で撮りたいと考えた思いを大事にしたかった。僕自身が現地で感じたこと、桑名らしいと思った風景の特徴を大事にしながら、特別な場所の特別な話に見えないように撮ろうということは、撮影の小松高志さんとも最初に話していました」
と語っていたが、
水郷として、また城下町として栄えてきた地方都市の穏やかな雰囲気が、
物語を優しく包み込み、後味の好い作品に仕上がっている。

桑名市の、
近鉄桑名駅、


旧桑栄メイト前、


桜堤防、


桑名寺町通り商店街、


歴史を語る公園、


レストランROCCA
など、これからロケ地巡礼されそうな予感……


佐々部清監督の稿には、「川を渡る電車」という記述が繰り返し登場していたそうで、
本作でも「川を渡る電車」が何度も登場する。


これは桑名と名古屋をつなぐ近鉄名古屋線で、
撮影でも本物の車両や駅舎、ホームが使われている。


「佐々部さんにとって“川を渡って町に入って来る”という感覚が大事だったのかなと思ったんです。大きな川を電車で渡って、町に入って、そこからどこへ出て行くにしても川を渡らなければならない。そういう土地の環境は物語の舞台として魅力的に感じました。桑名の町の中には水路があるんですけど、川と水路を軸に登場人物たちの生活の地図が想像できたらいいなと思ったんです」
と、草野翔吾監督は語っていたが、
電車だけではなく、車や人も川に架けられた橋を度々渡り、町に出入りする。
私の住む佐賀も、川やクリークやお濠などが多い“水の町”であるのだが、
原風景を見ているようで、懐かしさを感じられる作品であった。



佐々部清監督は女優のキャスティングが上手く、
『陽はまた昇る』の真野響子、
『チルソクの夏』の上野樹里、
『四日間の奇蹟』の石田ゆり子、
『夕凪の街 桜の国』の田中麗奈、麻生久美子、中越典子、
『六月燈の三姉妹』の吹石一恵、吉田羊、徳永えり、
『群青色の、とおり道』の杉野希妃、
『この道』の貫地谷しほり、松本若菜
『大綱引の恋』の知英、比嘉愛未、松本若菜、安倍萌生、

というように、私好みの魅力的な女優ばかりだったのだが、(コラコラ)
草野翔吾監督も、佐々部清監督同様に女優のキャスティングが上手く、

黒木華(秋村梓 役)


藤間爽子(郷田叶海 役)


安藤玉恵(稲垣範子 役)


近藤華(中学生の梓 役)


白鳥玉季(中学生の叶海 役)


西田尚美(郷田朋子 役)


風吹ジュン(綾子 役)


と、文句なし。
私がこれまで高く評価してきた(私好みの)女優ばかりなので、
そいう意味でも楽しい105分であった。
特に、近藤華(中学生の梓 役)と白鳥玉季(中学生の叶海 役)は秀逸。
草野翔吾監督は、
単なる回想シーンとして語られていた中学生時代の比重を大きくし、
現在と過去を並列して描くような脚本に書き変えている。
中学生時代のシーンがより重要になり、
作品の良し悪しは近藤華と白鳥玉季の演技力次第という部分もあったのだが、
二人は見事にその期待に応えている。


そして、
佐々部清監督の『東京難民』(2014年)に主演した中村蒼、


佐々部清監督作品の常連である升毅、


佐々部清監督の『大綱引きの恋』(2021年)の音楽を担当した富貴晴美など、
佐々部清監督と縁ある人々が本作に関わっているのも嬉しかった。



この映画は、終盤まで、小さなエピソードを、
ひとつひとつ大きなパネルの上に置いていくような感じで物語が進行する。
だから、ハラハラドキドキさせたりはしないし、
やや変化に乏しい作品に思われる危険性はある。(笑)
だが、ラストに、ジグソーパズルの最後のいくつかが、
ピタリ、ピタリとハマっていったときに、
観客は、その大きなパネルに何が描かれていたのかを知ることになる。



本作には基本的に“善い人”しか登場しない。
それは、草野翔吾監督も気になったようで、
登場人物の一人に、
「善い人ばかりが出てくる小説は嘘くさいと思ってきたが、いまは信じたい」
というような意味のことを語らせている。
人生を70年やってきた私は、
全身“善い人”はいないと思っている。
“善い人”に見えても、そこに至るまでには“悪い人”の時代もあった筈なのだ。
私にも“悪い人”の時代があったし、あなたにも“悪い人”の時代があった筈だ。
現在、私もあなたも、もし“善い人”に見えているとすれば、
“悪い人”の時代の経験が糧となっているからだと思う。
なので、“善い人”しか登場しない映画のように見えても、
額面通りに受け取ることはないし、できない。
今の私は、その“善い人”の裏側も見て取ることができる。
小山澄人(中村蒼)も、
郷田優作(田口トモロヲ)も、
郷田朋子(西田尚美)も、
稲垣範子(安藤玉恵)も、
単なる“善い人”ではない筈だし、
“善い人”の裏側を読み取ることこそが映画を見る人の務めだと思うし、醍醐味だと思う。
だから草野翔吾監督には心配無用だと伝えたい。


そんなことを思いながら、
エンドロールで黒木華が歌う「夜明けのマイウェイ」を聴いた。
「夜明けのマイウェイ 」は、
1970年代に放映されたTVドラマの主題歌で、
俳優であり音楽家の荒木一郎が作詞・作曲した楽曲。
脚本開発の当初は、今よりもまだ東日本大震災の傷が新しく、
「悲しみをいくつかのりこえてみました」
という歌詞には、震災からの復興を願う気持ちも重なっているとか。
黒木華の透き通る歌声が、心にじんわりと沁みてきた。
良い映画を見たと思った。

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