一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

田原山……いつまでも歩き続けるために……

2007年12月16日 | 山岳会時代の山行
普段、われわれは、それが当たり前のように山に登っている。
だが、山に登ることができているのは、いくつもの幸運が重なっているからだ……ということに気づいている人は案外少ないのではないだろうか?

①歩くことができる。
②山登りをする体力がある。
③健康である。
④山登りに行く時間がある。
⑤家族の理解がある。
⑥経済的に問題がない。
          ……等々

これらの一つが欠けても、山登りをすることは難しい。
そう考えると、山登りができるということは、(ちょっと大袈裟だが)奇跡のようにさえ思えてくる。

私事だが、11月29日に黒髪山に登った時、下山中にちょっと足首をひねった。
足許を見ずに、キョロキョロと周囲を眺めながら下山していた時だった。
激痛がして、屈み込んだ。
しばらくじっとしていると、痛みは治まった。
足踏みをしてみると、すこし痛んだが、歩けないことはなかった。
正直ホッとした。
そのまま歩いて下山し、車を運転して帰ったのだが、帰宅してからよく見ると、足首が腫れていた。
病院に行って診てもらった。
レントゲン検査の結果、骨に異常はないが、しばらくは山登りは控えた方が良いとのことだった。
普通に歩くぶんにはそれほど支障はないのだが、足首に横の力が働くと少し痛んだ。
足首を痛めたのは、まったく私の不注意だった。
岩崎元郎著『登山不適格者』という本に、山を歩くコツがこう書いてある。

①二本のレールの上を歩くように平行に歩く。
②歩幅を小さく。
③足音をたてない。
④足裏を見せない。

《極意というのは「ゆっくり歩く」ということだ。
 なーんだ、そんなことかと思わないでいただきたい。言葉にすれば単純でやさしいことだが、山ではゆっくり歩けない人が実に多いのだ。
「静荷重静移動」が、山での足の運び方の基本になる。後ろ足にのっている体重を、ゆっくり前足の靴底全体に移動する。
 前足に完全に体重をのせたら、体重のかかっていない後ろ足を、太股の力で引き上げる。そして、前に押し出す。
 足を踏み出す地点をしっかり見据え、できるだけ平らな場所に、靴底全体をフラットに下ろす――。
「静荷重」とは、静かに体重をかけること。
「静移動」とは、足を静かに移動すること。
 これを繰り返していれば、歩幅は自然に小さくなり、歩く速度もゆっくりにならざるをえない。》

これは、「バテない歩き方」でもあり、「捻挫や骨折を防ぐ歩き方」でもある。
このことを私は守っていなかった。
山歩きを、少しナメていた。

12月16日の「からつ労山・月例山行」の「田原山」にはぜひ参加したかったので、私は山登りはせずにしばらくおとなしくしていた。
11月が終わった時点で、今年の私の山行日数は48日だった。
今年は、ほぼ一週間に一度の割合で山登りをしていた。
半月以上も山登りをしなかったのは本当に久しぶりだった。
「痛みは出ないだろうか?」
「最後まで歩けるだろうか?」
不安を抱えながら、12月16日を迎えた。

参加者は24名。(マイクロバス22名、マイカー2名)
車窓から由布岳が見えた。
雪だろうか? 霧氷だろうか?
山頂付近が白くなっている。


登山口の駐車場に着き、出発準備を終え、準備体操をする。


駐車場からは、鋸山の別名を持つ田原山の稜線が見えた。
低山だが、危険箇所も多く、なかなか手強い山だ。


案内板をみて、コースを確認する。
熊野磨崖仏までの往復が余計にあるが、ほぼこの案内板の矢印通りに歩くことになる。


「静荷重静移動」を心掛けながら、ゆっくり登ろう……
そう心に決め、歩き出した。


紅葉は終わっていたが、所々に赤いニシキギの葉が僅かに残っていた。


細い道が多く、注意しながら歩いた。


囲観音、雫岩などを過ぎ、南尾根に出た。


花は少なかったが、ヤマジノギクなどの野菊の仲間が数種類咲いていた。
この黄色い花は、シマカンギク。


南尾根からは、これから向かう、八方岳、経岩などの長い岩尾根が見渡せた。


反対側には、遙か彼方に由布岳が見えた。


大観峰は人で溢れていた。
足の間から、絶景が見える。


人がいなくなって、大観峰に立つ。
抜群の眺めである。


南尾根を登る佐賀労山のパーティが見えた。


大観峰から八方岳に向かう途中のクサリ場。


八方岳も人で溢れていた。


八方岳から見た大観峰。


難所が続くが、三点確保で、慎重にクリアしていく。


登山口駐車場が見えた。
と、言うことは、駐車場から見た稜線に、今居るということか――


駐車場側から見ると、こんな感じ。


股覗き岩に着き、対面の岩壁に彫られた太陽石(右上)を見る。
股の間から覗くと……(笑)


無名岩に到着。
丁度お昼時。
お腹の虫が鳴いている。


ここで昼食。
狭いので、皆寄り添って食べた。
素晴らしい風景を眺めながらのランチは、最高に美味しかった!


この後、行者尾根を通って、熊野磨崖仏を見に行った。










途中まで引き返し、南へ下山。
ここもなかなか急な坂道で、注意しながら下りた。


登山口の駐車場に戻ってきた。
無事に帰って来られて、私自身、ホッとした。
足首も大丈夫だった。
熊野磨崖仏から登り返しているとき、Mさんがやや遅れがちだったが、Mさんも無事戻って来られた。
全員無事故で、本当に良かった。
Mさんに年齢を訊くと、「75歳」と答えられた。
Mさんは、先月の阿蘇・根子岳にも参加されていたし、セルフレスキュー講習会でもお会いした。
いつも大きな一眼レフのカメラを持って登山されているし、本当にお元気だ。
会員ニュースの一口感想の欄には、素晴らしい俳句も発表されている。
私もMさんのように、いつまでも元気で、好奇心を失わず、山登りを続けたい……心底そう思った。


帰りの車窓からも、由布岳が見えた。
なんだか、とても嬉しかった。


今日は、歩けることの歓びを実感した一日だった。
素晴らしい一日をありがとうございました!

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4 コメント

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足首捻挫too (noburinn730)
2007-12-19 11:56:49
 遥かな昔、新体操ごとくボールで遊んでいて、嫌というほど捻挫。1年ほどかけて完治したと思っていたんだけど、、、。
この年になり足を使いすぎるとまた腫れるようになる。お医者さんは、「前歴が原因じゃない、別の病気」というけれど、、、。
 何時まで山に登れるかなあ、と強迫観念にとらわれる事のあるこの頃です。ま、痛くなればなったで、自分流の山登りをしていこうとは思っていますが。
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歩けることの有り難さ (タク)
2007-12-19 20:40:21
noburinnさんへ
noburinnさん、初コメントありがとうございます。
noburinnさんも、足首だったんですね。
時々、歩くのが辛そうにされている時があったので、膝なのかなぁと思っていました。
私も足首を痛めて、歩けることの有り難さをつくづく感じました。
黒髪山は、初めて登山靴を買って登った時にも、一度転んでいます。
「黒髪山は相性悪いなぁ~」と思っていたのですが、「これから長く山登りを続けたかったら、そんな歩き方では駄目だぞ!」と黒髪山の神様に叱られたと考えれば、黒髪山に感謝ですね。
私もあと何年くらい登れるのだろうと考える時がありますが、できれば70歳くらいまで、山岳会で皆さんと一緒に登れればいいなぁ~と思っています。
いつまでも歩けるように、これからも日々精進していきたいと思っています。
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山登りできるという事は奇跡 (ミヤマウズラ)
2008-01-17 22:45:02
①歩くことができる
②山登りをする体力がある
③健康である
④時間
⑤家族の理解
⑥経済
 私はそれに付け加えれば家族全員が健康である
  (主人が骨折して痛感しました)
①~③ 私は女性が1回通らなければいけない『更年期障害』が酷く、それから 体が変わり、山登りはお医者さんから、禁止されています、 若い時は腰岳・黒髪山等平気で登っていました、  ④~⑥はどうにかなるもんです だから、皆さんがタダタダ羨ましい
HPを訪問して 1人で楽しんでいます
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一日でも永く山登りができるよう… (タク)
2008-01-18 05:54:56
ミヤマウズラさんへ

いつもコメントありがとうございます。
私も、足首をひねって、歩けることのありがたさを痛感しました。
ちょっとひねっただけなのに、痛みはいつまでも残ります。
これからは、予防を心掛け、一日でも永く山登りができるように頑張りたいと思います。
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