一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

豆塚エリ『しにたい気持ちが消えるまで』 ……車椅子の詩人が綴る初エッセイ……

2022年10月17日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


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私が「豆塚エリ」という車椅子の詩人を知ったのは、
今年(2022年)の4月、
NHK・Eテレのバリアフリーバラエティー「バリバラ」で、
「女性障害者の恋愛のなやみ」について放送された回であった。
それは偶然、なんとなく観始めた番組であったのだが、
そこに出演していた「豆塚エリ」という車椅子の詩人に惹かれるものがあった。
鼻にかかったようなくぐもった声から発せられる言葉は、
彼女が経験してきた数々の体験から絞り出されたと思われる、
これまであまり聴いたことのない研ぎ澄まされた心に刺さる言葉であった。

【豆塚エリ】
1993年、愛媛県生まれ。
16歳のとき、飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。
現在は車椅子で生活する。
大分県別府市で、こんぺき出版を拠点に、詩や短歌、短編小説などを発表。
NHK Eテレ『ハートネットTV』に出演するなど、幅広く活動中。



番組終了後、
「豆塚エリ」という車椅子の詩人について知りたくてネットで検索してみたのだが、
車椅子の理由が、「16歳のとき、飛び降り自殺を図り頸髄を損傷」と知り、
ドキッとさせられ、動揺した。






68歳になり、大抵のことは経験済みだし、
どのようなことを見聞きしても、あまり動揺することはない筈の私であったが、
彼女の過去には前期高齢者の私の心を揺さぶるものがあった。
〈どうして飛び降り自殺をしようと思ったのか?〉
〈死ぬことが叶わず車椅子生活になったとき、どう思ったのか?〉
様々な思いが湧いては消えた。


豆塚エリのTwitterを見ると、
『しにたい気持ちが消えるまで』という自伝エッセイが
今年(2022年)9月に発売されるとの告知が出ていた。
〈読みたい!〉
と思った。
Amazonに予約し、台風の影響で到着が数日遅れたものの、
刊行直後に本書を読むことができたのだった。







死にたい、と漠然と思い始めたのはいつだったろう。
小学校高学年の頃だったろうか、死というものに興味を持ち始め、憧れ始めたのは。
それからずっと、来る日も来る日も、死にたいと思ってきた。けれど、この日は違った。
はっきりと、「死ななきゃいけない」と思った。今死ななきゃいつ死ねる?
死ぬなら今だ。今なら死ねる。
いても立ってもいられなかった。
とても幸福な気分だった。何か正解を見つけたような気持ちだった。
ひらめきに興奮していた。
高校の制服姿で、屋上に上がろうとしてみたが、屋上に続く扉は固く閉ざされていた。
それでも諦めきれなかった。焦りもあった。今の気分が変わらないうちに、どうにかしないといけなかった。
部屋に戻ってベランダのサッシを開け放した。
住んでいた部屋は三階で、正直、死ねるかどうか自信がなかった。
死ねなかったら? 痛かったらどうしよう? そんなことを考えた。
死ねなかったら死ねなかったときだ。そのときは神様がそうしたということにしよう。
少なくとも骨折ぐらいはするだろう。そうなれば少しは学校を休める。
できれば、苦しみなく死にたいな。
十二月十四日。空はよく晴れて曇り一つなかった。冬の空気は冷たかったけれど、陽射しはぽかぽかと暖かかった。
とても明るく、清々しい朝で、こんな日に死ねるなって、と感動すら覚えた。

この日のために生まれてきたのだ、と。

うきうきして、でも少し寂しかった。名残惜しさはあった。やらなきゃいけないことはたくさんあって、仲のいい友達もそれなりにいた。恋人だっていた。
それでも、私はやらねばならないと思った。世界から剥がれ落ちてしまった私を、誰も必要とはしないだろう。
悲しんでくれたら嬉しい。そうやって誰かの、何らかの記憶に爪を立てることができたら。
あるいは復讐だったのかもしれない。
創作において、読者をあっと言わせたいと思う、そういういたずら心にも似ていたかもしれない。
私は持っていた折りたたみ式の携帯電話に一編の詩を打ち込んだ。
考える間もなく、さらさらと書けた。遺書のつもりで、制服の胸ポケットにしまった。(5~7頁)


こうして、豆塚エリは、ベランダから飛び降りる。
そのとき、遺書のつもり書いた詩が、これだ。

ベランダ

この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
12月のそらは
くもりひとつなく
あたしを包んでいます
ビルディングだらけの近所は
もう二年も付き合っているというのに
無愛想なまま
でもそれでいいのです
きっとあたしの踏みしめたアスファルトは
あたしの足のサイズくらいは
薄ぼんやりと覚えてくれている
はずですから

この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
国道10号線を走る車たちは
今日も
あたしの知らないところへ
だれかを連れて行っている




幼い頃から人見知りで、
教室で読書にふける文学少女だった豆塚エリは、
高校では文芸部(美術部と兼部)に入り、詩や小説の創作に夢中になる。
韓国出身の母親は、韓国に一時滞在していた日本人男性と出逢い、
子を授かる。それが豆塚エリだった。
しかし、母は日本へ来たものの、結婚は叶わなかった。
苦労を重ねた母は、「いい大学へ行きなさい」が口癖で、
豆塚エリは、進学校の高校に進むが、どんなに努力しても成績は伸びず、
生活も苦しく、頼れる人もいなかった。
〈自分は生きている価値がない……〉
と、追い詰められ、飛び降り自殺を図る。
だが、(一命を取り留めるものの)頸髄を損傷し、車椅子生活となる。
そして、リハビリ施設に入所するために別府にやって来る。
別府市は、現在全人口の約1割に近い障害者の方が市民として生活しており、
観光都市として誰でも別け隔てなく快く受けいれる歴史的な土壌もあることから、
共に暮らし、生きることが当たり前の事として根付いているのだ。

長い入院生活を送っていたとき、
詩の師匠と仰ぐ人から届いた手紙に、短い詩が書かれていた。

病室に窓はありますか
心の窓は開いていますか
心の窓をひらきましょう


そのとき、豆塚エリは、詩を書き続けようと思った。
いつか自分の詩集を作って、手紙をくれた人々に手渡したいと……
その後、小さな出版社を立ち上げた豆塚エリは、
展示即売会やオンラインで詩集の販売を始める。
22歳で長編小説にも挑戦し、書き上げた小説は、太宰治賞の最終選考まで残った。
講演やテレビ番組への出演も舞い込むようになり、

※豆塚エリが出演している別府市の公式PR動画。


こうして、本書のような自伝を刊行するまでになる。






そんな豆塚エリは、今は、死ぬのは駄目だと思っている。

それは道徳とか倫理とか、そういう観念があって思っているのではない。
自死は罪だと言われていて(法的にも宗教的にも)、飛び降りる前の私はそこに葛藤を感じていた。障害を負ったことを罪だとも思った。この身体で生きることは償いなのだとも。
けれど、今はどうも違う。私が死にたくない理由。
それは、私の身体が死にたくないと言っているから。
本編に書いたとおり、私の身体のほとんどは私の思い通りには動かない。感じてもくれない。けれども、なんらかの不調があるとき、私の身体は反応する。痛みとは違う感覚で私に伝えてくる。勝手に動くこともある。あるいはまったく反応してくれなくて、あとで目で見て気がつくこともある。管理を怠って痛い目を見たこともある。
まるで別の生き物でも飼っているような気分だ。身体にしてみればむしろ、私を飼っているつもりなのかもしれない。
そんな身体が生きたがっている以上、私はそれに従わなければならない気がしている。私が殺そうとしたのに、身体は私を救ってくれた。損傷し、大切な部分が壊れてしまったが、どうにか生き延びてくれた。
おかげでご機嫌伺いの日々だ。世話の焼ける身体だが、健気に生きてくれている。
(299~300頁)

なぜ死のうと思ったのか、
なぜ生きようと思ったのか、
そこに明解な答えはない。
ただ、豆塚エリ自身、今現在は、「しにたい気持ちは消えている」ということだ。
そして、こう訴える。

何か答えを得ようとして読んでくれた人には、なんだかはっきりとした答えを明示できなくて、もしかしたらがっかりさせてしまったかもしれない。
切実に死にたい人に届く言葉はないことも知っている。それでもどうか届くことがありますようにと祈るばかりだ。
未成年の自殺ほどいたたまれないものはない。せめて大人になるまで、自立して自分で稼いで食べていけるようになるまで、頑張って生きてほしい。
大人になれば、少なくとも子どものときに比べて自分の意思で選択できるものが増える。仕事と住む場所を得てから私は随分と生きやすくなった。歳を重ねれば重ねるほどに、どんどん生きやすさが増す実感がある。だからどうか、生き抜いて。
(300頁)







以前、加賀乙彦著『不幸な国の幸福論』(集英社新書/2009年12月刊)を読んだとき、


ショッキングな文章を目にした。
1998年からずっと日本における自殺者の数は年間3万人を超えていた。
このことについて、本書には次のようなことが書かれていた。

自殺率(人口十万人あたりの自殺者数)で見ても、WHO(世界保健機関)がデータを収集している百一ヶ国中ワースト八位。日本より自殺率が高いのは、旧ソ連諸国など社会情勢が不安定な国ばかりです。主要先進国のなかでは突出しており、アメリカやカナダの倍、イギリスの三・五倍にものぼる。
これだけでも暗澹たる思いになりますが、自殺未遂者は既遂者の十倍は存在すると推定されている。つまり、年に三十万人もの人が自殺をはかっていることになるわけです。
さらに、年間三万人どころか実際には十万人が自殺しているという説もある。病院以外の場所で医師に看取られず不慮の死を迎えると、すべて変死扱いになるのはご存知でしょう。WHOは、変死者のおよそ半数が自殺だと述べています。そのため、変死者の半数を自殺者統計に加えている国が多いのですが、日本はそうではありません。
わが国では変死者数も九十年代から急増しており、この数年は十四~十五万人で推移している。諸外国のようにその半分を自殺に含めれば、自殺率世界一のリトアニアをも軽く抜き去ってしまいます。


世界標準の自殺率算出法だと、日本の自殺者は10万人なのだ。
となると、自殺未遂者は既遂者の10倍だから、
年間100万人もの人が自殺を図っているということになる。
(年間100万人だから)この10年だけでも自殺未遂者の累計は途方もない数になる。
この国は病んでいるとしか言いようがないし、
このような国では正気でいる方がむしろ難しいとも言える。

そのような国で、本書『しにたい気持ちが消えるまで』が出版された意義は大きい。
多くの人に(特に若い人々に)読んでもらいたい一冊である。

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